第13話 幕間 迷子のナザリベス――前編


 まもなく、このホームに……。


「ああ、来ました! どうも、ありがとうございました」

「そうか、行くんか……。まあ、悔いのないように旅を続けなされ」


 悔いのないようにか、それができたら幸せだ。


「コーヒーにお茶、サンドウィッチ、岡山名物吉備団子はいかがですか? (今は車内販売していません)」

「……ふう。あの、コーヒーを1つ」

「缶コーヒーですか? 紙コップですか?」

「じゃあ、紙コップのを」


「ホットですか? アイスですか?」

「じゃあ、ホットコーヒーを」

「はい。ところでブラックでいいですか?」

「いや、ミルクと砂糖を」


「砂糖は角砂糖ですか? スティックですか?」

「別にどちらでも……」

「どちらでもというのは、あいにく取り扱っていません」

「……じゃあスティックを」


「何本ですか」

「……1本で」

「本当にそれでいいですか?」

「はいってば!」


「……その前に、このコーヒーと、とっても相性がいいのが、このサンドウィッチですよ」

「それは結構です」

「また、お茶にも合いますけど」

「それも結構です!」

「コーヒーだけで?」


 だけって……。


 チッ (舌打ちと!)


「……あの、スティックシュガー早くくれませんか?」

「……」


 無言って……。


「だからさ、お気持ちはわかるんですけどね……。私はホットコーヒーだけで結構ですから……って、お前これ! 冷めとるやん!」


「お買い上げ、ありがとうございました。……コーヒーにお茶、サンドウィッチに」


 ところで、あの人は誰?




       *




 ――まもなく、のぞみ号東京行きがまいります。

 新幹線の自由席は遠い。

 もうかなり並んでいる……座れるかな?


「あ…あ……あのう? お兄ちゃん」

 振り返って足下を見た。

 見たら女の子がいた。

「……あのう、お兄ちゃん? あたし、新幹線のさくらで名古屋まで行きたいんだけど、これでいいの?」

 今にも泣きそうだった。

「違う、これはのぞみ。さくらじゃないぞ」


「そうなんだ」

「それに、さくらじゃ名古屋までは行けないよ」

「あたし、名古屋駅まで行きたいの」

「行きたいのって、君はひとりなの?」

「うん」


「どうして? お父さん、お母さんは?」

「……」

 首を左右に大きく振る。

「あたし、名古屋へ行きたいの」

「行ってどうするの?」

 首を左右に大きく振る。


「お兄ちゃんは、この新幹線に乗る。だから君も乗りなさい。お兄ちゃんは新大阪で降りるけど、名古屋は新大阪の次の次の駅だから、まあ自由席だから隣に座れるかな?」


 そしたら2人掛けに座れた。運が良い!


「あたし窓際がいい!」

「どうぞ」

「うわ! 速い、はやい!」

 急に元気になったな……。


「君、名前は?」

「田中トモミだよ」

「歳は?」

「いやーん、女の子に歳を聞くなんて」


「あの君ね。こんなに幼い女の子が、1人で新幹線で名古屋までっておかしいだろ」

「あたしお菓子食べたーい。車内販売! 車内販売! (新幹線に車内販売は無いと思います)」


 それは、もうコリたから……。


「えー? 食べたーい。お兄ちゃんも食べたーいでしょ? 食べたーい。食べたーい。買ってくれるなら、あたしの年齢教えてあげるよ!」


「……コーヒーにお茶、サンドウィッチ、幕の内弁当と大阪名物たこ焼き、京都の生八つ橋はいかがですか?」

 聞き覚えのある声、見ると――。


 チッ


 また舌打ちか!


「あたし、ポテトチップのうす塩ね!」

「お前、ずっと車内販売の籠の中を見てただろ? 絶対買ってやらないから」

「えー! でもさ、それでいいと思ってるの? お兄ちゃん。あたしがここで大声で、ゆうかーいって叫んだら、お兄ちゃんヤバイよ」

「お前から話し掛けてきたんでしょ?」

「いいの? 叫ぶよ」

「……まあ、安いからいいか。あの……ポテトチップをください」


「……」

 また無言だ。

 しかも、何で睨んでいるの?


「はい、どうぞ」

「どうも。ほらこれでいいか?」

「うん!」


 車内販売、まだ隣にいる。


「あのう? お客様、ホットコーヒーにホットブラックコーヒーはいかがでしょう?」

 選択肢がかなり狭まった。

「いや結構です」


 チッ


「別にそういう意味じゃなくって、本当にいらないから……」

「……そうですか。コーヒーにお茶、サンドウィッチ、それにホットでとっても美味しいコーヒーはいかかですか? いかがですか~?」


 やっと行ったか……。


「で、年齢は?」

「いやーん」

 もういいって。

「7歳だよ~」


「で、名古屋へ行く理由は?」

「おしえなーい」

「教えなさい」

「おしえなーい」

「おい、お前!」


「じゃあ、謎々出すから、それにせいかーいすれば教えてあげる!」

「嫌です」

「えー! あたしの謎々が嫌なの?」

「別にそういうわけじゃ」

「あたし哀しい……」

 またぐずりだした……。

「ちょっと、トモミちゃんって」

「ははん! じゃじゃーん!! あたしはウソしかつかなーい!!」




       *




 まもなく京都です。ご乗車ありがとうございました……


 隣には、女の子がずっと自分を見続けている。

「あ……ああっ! 京都って乗り過ごした! どうしよう? ……まあ、とりあえず京都で降りて引き返せば」


 ……って、この女の子どうしよう。


「トモミちゃん、お兄ちゃんは京都で降りるからな。君はこのままのぞみに乗ってね、そうすれば名古屋に着くから、いいね?」

「うん。ありがとう、お兄ちゃん!」




       *




「――ええ。迷子のまいごの7歳の女の子が、のぞみ号に乗ってます。名古屋で降りるみたいです」

 京都で駅員に事情を教えた。

 新幹線に乗っている方が安全だろう。


 ああ、どうしようこれから。

 紀伊半島を巡る俺の夢……。


「あのう、お兄さん」

 まただ……。

「はい。なんでしょう」

 今度は、お婆さんだ。

「近鉄電車はどこですか?」

「近鉄電車ですか? それなら、向かいのあれが近鉄の京都駅ですよ」

「ああ! どうも、ありがとうございました」


 そういえば、近鉄電車で伊勢市へ行けたはずだ。


「あの、お兄さん? 近鉄の大和高田駅へは特急で行けるのでしょうか?」

 さっきのお婆さんだった。

「ちょっと待ってください、今調べますから。大和八木駅で下車して、そこから大阪線に乗り換えて……ですね」


「私の娘夫婦が大和高田で民宿をやってての、私も1度娘たちが経営している民宿に泊まってみようかと」

「はあ……」

「泊まらないかっていう話を孫娘から電話でもらって、お兄さんは何処に?」

「いえまあ……伊勢にでも」

「それは急ぎかい?」

「いえ別に……」


「それなら泊まっていかないかね? 大和高田から伊勢は特急ですぐじゃから」


 別に急ぎのあてもないし……って、これ客引きか?




       *




 ――今日も近鉄特急にご乗車くださいまして、ありがとうございます。


「お兄さんがついて来てくれるなんて、ありがとう」

「いえいえ、別に急ぐ用事もありませんし」


「お兄さんは旅を?」

「ええ、独りで日本全国を旅しています」

「へえ……。ああ、お若いから体力もありますしね」


「どうして、日本全国を旅して?」

「はは、よく聞かれます」

「私には嫁も子どももいませんから、気楽な人生なんです。気分転換みたいなものですよ」


「……車内清掃サービスに、ご協力ください。……車内清掃サービスに、ご協力ください」


「お兄さん。西ノ京を出ましたよ。あと数分で八木ですよ」

「……そ、そうですか」


「お兄さん、私の娘たちが田舎から出て行くっていう話を聞かされた時は、私も私のお爺さんも、ぼうぜんと頭の中が真っ白になって、でもしょうがないんです。生きるためには稼げる土地で生きていかなければいけない。人間が生きることってのは苦しいもんなのだから。それで、お兄さん気分転換して何か変わったのかな?」


「あの? いきなり何の話でしょうか……」




       *




「どうも、狭いところで」

「いえいえ、そんなことないですよ」


 民宿の名は瑞槍邸みずやりていだった。


「今日は、とても助かりました」

「お兄さん、今日はゆっくりしていきなさい。炊事も冷蔵庫も好きなように」


「もう、お母さんってば! ほんとごめんなさい、母を京都から連れて来てくれて、私たちがいけないんです。母の性格を考えたら……」

「そんなことは……私も今日も、こうして宿にありつけました。娘さんの電話のお陰ですって、気になさらないでください」


 ……障子の向こうの廊下から、誰かが走ってくる。


「お母さーん、お祖母ちゃんが甘いものが食べたいって、長旅で……」

「あっ! ご挨拶しなさい」

「……こんばんわ」

「はい、こんばんわ!」


「7歳の娘です」

「お若い娘さんで!」


 この娘さん、見た目がナザリベスと、まったく同じじゃねーか!


「お客さん……?」

「そうよ、このお客さんはね、お祖母ちゃんを家まで連れて来てくれたのよ。だから今日一晩、泊まってもらうのよ。あのう、お客様、お名前は?」

小樽川おたるがわです」

「小樽川さん、ひとまずお風呂をどうぞ。その後は晩御飯ですので」




       *




「どうでした湯加減は?」

「ええとても」

「どうぞ召し上がってください」

 見るとオムライスだった。

「娘がお母さんから電話をもらって、そして急いでスーパーへ買い物に行ったんですよ。でもね、このオムライスの上に乗っているケチャップは、庭の家庭農園のトマトから採ったものなのですよ!」


「ねえ、お兄ちゃんあそぼー?」


 さすが民宿……。

 遊ばないわけにはいかないか。


「なにして遊ぼうかな?」

「あたし、謎々が好きー!」


 やっぱしこうなるわな……。


 謎々タイムを終えて、それから――


「ねえ? お兄ちゃん。幸せだった? 辛かった?」

「だから、そんなことないって」

「もう、こらトモミ! お客様になんてこと……」


「あははっ、どうぞ、お気になさらずに」

「ウソ。あたしはウソしかつかなーい!! お兄ちゃんのウソなんて、すぐに分かるよ。お兄ちゃんはずっと我慢してきたんだから。そうでしょ?」

「そんなことないって……」


 なんか、気分を変えようか……。

 窓の外を見上げたら、綺麗な満月が浮かんでいた。


 ――たまにだけど、こんなことを思う。


 こんな世界、どうでもいいって……と。




       *




「あのお兄さん? 随分うなされて――」

「……あっ、眠ってしまったか?」


「随分うなされて……」

「い、いいえ。心配しないでください」


「若いころが懐かしいと、思い出すことが多くなったでしょう。でもね、桜の花は永遠には咲きません。咲かないから美しいのです。青々と葉っぱがしげった桜、その木にセミが鳴く。紅葉した桜、それを写真に撮る人がいる。雪が積もった枝の枝先を見れば、そこに小さな蕾があった。すべて美しい――。そう見えませんか? 思えませんか?」


「あの? いきなり何の話でしょうか……」

「それでは明日の朝。おやすみなさい――」


 ……はい。


 まあ、悔いのない人生なんてないとは思ったけど、違うのかもしれないな。

 自分はもしかしたら、誰もが通っている道を、通っているだけなのかもしれないし……。


 本当は俺って、何を思って旅しているのだろう?




       *




「ちょっとお兄さん、特急券買ってないでしょ!」

 見上げると車掌が立っていた。

「ここは?」

「近鉄特急です。お客さん、どこまで行くんですか?」


「だから、どこまで行くんですか!」

「あ、え……ああ! 伊勢神宮まで行こうかなって。確か、五十鈴川駅が内宮の最寄駅だったはずで……」

「何を言ってるんですか? この特急は伊勢方面には向いませんよ」


「は?」


「この特急は名古屋行きです。次の停車駅は名古屋ですよ」


 俺の紀伊半島をぐるっと……どうしよう?


 ――ふと、気がついた。

 自分の前のテーブルが広げてあって、なにか四角いものが置いてあった。

 ああ、思い出した!

 民宿からもらったお弁当だ。


 じー


 もっと気がついた……。

 隣の座席に誰か座っていた。

 小さくてよく分からなかったけれど、女の子だ。


 またこの子だ……田中トモミ。


 ナザリベス――


「……お前は、どこにでもいるな」

「……」

 返事をしない。

 代わりにテーブルにあるお弁当を見つめている。


 じーー


 視線が……。


「……よかったら食べていいよ」

「うん! ありがとう、お兄ちゃん!!」


 すっごい笑顔になった……。





 続く


 この物語は、フィクションです。




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