六章:虚ろな祭と、照る太陽

6-01


  *


 翌朝、早くに目が覚めたカナメはエプロンを着けて炊事場へと向かった。予想通りシズクの姿は無い。朝の冷気に身を震わせながら火を起こし、昆布を入れて水を張った鍋を掛ける。


 手早く材料を刻み、おひつに残った冷や飯をざるで洗い、鍋で煮て調味料を投入し味を整えてゆく。合間合間で用済みとなった調理器具を洗い片付けながら、頃合いを見て溶いた卵を細く垂らし流し入れた。


 良い匂いが炊事場に漂う。卵が固まりきらない内に蓋をし、火から下ろしてカナメは満足気に息をついた。エプロンを外し居間のストーブに火を点けてから、カナメは軽い足取りでシズクの部屋へと赴いた。


「──これを、カナメ様が?」


「ええ。適当にあった物を使わせて貰いましたが、良かったでしょうか」


「それは全く構いませんけれども、……こんな。ありがとうございます」


 軽く身支度を整えて居間へとやって来たシズクは随分と驚いた。卓の上には温かに湯気を上げる土鍋が鎮座し、食器はおろか茶の用意までされていたからだ。おどおどと座布団に座ったシズクの前に、カナメお手製の雑炊を盛った椀が差し出される。


「大した物ではないのですが、シズクさんの体調が優れないようでしたので、僭越ながら作らせて頂きました。一応、消化の良い物に仕上げてあります。お口に合えばいいのですが」


 白く湯気を立てる椀に匙が添えられ、隣にはぬるめの茶がコトリと置かれた。いただきます、とシズクが雑炊を一匙掬うと、ふわりと優しい匂いが立ち昇る。ふうふうと息を吹き掛けてから口に含むと、じわりと野菜のうまみや出汁の風味、程良い醤油の味が広がる。柔らかく煮た米がほろほろと崩れ、そして卵がふわ、とほどけた。


「……美味しい。とても、とっても……美味しいです、カナメ様……!」


「喜んで頂けたようで、何よりです。雑炊や粥はアミダの所に居た頃によく作ったので、自信があるのですよ」


 雪が溶けるように笑顔が綻ぶ。シズクのそんな様子にカナメも相貌を崩し、自身も雑炊を口に運んだ。


 昨日何があったのか、無理にカナメは問おうとしなかった。シズクが喋りたくないと思うのならば、それは無理に聞き出す必要が無い事だ。知られたく無い事の一つや二つ、生きていればあるだろう。──シズクの腫れた目許は正直気になったが、カナメはそんな気持ちを茶で飲み下したのだった。


  *


 今日は珍しく霧雨すら無い晴天だ。カナメは午前中、昨日焼いた晴人の骨を砕く作業に従事する事になった。


 細かな灰をバケツなどに移しながら骨とその欠けらを拾ってゆく。集めた骨をビニールシートの上で木槌などで粉砕し、粉状になるまで作業を続けた。思ったよりもさくさくと骨は砕け、そして灰と混ぜられ幾つかの容器に分けて入れられた。これを田畑を耕す際に土に混ぜるのだと言う。


 作業を進める内に意外と嫌悪感は薄れ、そんな自分にカナメは内心で舌打ちを零す。確かに一々引っ掛かっていたのでは生活にすら支障を来してしまう。しかし完全に慣れてしまうのは危険だ。心の匙加減の難しさにカナメは溜息を吐いた。


 予想よりも早く作業は終わり、カナメは空いた時間をまた書庫で過ごした。露子に続いて今度はウキヱの手記を読み込む。


 ──日出男の言っていた通り、瑞池の集落を今の形に変えたのはウキヱであったようだ。切っ掛けはやはり、シズクが産まれた事であったという。灰色を持つ赤子が男として産まれた事を危惧し、瑞池の存続を危ぶんだウキヱが結界を張り、イモリを利用し、巫女の力が無くとも安泰であるように瑞池を作り替えたのだ。


 『祭』が行われ始めたのもこの頃からだ。イモリを『ミズチ様』と呼んで水神との統合を図り、生贄を捧げる事で制御しようとしたのだろう。生贄などの慣習が他に漏れる事を防ぐ為にあの結界を張ったのだ。


 また、ウキヱは呪い具を作る才能にも長けていたらしい。露子と同等かそれ以上の腕前で、ウキヱの呪い具はよく効くと闇の世界で評判だったようだ。近隣のみならずわざわざ大阪や東京から、ウキヱの呪い具を求めて大物がこの地を訪れている。


 それは静宮家の出納帳にも明確に記されていた。驚くような金額の横には、政財界を始め様々な大物の名前が並んでいる。これらの金は瑞池の集落全体の維持に使われていたようだ。最初、カナメが瑞池に足を踏み入れた際には余所者に対する柔和な態度に疑問を持ったが、成る程身なりの良い人物は金をもたらす『お客様』という認識だった訳だ。


 ──シズクが彼ら『お客様』の相手をさせられていたのは、大金をもたらす客人への接待の一環だったのだろう。シズクだけでなく、過去の巫女達もそのような事をさせられていたに違い無い。シュウコがスーツを着た男性を怖がるというのは恐らくそれが原因だ。


 シズクは正確には女性では無いが、あれ程の美しさだ。陰茎や陰嚢の無いいわば『無性』のような姿ならば、喜んで抱く男は多いだろう。更に言うなれば、地位の高い男には歪んだ性癖を持つ者も多いと聞く。さぞやシズクは人気だった事だろう──そこまで考え、カナメは奥歯を噛み頭を机に打ち付けた。そのまま瞳を閉じ、大きく溜息を吐く。


 もう一度大きく息を零してから、身体を起こして取り出した時計を確認する。もう直ぐ正午だ。カナメはゆっくりと立ち上がると、食事の前に一服しようと自室へと向かったのだった。


  *


 昼食はきつねうどんであった。いや、きつねだけではない。卵も落とされ、わかめと摺り下ろした山芋も入った葱たっぷりのそれは、正確にはきつね月見わかめとろろうどん、とでも称するべきだろうか。


 シズクの体調は随分と落ち着いたようで、朝と比べても顔色も明らかに良くなっていた。カナメはほっとしつつ油揚げを口に放り込む。甘辛く濃い味で炊かれたそれは噛むとじゅわりと味が染み出した。饂飩の出汁そのものは透いた薄めの味付けであるので、きつねの味の濃さが良い変化を舌にもたらしてくれる。


 沢田と三人でずぞぞ、と饂飩を啜る。何だか妙に可笑しくて口許が緩む。食べ終わり茶を飲み干してから、カナメはシズクを自室へと誘った。


「それでカナメ様、どうされたのですか?」


 ソファーに座り煙草に火を点けたカナメに、向かいに座ったシズクが小首を傾げた。今日は安田さんの姿は無い。天気が良いので、何処か外へ出掛けたのだろうか。


「書庫で色々と調べた結果、瑞池について大体の事が分かって来ました。水神とイモリ、生贄と祭、結界と地蔵、客人と呪い具……。何故ウキヱが執拗なまでに瑞池をこんな風に仕立て上げたのか、明確な理由は書かれてはいませんでしたが、恐らくは露子の復讐という大願を受け継いだと考えれば納得は出来ます」


 カナメは調査で分かった事をかいつまんで説明した。シズクは様々な事実に少し驚きながらも、真剣な表情でそれを聴いている。そして概ねを語り終わると溜息をついて、しかし、とカナメは続けた。


「一つだけ、未だに分からない事があるのです」


「それは……、何でございましょう」


「死んだ者が生きている、という件です。特定の条件を満たした者だけがそうなるのか、それとも瑞池の人間は全員そうなのかは分かりませんが……、それはどうやらウキヱの呪法では無いようなのです」


 シズクは驚き息を飲んだ。カナメも一旦言葉を切ってまた新しい煙草に火を点ける。深く吸い込んだ紫煙を吐き出してから、またカナメは喋り始めた。


「それを証拠に『祭』を始めた最初の頃は、生きたままの生贄を使っていました。しかしある時、たまたま事故で死んだ筈の人間が生きているように動いているのを見て、それを生贄に利用する事を思い付いたそうなのです」


「でも、ひいお祖母様の術でないとなると、一体……? 元々瑞池の地にそのような力があった、という事はありませんよね?」


「元々そういう土地だったのならば、露子や井戸家の祖先、或いは金剛寺の者が気付いた筈です。しかしそのような痕跡は一切ありません」


「では、どうしてなのでしょうか……。何か手掛かりは無いのですか?」


 些か眉根を寄せて考え込むシズクに、カナメは身を乗り出して切り出した。


「そこで、自分が思い当たったのはあの地下室です」


「蔵にあった、あの扉ですね」


「そこに何らかの手掛かりがあるのでは、と自分は思っています。そもそも何があるのかも確かめなければなりませんし、……今から、行こうと思うのですが、シズクさんの体調は如何でしょうか」


 真剣な琥珀の瞳に覗き込まれ、シズクは濃銀めいた灰の瞳でそれを見返した。ゆっくりと頷き、微かに微笑む。


「大丈夫です、私も行かせて頂きます。……私、当主代理ですもの。自分の目で見定めないと」


「分かりました、一緒に行きましょう。何が出るかは分かりませんが、──大丈夫、何があっても自分が護りますから」


 カナメはそう言ってシズクの手を握った。二人は頷き合い、──そして立ち上がったのだった。


  *

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