6-02


  *


 鍵を外し扉を開くと、途端に中から黒い瘴気が這い出して来た。まるでヘドロのようだ、とカナメは顔をしかめる。その中に足を踏み入れるのを躊躇し、カナメは柏手を打ち小さく祓詞を唱えた。溢れていた瘴気が祓われ、カナメはふうと息をつく。


「では、……行きましょうか」


「はい」


 頷き合い、二人は開いた穴の中に備え付けられていた梯子を見詰めた。梯子は頑丈そうな金属製で、揺すってみても外れる様子は無さそうだ。まずカナメが先に下り始め、シズクがその後に続いた。


 穴はどうやらコンクリートで固められているようで、崩れる心配は無さそうだった。しばらく暗闇を下降し、二人は穴の底へと辿り着く。壁を探ると梯子の直ぐ脇にスイッチがあるのをを見付けた。ぱちりと押すと何度か蛍光灯が瞬き、やがて光が空間を照らし出す。


「──ここは、……」


 二人は息を飲む。そこには、意外な程に広い部屋が存在していた。


 コンクリートで固められた四角い箱のような部屋だった。左右の壁には木製の棚が並び、そして部屋の中央には大きな机が据えられている。正面の壁際には細長い台が置かれ、その上や床には犬を閉じ込めておくような檻が幾つか並んでいた。


「見て、カナメ様、あれ……!?」


 シズクが思わずカナメに縋り付いた。檻の中の物が動いたのだ。カナメはゆっくりと奥へと足を進める。シズクはその背中に隠れるかのようにぴったりとくっついてそろそろと歩いた。


「これは、……子供?」


「皆、赤ちゃんのようですわね……何故こんな所に」


 檻の中に入っていたのは赤子だった。そのどれもが虚ろな目をしてもぞもぞと蠢いている。裸のそれらは若干肌が白いものの、それでも生きているかのように見える。しかし、一見まともに思えたその赤子は、どれも奇妙な姿をしていた。


 手や脚が極端に短いもの、片腕片脚の無いもの、目が中央に一つしか無いもの、首が胴体にめり込んでいるもの、目から上の頭部が平らに凹んでいるもの、脚が四本あるもの、手足の関節が逆になっているもの……。


 ──全て、畸形であった。


 それに気付いたシズクはひっと小さく悲鳴を上げ、後ずさりよろよろと床に座り込んだ。カナメも息を飲み、呆然と立ち尽くす。


「これ、これは……一体、一体何なのでしょうか。何の為にこんな……」


「恐らくは、呪い具の材料でしょう。自分はそのような邪法には触れて来なかったのであまり詳しくはありませんが、普通の人間を使うよりもその方がより強い念を込められると、そう聞いた事があります」


「一体これだけの数をどうやって、誰が」


「瑞池の成り立ちを考えると畸形の産まれる率は高かった筈です。近親婚が多かった所為です。露子さんの帳面にもそう記されていました。……しかし、これらは皆、生きているように動いています。死者が生きている呪いが露見したのはここ最近、二十年にも満たない筈」


 シズクがごくりと固唾を飲む音が聞こえた。カナメは拳を握り、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「だとすると集めたのは、……ウキヱさんと、それから恐らく──シグレ君でしょう」


「あ、あにさま、が──」


 シズクの声が震えている。カナメはぎりと奥歯を噛み、檻を睨み付けた。シズクの祖母は曾祖母のウキヱよりも先に他界し、母のシュウコは気が触れて直ぐの頃から座敷牢に入れられていた。ならばウキヱの死後、此処に入る事が出来るのはシグレだけなのだ。


「この瑞池にも以前は産婆さんが居たのですよね。ウキヱさんは恐らく、畸形の赤子を産婆から融通して貰っていたのでしょう。そして産婆がいなくなってからは、瑞池のお産は何処で行われていましたか?」


「あ、え、……か、柿峰、医院……まさか、柿峰先生が……」


「柿峰先生は瑞池の意向に沿って死亡診断書すらも虚偽の記載を行っていました。畸形が産まれた時にもそのような事を行っていた筈です。更に言うならば、失踪や死亡したと言われていた、余所から嫁いで来た女性達も或いは……」


 呆然とシズクが畸形の赤子達を眺める。カナメは檻から視線を外し、周囲をゆっくりと見遣った。棚には幾つもの小さな木箱が並べられており、それらからだらだらと瘴気が漏れ出しているのが見えた。


 恐らくあれらは呪い具の完成品なのだろう。封印の札を貼っているにも関わらずあれ程の瘴気を漏らすとは、どれだけ強い呪いが籠められているのかとカナメは眩暈を覚える。


「シズクさん、床は冷えます。せめてこの椅子に」


 一脚だけ置かれていた椅子を引くと、カナメはシズクを抱きかかえるようにして立たせ、そして丁重に椅子に座らせた。ほう、とシズクが息を吐く。カナメもシズクの横に立つと、広い机の上に意識を向けた。


 檻の赤子に気を取られて今迄全く目に入らなかったが、机の上には作りかけの木箱や幾つかの道具が並べられていた。これは、シグレが呪い具を作っていた証拠に他ならない。ウキヱの残した『在庫』を融通するだけならば、このような物は必要無いだろう。


 机の上には更に、二冊の帳面があった。一冊は糸で綴じられ紙も黄ばんだいかにも古そうなもので、もう一冊は新しい、市販されている製品だ。


「こちらは、ひいお祖母様の物のようですわね」


 古びた帳面を手に取り、シズクがぱらぱらと捲った。表紙には確かに『静宮雨季恵』の名が記載されている。カナメも一緒に覗き込むと、そこには呪い具の製法や注意点などが事細かに記されているようだった。


「恐らくシグレ君はこれを参考にして呪い具を作っているのでしょう。とすると、こちらはシグレ君のノートですかね」


 カナメが帳面を机に開くと、几帳面な字でびっしりと書き込みが為されていた。ウキヱの製作法の要点などを纏めたもの以外にも、『材料』を入手した日時や材料の特徴などが記載されている。


「ああ、ええ。確かにあにさまの字です。どうしてあにさまがこんな事を……それに、あにさまは巫女ではないのに、何故」


 項垂れるシズクの隣で、カナメはシグレの帳面を捲ってゆく。無機質な製法や記録の類い以外にも、所々に感想や日記めいた言葉が綴られていた。カナメはそれらの文を拾い読みながら、とつとつと言葉を零す。


「可能性としては、シグレ君にも巫女の素質があったというか、霊的な力が備わっていたのでしょう。強い血を受け継いでいるのですからおかしな話ではありません。そして偶然、ウキヱさんや露子さんの帳面を書庫で読んだか、或いは此処を発見したかで、感化されてしまった──という感じでしょうか。飽くまで自分の想像ですが」


「感化、ですか?」


「往々にして人は自らの人生を運命的なものと捉えたい習性があります、それは年齢が低ければ低い程に顕著です。自らの祖先が追放され復讐が大願であった……などという話を知ってしまったら、その意思を嗣ぐのが自らの運命なのだ、といった考えに染まってしまうのはきっと容易く、そして気持ちが良かった筈です」


 カナメの説明に、わからないといった風にシズクが首を振る。それはそうだ、きっと分からないだろう。望んでもいない運命を押し付けられ重責を課せられて生きてきたシズクにとって、そのような運命に酔いたがる者の気持ちは絶対に判らない筈だ。


 或いはシグレは、そのようなシズクの苛酷な運命を羨ましいとすら思っていたのかも知れない。悲惨な過去や絶望を抱えながらも逆境に立ち向かい大願を成し遂げる、漫画の主人公に憧れるような、そんな気持ちのまま。


 そんな事をつらつらと考えていたカナメの視線が、ふとある一点で止まった。それはシグレの帳面の後半の、とある記録を記した部分であった。


「これ、は……『生きている死者』に関する記録ですね」


 それはおよそ判明している範囲の、生ける死人が確認された日時とその状態、そして処分された日時と処分方法を纏めた記録であった。時系列に沿って表として整理され、項目によってはまだ『生きている』間の処遇や活動状況なども細かく併記されている。


 しかしカナメが注目したのはそれらよりも、一番端に設けられた項目であった。


「『シズクの体調』……?」


 思わずカナメが上げた声に、シズクも慌ててその表を覗き込む。そこにはシズクの体調の変化、主に不調の度合いや症状などがつぶさに記録されている。


「何故、あにさまが私の体調を書き留めているのです? それに、何でこの表にそれが組み込まれて……」


 そこでシズクは言葉を切り、息を飲んだ。カナメも無言でその表を睨み付ける。表をなぞるカナメの浅黒い指が震えを帯びる。


 ──シズクが体調を崩している期間。それは、『生ける死者』の数が急激に増えた時か、或いは活動が活発になった時期と、ぴったり合致していた。


 それが示すのは、即ち──。


「私が、そうなのですか? カナメ様、私が、……、私の能力が、死者を生かしていたのですか!? 死んだ人が死なないのは、私の力だったのですか……!?」


 絶望めいたシズクの叫びが、地下室に響いた。


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