6-04


  *


 松明を先頭に、男達がわっせわっせと神輿のような物を担いでやって来る。それは葬儀の際に棺を載せて来たのと同じ物のようだ。担がれた板の上には、何か白く大きな塊が載せられている。


「あれ、あの明恵さんやで」


 隣に居た光雄が囁く。頷きを返し、カナメはごくりと唾を飲んだ。


 山道を上り、それはとうとう鳥居の前へと到着した。明恵は頭からすっぽりと白い布袋を被せられているようだ。足先までほぼ全身を覆う袋は、首許を縛れば確かに照る照る坊主に見える事だろう。


「よし、掛かれ」


 もぞもぞと蠢くそれを男達が押さえ付け、一人が用意された縄を首にきつく巻き付けた。解けない事を何度も確認し、また別の男が縄の先端を持って脚立へと登る。


 鳥居に掛けられた縄がぐいと引かれ、明恵の身体が徐々に持ち上がる。蠢きは激しさを増し、身を捩り肩を揺らし脚をばたつかせる。しかしとうとう縄は固定され、『照る照る坊主』は完成した。


 びくびくと明恵は痙攣し、足はまだ空を掻くように動いている。──『生ける死者』は一度死んでいるが故に、首を縊っても死なない。シグレの記録によると、首が取れてもまだ動いている例もあったという。大抵は心臓が潰されない限りは動き続けるのだ。


 ふと気配を感じ周囲を見回すと、こそこそと囁き合っている女達の姿を捉えた。林の中に隠れ、密かに祭を覗き見しているようだ。成る程、子供寮で河内から聞いた通りだなとカナメは見ない振りをした。


 周囲から不要な物を取り払い、いよいよ男達が照る照る坊主を囲むように集まった。かがり火が男達の顔を橙に揺らめかせ、火の粉が爆ぜて舞い上がる。照る照る坊主の裾から覗く足はまだ緩慢に動いていたが、その藻掻きからは明確な死の匂いが見て取れた。


「ハァーッ!」


 パン、と不意に手が叩かれ、日出男の野太い声が上がる。──歌の合図だ。『ミズチ様』を呼ぶ為の歌を皆で歌い、そうして祭を閉じるのだと言う。男達が、次々と手拍子を揃え、声を合わせ始めた。


 歌には特別な歌詞も旋律も無かった。例えば般若心経を唱える際に自然と出来る節回しのような、そういった響きを歌という形にしたようなものだ。それは酷く原始的で、人間の根源的な部分の声のようにカナメには思われた。


 手拍子に合わせた男達の重奏が闇を震わせる。炎の揺らめきに合わせ、低く高く速く遅く、ばらばらの音が一つの塊となって山に響き渡る。


 ──それはどれ程の時間続いただろうか。日出男の声の調子が変わり、「はあーーっあっ、あっ!」という頭から抜けるような高い音と同時に一つ、大きく手が打ち鳴らされた。皆もそれに続いて、「はあッ!」という掛け声と共に大きく最後の一拍を打ち鳴らす。


 奇妙な高揚感が尾を引いている。興奮を内に秘めたまま、一呼吸置いて──皆は同時に、身を翻し逃げるように走り出した。隠れていた女達も走り去ってゆくのが、がさがさと木を揺らす音で分かる。


 日出男も陽介とシグレに両肩を支えられながら必死で山を駆け下りている。木の陰に隠れたまま動かないカナメを見付け、光雄が引き返し走り寄って来た。


「おい、あんた! 早う逃げんとアレが来るで! あの歌はアレを呼ぶ合図なんや、生贄をここに置いときますっていう報せなんや」


 焦って唾を飛ばす光雄に対し、カナメは冷静に周囲の様子を窺っている。声を落とし、カナメはそっと光雄の肩を押した。


「分かっています。光雄さんは早く逃げて下さい。自分は大丈夫です、その『ミズチ様』に遭う為に此処に残っているのです」


「……何か考えがあるんやな? なら気い付けてな、喰われたらあかんで、生きて帰るんやで」


「勿論そのつもりです。……さあ、早く!」


 名残惜しげに振り返る光雄に手を振り、カナメは再び林の中に身を隠した。皆の喧噪が下方から聞こえる。一方誰もいなくなった山頂は酷く静かで、ただかがり火の爆ぜる音だけがぱちぱちと闇に踊っている。


 どれくらい立っただろうか、不意にがさり、と音がした。


 ──来た。


  *


 カナメは息を気配を殺し、影からそっと様子を窺う。強い瘴気が空気を揺らめかせる。べとり、とぬめった音が糸を引いて地を叩く。


 林の間から現れたのは、聞いていた通り巨大なイモリだ。


 黒くぬめぬめとした表皮はヘドロのような凝った瘴気に覆われ、ちらと覗く腹側は血のように赤い。歩く度にねちゃりと粘液が地面を汚し、長い尾がぼとりぼとりと瘴気を糞の如く撒きながら蠢いている。


 そして何より異様なのは、その体表に人間の苦悶の顔が模様の如く並び、横腹からは人間の足や腕がびっしりと生えびらびらと垂れ下がっている事だった。恐らくは今迄に捧げられて来た生贄のものなのだろう。いずれの肌も人間だったとは思えぬ程に黒く汚され、腕も脚も捻れ節くれ立ち、怪異の一部に相応しき様相を呈していた。


 ──あれの何が『ミズチ様』だ。水神がもし封印されていなければ、その醜悪さに激怒していた事だろう。カナメはイモリの姿に眉根を寄せながらそっと機会を窺う。


 イモリは鳥居に近付くと『照る照る坊主』を乱暴に引っ張った。びりびりと布が裂け、白い裸身が露わとなる。そのまま巨大な口が女の腹にがぶりと噛み付き、肉を大きく引き千切った。イモリは肉を飲み込むと今度は傷口に前足を突き入れ、ぐちゃりと内臓を掴み引き摺り出す。


 吊られた縄がぎしぎしと音を立てる。勢いと重みで身体が引っ張られ、女の首が伸びてそして程無く、ぶつりと千切れた。胴体から離れた首はごろごろと転がり、なだらかな岸を滑り落ち、ぼちゃりと湖の中へと沈んでゆく。湖で発見した髑髏はこれだったのか、とカナメは腑に落ちる。


 地面の上に引き摺り下ろした女のはらわたを食い散らかすイモリの様子を窺い、そろそろか──とカナメはそっと林を抜け出した。攻撃するならば、食事に夢中になっている今だろう。


 カナメはライターを袂から取り出すと、キィン、と蓋を開いた。火花が散り、焔が閃く。描いた線が具現化し、重みを取り戻す。


 現れたのは焔の直剣。カナメはそれを掴むと、一気に掛ける。イモリに肉薄し、大きく袈裟斬りに剣を振り下ろした。脇腹に生えた脚や腕が何本か飛び、胴体が大きく切り裂かれる。


「大きいだけに……なかなか致命傷には至らないか」


 カナメは振り抜かれた尻尾を反射的に避けると、今度はその尻尾に向けて剣を凪いだ。大きく尾が裂けるものの、イモリは大して痛がる様子も無い。そしてこちらに向き直るイモリを見、カナメは驚愕する。


「傷が、……回復している!?」


 イモリは元来、回復力の強い動物で或る。尾や足が千切れても生えて来る程だ。この『ミズチ様』はその回復力を更に高めた、回復どころか再生とも言える能力を持っているようだ。


「これでは、キリが無い……! くっ、甘く見積もり過ぎたか」


 カナメは自身の計画の杜撰さに歯噛みする。しかし、この『ミズチ様』を確実に捕捉するには、祭の後を狙うしか手が無かったのも事実なのだ。普段はかなり用心深く隠れているらしく、祭の日以外での目撃例は無いに等しい。


 尾が鞭のようにしなり、カナメ目掛けて打ち下ろされた。紙一重で躱し隙を突いて距離を詰め、剣を振るって脚を一本切り飛ばす。断面からどろりと血の如く瘴気が垂れ、それが凝ってまた脚を形成する。


 何度繰り返しても再生力は衰えを見せない。余りの切りの無さに、カナメの額に汗が滲む。


 また尻尾での攻撃がカナメを襲う。今度は大きく薙ぎ払うような動きで、カナメは後方に引かざるを得ない。一旦体勢を立て直したその時、──声が響いた。


「──カナメ様!」


 同時にばさり、と何かが空を舞う音がする。咄嗟に空中に大きく跳躍しカナメはそれを掴んだ。──夜の闇より尚暗く広がるそれは、カナメがいつも着ていたインヴァネスと呼ばれるマントコートだ。


「カナメ様、こちらも!」


 更に空を切る音に振り返れば、伸ばした手の中に飛び込んで来たのはカナメ愛用のステッキだ。カナメはコートを羽織り、ステッキを握るとにい、と口許に笑みを浮かべた。


「シズクさん、ありがとうございます! これで──本気を出せそうです」


 カナメの琥珀の瞳が黄金の輝きを帯びる。ばさり、とインヴァネスがはためき翻る。両手で水平に構えたステッキが、光を放ち始める。輝きに怯んだらしきイモリが、ぎい、と唸りを上げた。


 イモリは乾きに弱い。体表が常に湿っていないと弱ってしまう生き物だ。だから『ミズチ様』は霧雨を降らせた。水神が封印されているのを良い事に、同じ名を与えられてその力の一部を拝借し、都合良く使って成長したのだ。それが人に仕組まれた事だと知らず、人に管理されていると知らず、『ミズチ様』は大きくなった。


 だが今、天敵が目の前に居る──『ミズチ様』はそうはっきり認識した。あれは乾きをもたらすものだ、あれは熱をもって奪うものだ。だから倒さねばならない、イモリはそう感じ取り天敵を睨み付けた。


 カナメのステッキは黄金めいた光を放っている。それは灼熱、それは焦熱。太陽の表面に生まれる火龍の如き、純粋なる炎熱の剣。


 地を蹴り、カナメが『ミズチ様』目掛け跳躍する。鴉の翼めいてマントが翻り、焔の剣が振り下ろされる。熱の線がイモリの胴を裂く。ばっくりと裂けた断面から瘴気が溢れ出す。二度、三度と切り付ける度、イモリの肉は断たれ皮膚が手足が千切れ飛ぶ。


 それでものたうち死なぬイモリに、カナメは笑みを深くした。


「流石、水神の力を取り込んだだけの事はある。──とっておきを、くれてあげますよ」


 カナメの手の中でステッキが変化する。ガシャリと金属音を響かせて機構が現れる。どのような仕組みなのか、鈍い響きを伴って姿を現したのは、表面にびっしりと術式を彫り込まれた──黄金の猟銃。


「太陽そのものを撃ち込んであげますよ。骨まで蒸発し、消え失せるといい」


 カナメの黄金の瞳が、獰猛に笑った。


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