第8話 「「「ナザリベス!」」」


 大学卒業を半年後に迎える夏――


 トケルンとチウネルは、瑞槍邸みずやりてい三度みたび向かうことになった。

 その理由は、幽霊騒動の解決を依頼されたからだ。


 もしかして、ナザリベス?



 ――場面は数時間前、岡山県N市へと向かうJR特急の車内に戻る。

 進行方向の窓側の席にチウネル――深田池マリサが車窓に流れる景色を眺めながら憂鬱な表情を浮かべている。

「チウネルよ……、さっきからずっと何かを思っているだろ?」

 隣の席、通路側にはトケルン――杉原ムツキが座る。

 彼女の顔を横から覗き込んでくる。


「……ええ、トケルン。私ね、ナザリベスちゃんのことを思い出していたの」

 深田池マリサが気落ちしていた理由は、女の子の幽霊のナザリベス――田中トモミについてだった。

「最後にナザリベスに会ったのが……1年前になるわね」

 座席を向かい合わせにして、彼女の真向いの窓側の席に座っているのは、カナッチ――佐倉川カナンである。

「ええ、カナッチ。確か、夜の無人駅が最後だったね」

「あれから電車が来ると、いつの間にか姿を消したっけ……」


「そりゃ、生き返ったっていっても幽霊の気持ちから生き返っただけで……本質は幽霊のままだからな」

 両手を頭に添えてから、杉原ムツキは車内前方に飾られているJRの広告を眺める。

 その広告には、これからむかうN市の観光地――鍾乳洞しょうにゅうどうの紹介された写真が載っている。

「鍾乳洞……瑞槍邸みずやりていから案外近いみたいだな……」

「トケルン……、あんたチウネルさんの気持ちを察しなさいよ」

 斜め向かいから佐倉川カナンが、冷たい視線を彼に突き刺した。

「……俺たち、またこうして瑞槍邸に向かうことになったってのも、不思議な運命だな」

 しかし、彼は全く気に掛けない。

 お互い近所の幼馴染、子どもの頃から彼女が今どう考えているかなんて想像はたやすいからだ。


「トケルン? 私の空気を読みなさいって……」

 深田池マリサがさり気なく嫌味を呟いた。

 彼の顔を見ず、流れる風景を眺めながらである。



 ナザリベスを思い出しているのだろう――




       *




 たぶん、ナザリベスは全く何も分からずに亡くなっていったのだと思います。

 それが当たり前だというくらいに……。


 その後の人生の喜びとか、友だちとの楽しみとか――、そういう私たちが経験してきた当たり前の出来事は、ナザリベスには無かったことでしょう。


 7歳という、本当に短い人生でしか生きられなかった女の子――


 私たちが経験してきた人生の思い出は、7歳で亡くなった女の子には実在していないのです。



 ナザリベスの出し続けてきた謎々って、どう考えても7歳の女の子の知識レベルを超えていました。

 自分が考えた謎々を確実に解ける彼――トケルンを探していたんだと思います。

 確実に謎を解ける人の隣に、絶対にチンプンカンプンな私――チウネルがいて、私たちに謎々を出すことで、7歳の女の子は十分に楽しんだと思います。


 ナザリベスちゃんは、私たちと遊びたかったのですよ。




       *





 私たちは出会うことでしか、実在を感じることができません。

 出会わなければ、私たちは、初めから実在していないのと同じです。


 では、ナザリベスという幽霊は実在しているといえるでしょうか?

 7歳で亡くなったナザリベスという女の子の幽霊は、何がどう実在しているといえるでしょうか?


 ナザリベスは、一人だけでは実在できなかった女の子の幽霊。

 では、「実在していない」幽霊と出会ったとは、どういうことでしょう?

 出会うことができない幽霊に出会った私たちは、いったい何に出会ったのでしょうか?




       *




 あたしはウソしかつかない……。

 自己言及のパラドックス。


 チウネルは、ナザリベスが言い続けてきた「ウソ」という言葉を思い出しました。


 ほんとは寂しい――。

 気がついて欲しかった――。


 幽霊がウソをつくことで、自分の本心を伝えようとした。

 鏡に映っている私が、「私は虚像です」と私に伝えたとき、虚像の私の気持ちを知ってくださいと……私に理解してくださいと……。


 ナザリベスの「ウソ」から始まる謎々……、もしかしたら、ナザリベスの実在自体が「究極の謎々」なのかもしれません。




       *




 ゴーレムの謎々を出してきたのは、幽霊の気持ちを理解してくれるだろう俺たちに、分かってもらいたかったんだ――。

 幽霊になってしまった自分は、心を持たないゴーレムと同じだって、7歳で死んでしまった自分を、パパとママが忘れることで――


 あたしは天国に行けるんだよ。



 ナザリベスが成仏を選んだ須弥山しゅみせんへの道というのは、幽霊として、ずっと生きたかったのだけれど……、でも、幽霊の本分を守らなければと決断した「人生」の道なのでしょう。


 それは、7歳の女の子の勇気のある決断だと思います。




       *




 あいつは……、ナザリベス――田中トモミは、今度こそ「お別れ」を言いに来たんだ。


 成仏するために、お別れに行く。

 ナザリベスが生き返ることで……。


 心に絞めつけてくる切ない気持ちが、今俺を沈黙させている。

 何度も難問を解いてきた自分が知ってしまった、ナザリベスの真の解答。


 生き返ることで、お別れする。



 誕生日と命日が同じ日のナザリベスは、生き返らないと死ぬに死ねない運命……。


 生と死は同一、死は生の裏返し。

 人間らしい人生と、ほとんど出会うことがなかった田中トモミという女の子。

 たった7年間だったけれど、決して掛け替えのない大切な思い出だった。




       *




 岡山県N市の夜である。

 無人駅の周囲にある街灯だけが、河原に飛び交う蛍のように明るく目立っていた。


「田舎のJRってのは、まあ平和だよな……」

 杉原ムツキはベンチに座っている。

 彼は天の星々を見上げていた。

 都会とは違い、頭の上には天の川が見えている。


「……ほんとだ。綺麗な星空だよね。トケルン」

 深田池マリサも彼と同じく見上げた。

「この二人って、仲が良いのかそうでないのか……」

 やれやれと少し呆れてから、佐倉川カナンも星空を見上げた。


 すると?


「お兄ちゃんも! お姉ちゃんも! カナッチお姉ちゃんも! たまには、都会では見ることができない星空を眺めるのも悪くないんじゃない?」

 いつの間にか、ベンチに座っていた……?


「「「ナザリベス!」」」


 三人が声を揃えて、びっくり仰天してしまう!

「ナ、ナザリベスちゃん? ……どうして、ここにいるの??」

「えへへ。お姉ちゃん、それはね~」

 自分の頭をナデナデして、何故か恥ずかしそうにしているナザリベスである。

「もしかして、ナザリベス? 俺が恋しくなったか――」

「恋しく?」

 ナザリベスは首を傾けてしまった。


「ちょっと、トケルンさん! 7歳に『恋しく』なんて、わかるわけ無いでしょう」

「えへへ! カナッチお姉ちゃん! あたし、わかるよ~!」

 勢いよくベンチから降りるナザリベスが、両手を大きく上に広げて――、


「じゃじゃーん!!」


 大きく声を出して微笑んだ。

「恋しくってのはさ、トケルンお兄ちゃんとチウネルお姉ちゃんの関係でしょ♡」

「は? ……何言ってるんだ、ナザリベス?」

「はい? ナ、ナザリベスちゃん……」


「じゃあ、もんだーい!! どうしてナザリベスは、今ここにいるのでしょうか?」

 ナザリベスが謎々を出題してきた!


「ナザリベスは、ナザリベスだってことだな……」

 トケルンがあっさりと解答した!


「つまり、それってどういうこと~」


「えっ? この謎々にまだ続きがあるの?」

 チウネルのお約束……。


「虚数と実数―― ナザリベスは二人いたから?」

 カナッチの頭の中は、猫の思考実験のような状態になった。


「んじゃ~、ヒントをあげるよ! ヒントはね――」



 あたしはウソしかつかなーい!!




 ――これが、ナザリベスちゃんと最後に会ったエピソードでした。


 瑞槍邸でまたも幽霊騒動というのは、たぶんナザリベスちゃんが関係しているのだと思います。

 チウネルには何となくですが、そんな予感がするのです。


 そういえば、最初に出会ったのは……。





 続く


 この物語は、フィクションです。



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