5-08
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轟々と上がる炎が天を燃やしている。雨が降る傍から水蒸気に変わり靄が霧散する。棺が焼け落ち花が焦げ布団が燻り、肉と脂を火が舐める。独特の異臭が煙と共に漂い灰色が舞い上がる。
小雨の降る中、切り株に腰を下ろしカナメは人が灼けてゆく光景をただ見詰めていた。焔が踊る度に熱が揺らめき、濡れる傍から黒い着物を乾かしてゆく。
野焼きの風景は意外な程にのどかであった。皆、談笑しながら缶珈琲を啜り煙草をくゆらせている。時折火の加減を見ながら薪を加えたり火掻き棒で空気を送ったりもしているが、それも忙しないという程では無くのんびりとした雰囲気が流れる。
男衆は一様に同じ黒い着物を纏っていた。これは瑞池における正装のようなもので、葬送の際や祭の時は揃ってこれを着るのだと言う。カナメも清水に丈出しして貰ったシズクの亡父の黒衣を身に着けている。黒衣の集団が炎を囲んでたむろしている様は一種異様だが、見慣れてしまえばそういうものか、とも腑に落ちる。
カナメは煙草を取り出すと立ち上がり、上がる炎へと近付いた。煙草に火を点ける為だ。人を燃す火で煙草を吸うというのも何やら不謹慎にも思えるが、皆そうしているのでカナメも従う事とした。ちなみに吸い殻もこの火に投げ入れるのだと言う。成る程、合理的だ。
「退屈やろ。まあ、野焼きは時間が掛かるでな」
吸い終わって火から離れると、近くに座っていた波木光雄がそう声を掛けて来た。カナメも隣に腰を下ろし、苦笑を漏らす。
「そうですね。まあでも火葬場も意外と長いですよ。新しく市内に出来た所は釜が最新式で温度が高くて、焼き上がるのが早いそうですけど」
「へえ、釜の温度で違うんやな。前に隣町にあった古い焼き場はなかなか焼けんでな、早う焼こうとして隠亡が遺体を何度も引っ繰り返すもんで骨がぼろぼろになるっちゅうて言うとった。袖の下渡すと綺麗に焼いてくれるけんど、そうすると時間が掛かる。痛し痒しやな」
「ああ、それ御師様から聞いた事があります。小柄な年寄りなのに時間が掛かってたら、家族が付けぇ弾んだんだな、って言ってました。ちなみにその火葬場、何で無くなったんです?」
「火事になったんや。焼き場が焼けたって、笑い話にもならん。悪い冗談やな」
ははっと力無く光雄が笑う。カナメも溜息じみた笑いを漏らし肩を竦めた。そうして二人はしばらく炎を並んで眺めていたが、不意に光雄が立ち上がり地面に置かれた段ボールに手を突っ込んだ。缶珈琲を二本取り出すと、一本をカナメに手渡す。
「まあ、昼に握り飯食うんと焼き上がるんを待つ以外は他にする事無いしな。あんたも飲むとええ」
「ああ、ありがとうございます」
差し出された缶珈琲をカナメが受け取ると、かさり、と何かが手に触れた。──紙片だ。缶に隠して光雄が渡して来たもののようだ。
そっと光雄の表情を盗み見ると、平静を装ったまま火を見詰めている。カナメは紙片を握り込み他の男達に悟られぬよう、自然な動作で懐に仕舞った。
また他愛無い話をしながら缶を飲み干し、一区切り付いた所で段ボールの横のゴミ袋に捨てる。そのままカナメは、失礼、と言い残して木立の中へと歩みを進めた。山の中に厠は存在しない、全て立ち小便で済ませるのだ。カナメは用を足してから素早く先程の紙片を取り出し、その中身に目を走らせた。
──『今夜〇時、柿畑の作業小屋』。
紙片にはただ一文、そう記されていた。
*
晴人の遺体を焼き終わり静宮邸に男衆が帰り着いたのは、もう陽が傾き夕方に差し掛かろうかという頃であった。
持ち帰った骨を祭壇に安置すると、宴が始まった。とは言え弔いの席であるが故に、肉や刺身などは供されない。仏教で言う所の精進落としに相当するのだろう、野菜や豆腐などが中心の料理が並ぶ。
喪主の立場にあるのは日出男だが、足の悪い日出男の代わりに陽介が酌をしながら席を回っている。おや、とカナメは違和感を覚えた。──そう言えば照子の姿が見えない。シズクと沢田もだ。女達の雰囲気が何処となくおかしいのも気に掛かる。
しかし誰かに声を掛けて訊こうにも、女達は料理や酒を運ぶのに忙しそうだ。諦めてカナメが料理に箸を付けていると、陽介がカナメの席へとやって来た。酒を注いで貰いながら、少し気になっていた疑問を口にする。
「そう言えば、持ち帰った骨は頭蓋骨のみなんですよね。残りはどうするのですか?」
そうなのだ。焼き上がった骨が冷まされた後、骨壺よりも大きな箱に収められたのは頭部の骨だけだったのだ。残りの骨は灰と共に集められ雨除けのシートを被せられて、山にそのまま置いて帰って来たのである。
「ああ、あれはまた皆で作業するんやけんど、叩いて粉にするんや」
「粉に? 散骨でもするんですか?」
「まあ、うん、似たようなもんやな。そんなところや」
カナメの疑問に陽介は愛想笑いで言葉を濁し、次の席へと移って行った。すると近くに居た水間達夫が寄って来て、にやにやとカナメに囁く。
「散骨っちゅうたら普通は海や山に撒くんやろ? 散骨は散骨でも、瑞池のはちょっと違うんやで」
嫌らしい笑みで語る達夫に片眉を上げ、カナメは無言で酒を飲む。正直、カナメはこの男にあまり関わりたくは無かった。しかし笑いを絶やさず達夫は言葉を続けた。
「粉にした骨をなあ、──畑とか田んぼに撒くんや」
「……田畑に?」
思い掛けない言葉にカナメは目を見開いた。達夫は芝居掛かった仕草で大きく頷くと、ねっとりと台詞を吐いた。
「肥料や。人間様の骨はなあ、ええ肥料になるんや。……瑞池の米も野菜も果物もなあ、みんなみいんな、骨で育っとるんや」
「──っ」
嫌悪感が込み上げる。胃の底が冷たく重くなる。胸が、灼ける。
思わず生まれた嘔吐感を必死に押し留め、カナメはギリ、と奥歯を噛んだ。そんなカナメの様子を知ってか知らずか、楽しそうに達夫は尚も続ける。
「気色悪いと思うやろ? ほなけどなあ、よう分からん化学肥料や農薬やらと比べたら、骨ぐらい大した事無いとは思わんか? 糞だって堆肥にするんや、大差無いやろう。それに、あんたが一昨日食べたあの肉に比べたら、なあ」
粘つくような声が鼓膜に纏わり付き、カナメはこの男を殴り飛ばしたい衝動を必死で堪えた。拳を固めて震えるカナメをにやにやと眺め、達夫はひひひと笑いながら離れて行く。
食欲は失せ、酔いもとうに醒めていた。カナメは静かに立ち上がると広間を抜け出した。喧噪が酷く煩わしくて、とにかくこの場を離れたかった。
──そうだ、シズクを探そう。カナメはそう思い至り、屋敷の北側へと足を向ける。シズクの私室を訪れた事は無かったが、その部屋が何処にあるかは知っていた。冷えた廊下を渡り、閉じられた障子戸の前に立つ。
「……シズクさん、いらっしゃいますか。カナメです。広間に姿が無かったので様子を見に来ました」
声を掛けると、中で衣擦れの音がした。ややあって、細く細く障子が開き隙間から沢田が顔を覗かせる。
「ああ、婿様。──すみません、シズク様は今、体調を崩していて……」
「沢田さんが看病して下さっていたんですね。それで、シズクさんのお加減は」
沢田は少しの躊躇を見せた後、目を伏せ気味に口を開いた。
「熱とかは無いんですけんど、疲れが出たようで……。寝ていれば治るだろうと思うんですけんど、しばらくはあまり人に会いたくないって、その」
「分かりました。お大事にと伝えて下さい。沢田さん、シズクさんを宜しくお願いします」
沢田の様子に少し引っ掛かる物を覚えたが、カナメはそれ以上は追求せずに軽く頭を下げた。戸が閉められる直前、隙間からちらりと見えたのは、壁際に置かれた何匹ものぬいぐるみだった。
カナメは足早に廊下を進み自室へと滑り込む。扉を閉めて些か乱雑に黒衣を脱ぎ捨てると、部屋着である藍の着物に袖を通した。黒衣からは濃厚に煙と雨と死の匂いが漂う。ソファーに身を投げ出すと、それを打ち消すかのようにカナメは煙草に火を点けた。
まだ胸が悪い。気を抜くと吐いてしまいそうで、悪心を塗り潰すかのように紫煙を肺一杯に吸い込む。溜息と共に煙を吐いて、カナメは奥歯を噛み締めた。
*
「シズク様、良かったんです? 婿様に会わなくて……」
布団の横に座った沢田の問いに、シズクは力無く頷いた。頬の腫れは幸いにも酷くはならなかったが、それでも熱を持ってじんじんと痛んだ。手拭いの上からビニール袋に入れた氷を当てて、布団に横になったシズクはまた一粒、涙を流す。
「だって、こんな顔、カナメ様に見られたくない。それに、何と説明すればいいか……」
「……婿様は優しいお人だから、むしろ心配して看病してくれると思うけんどなあ」
「私が嫌なの。いつも私、カナメ様に迷惑掛けて、護って貰ってばっかりで」
そう砕けた口調で呟くシズクに、沢田は眉尻を下げながら静かに笑んだ。
広間の喧噪はこの部屋までは届かない。静かな雨の音だけが遠く響いている。
シズクはきゅうと胸が苦しくなり、寂しさに手を伸ばす。指先に触ったのは茶色い熊のぬいぐるみだ。何処かカナメに似ているそれを引き寄せて、シズクはきゅっと抱き締めた。
またひとしずく、涙が零れる。沢田は何も言わずにただ、シズクを見守るのだった。
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