6-03


  *


 余りの事実の重さにシズクは茫然自失となってしまった。


 カナメが声を掛けると反応はするものの、自分では歩けそうにない。おんぶをすると辛うじて自力でしがみ付いてきたので、仕方無くカナメはシズクをおんぶしたまま梯子を登った。地上へと戻って扉を閉めた時、カナメの口からは大きな溜息が零れた。


 ──実はカナメには、少し思い当たる節があったのだ。


 霊力が強いと言われる、灰色を携えた寿の血を引くシズクだが、実際にはあまり霊力を有しているらしき気配が見られなかったからだ。瘴気も「嫌な気配」程度にしか感じ取れず、霊気の放出も殆ど無い。カナメにはそれが、ずっと不思議だった。


 それというのも恐らくは、『死者を生かす術』が常に発動し続けている所為だったのだ。ただでさえ規格外とも言えるとんでもない術を、二十四時間、しかも複数体を対象に使い続けていれば、他に霊力を回せなくなるどころか体調を崩すのも頷けるというものだ。


「シズクさん、少し休みましょう。大丈夫、自分も一緒にいますから」


「……ん」


 幼子のようにしがみ付いたまま離れないシズクを自分の部屋のベッドに寝かせ、カナメは添い寝をして背をさすりシズクを寝かし付ける。ようやくシズクが眠りに落ち手を離した頃には、もう時計は夕方を指し示していた。


 シズクの体調が悪い事を沢田に伝え、細々とした用事を済ませる内にいつの間にか夜になっていた。少し眠って幾分か気分が落ち着いたシズクと食事を済ませ、いつの間にか戻って来た安田さんと一緒に風呂へと入る。


 今度は安田さんも入れて三人で布団に入った。じわりと沁みる温かさがシズクの表情を和らげる。それでも離そうとはしない手を握り、カナメはそっとシズクに語り掛けた。


「シズクさん、……怖いですか」


「……怖い、というより、自分が分からなくなりました。不安で、寂しくて……私はもう一生、他へ行っちゃ駄目なのかなって、瑞池の為に組み込まれた歯車として生きるしかないのかなって」


「そんな事はありません。術の所為でそう思っているのなら、それは大きな勘違いです」


 シズクの濡れた瞳が疑問を孕んでカナメに向けられる。カナメは微笑むと安心させるようにシズクの髪をそっと撫でた。


「シズクさんは巫女や術士などの、霊力を扱う訓練をきちんと受けた事が無いでしょう?指導に沿ってきちんと修練すれば、常時発動しているその術も、自分の意思で自在に操れるようにきっとなります」


「それは……訓練で、どうにかなる物なのですか」


「なります。きちんとした指導者の元で霊気の操り方を学び、制御する方法を身に着ければ、きちんと制御下に置く事が出来るようになるでしょう。そうすれば体調を崩す事も無くなります」


 カナメの言葉に耳を傾けていたシズクは、眩しそうに目を細めてカナメの琥珀めいた瞳を見詰めた。


「本当に? 私、本当に、その、……もっと生き易く、なれますか」


「なれますよ。どころか、幸せに──もっとずっと、誰よりも幸せになれる筈です。シズクさんには、その権利があるのです」


「もっと……、幸せになる権利……。そんなものが、私にも、あったんですね」


 ほろほろと零れる言葉は雨粒めいて、涙の雫と共に枕に落ちる。その唇は震えながらも、確かに淡く孤を描いている。カナメは髪を梳き、頬を撫で、涙を拭ってやりながら優しく囁いた。


「『祭』が終わったら、一旦瑞池を出ませんか。取り敢えず御師様にシズクさんの能力の相談をして、それから……街へ、遊びに行きましょうか。美味しい物を食べて、綺麗な服を見繕って、そして、──指輪を、買いましょう」


「──はい」


 大輪の花が綻ぶように微笑んで、シズクは幸せを噛み締めるようにそっと瞳を閉じた。カナメが笑んだ唇にくちづけを落とすと、──腹の辺りできゅう、と抗議の泣き声が上がる。少し布団を持ち上げてみると、二人の間に挟まれた安田さんが、窮屈そうにじたじたと藻掻いていた。


「ああ、ごめんなさい安田さん」


「もう、安田さんったら……」


 カナメが吹き出し、シズクがくすくすと笑う。──もうすっかり、シズクの心は柔らかにほぐれていた。


  *


 それからカナメもシズクと一緒に少し眠った。シズクの寝顔は随分と安らかで、カナメはその頬にくちづけを落とし微笑んだ。


 夜中にカナメは起き出し、スコップと地蔵の頭部を抱え静宮邸を抜け出す。西へと真っ直ぐに進み祠へと辿り着くと、既にスコップを持った波木光雄の姿があった。


「ああ、来て頂いてありがとうございます光雄さん。こんな夜中に手伝って頂いて申し訳無い」


「いや、俺とあんたの仲だしな。その、何だ、結界とやらを解くのに必要なんだろ?そんなん頼まれたら嫌って言えんよ」


 実は昨夜作業小屋で、祠の地蔵を元に戻す作業を手伝ってくれるよう頼んだのだ。事情を理解した光雄は躊躇無く頷き、今夜の作業を約束してくれたという次第だった。


「確かにこの天辺が真っ平らなん、妙だよなあ。元は土台の上にでも置いてあったって事かねえ」


「多分そうだと思います。……ああ、思っていたより深くは無さそうですね」


 大人の男が二人掛かりで掘ると流石にあっという間だ。掘り出した地蔵の胴体を引っ繰り返すと、逆さの際には意味不明に思えていた凹凸は確かに地蔵の姿だったのだと知れる。カナメは足許を少しだけ埋めて胴体を固定すると、頭部をそっと首の上に宛がった。


「ぽっきり折れとんのに、載せただけで大丈夫なんか?」


「まあ見てて下さいよ」


 訝しみながら覗き込む光雄にニヤリと笑い、カナメは静かに瞳を閉じた。首を支える両の手から、淡い光りが滲み出る。すると、首の継ぎ目から温かな光が漏れ、そして──首は離れてなどいなかったかの如く綺麗に繋がった。


「……どんな魔法?」


「ただの祈りですよ。これは元々のお地蔵様の力です。この感じなら思ったよりも早く呪いは解けそうですね」


「へえ、そういうもんかい」


 二人は次いで南の祠へと移動し、地蔵の修繕を済ませた。こちらも問題無く繋がり、その晩はそこで解散となった。


 翌日にはシズクも調子を取り戻し、日常めいた穏やかさが戻って来た。こっそりとまたシグレの部屋から残りの地蔵の首を運び出したり、書庫で古い帳面を紐解いたりはしたものの、概ね平常と呼んで差し支えないだろう。


 夜中にはまた光雄と祠の地蔵を元通りに直した。集落ではこの不思議な現象が密かに話題になっていたようだが、解くに犯人追及などは為されずに噂は集束していった。


 そして一日が過ぎ二日が過ぎ、──とうとう『祭』の当日が訪れた。


  *


 『祭』は日曜の夜に行われる決まりとなっている。土曜の午後に帰って来ていた子供達が日曜の夕方にはまた『子供寮』へと出発するので、それに合わせて準備をする手筈となっていた。


「結局、準備と言っても此処の掃除と道具の用意程度なんですよね。ああ、後はかがり火にちょっと手間が掛かるぐらいですか」


「それと別の班が『照る照る坊主』の準備して、祭が始まったらそれを運んで来るって具合だな。まあ、どちらにせよそう大変な事ぁ無いでな」


 夕方を目前に、黒い着物を纏った大勢の男達が西の山に集まっていた。それぞれに手分けして掃除や鳥居の点検、道具の準備などに勤しんでいる。


 カナメもその内の一人だ。黒衣を着込み、かがり火の準備に従事していた。何本かの棒を組み合わせて紐で縛り、土台を作ってゆく。複雑な構造では無いので思っていたよりも楽な作業だ。それを言うならば、祭の準備全般が覚悟していたよりも随分と簡単で、少し拍子抜けしているというのも本音であった。


「この調子だと、準備も直ぐに終わりそうですね」


「まあ、暗くなる前に終わらさんといかんでな。少なくとも火は焚けるようにしとかんと、陽が落ちるんが早いから何も見えんくなるし」


 それもそうか、と思いながらカナメは空を見遣る。集落にはいつもの霧雨が降っていて、頭上をどんよりと天井めいた厚い雲が覆っている。確かにこれでは暗くなるのも早そうだ。


 和やかに談笑しながら準備を進め、陽が落ちる頃には全ての用意が整っていた。かがり火に炎が灯され、薄闇が橙の光に照らされる。


 鳥居の傍には大きな三本脚の脚立と頑丈そうな縄があった。これで『照る照る坊主』を鳥居に吊すのだろう。目を凝らすと鳥居の横木には、幾つもの幾つもの縄を掛けた跡がくっきりと残っていた。


 ──水神は、この『祭』をどう思っているのだろう。相変わらず凪いだ湖面には靄が掛かり、およそ無関心めいた意思の無い霊気が漂っている。眠っていて感知していないのか、それとも知っていながら放置しているのか──その真意は量りようも無い。


「おい、吸いたい奴は今の内に吸うとけ。祭が始まったら禁煙厳守やけんな!」


 誰かの野太い声が響く。一斉にかがり火とは違う色の煙が漂い始める。カナメもその中に混じり肺一杯に紫煙を吸い込んだ。そらがいよいよ黒く塗り潰され、炎だけが鳥居を浮かび上がらせる。


「……そろそろだな」


 誰かの呟きと同時、遠くから「おおーおぉおおーおおー」という先触れが聞こえた。『照る照る坊主』が出発する合図だ。こちら側の皆にも緊張が走る。


 そうして、祭は始まった。


  *

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