5-07


  *


 帰宅後は早々に風呂に入り、二人は眠りに就いた。


 深夜、尿意を覚えてカナメが起きた際、シグレの部屋にぼんやりと明かりが灯っているのが伺えた。晴人の死の事はシグレが帰宅した時に伝えておいたが、通夜には行ったのだろうか。しかしわざわざ今確認する必要も無いだろうと、カナメは静かに寝室へと戻った。


 翌朝はしとしとと雨が降っていた。いつもの霧雨では無く普通の雨だ。静宮邸には朝早くから業者が出入りし、届いた花や食材を女達が手分けして運んで行く。


 忙しなく準備が進められ、やがて九時を回った瞬間に井戸家の方角から声が聞こえた。大勢の男達が声を合わせ、おーおおーおーと叫んでいる。警蹕のような物だろうか──それを合図に、葬送の儀は始まった。


 厚い板に頑丈な二本の棒を渡したものに棺を乗せ、男達が神輿よろしく担いでやって来る。わっせわっせと進む度に棺は揺れ動く。やがて担がれた棺は静宮の大広間へと辿り着き、花で飾られた祭壇に据えられた。


 瑞池の葬儀は祝言と同様、仏教でも神道でも無い独自の方式であった。様式や手順をなぞるよりは、悼む事と埋葬する事、そのものに重きがあった。


 皆で別れの挨拶をし、棺に花を飾り、そして準備を終えてまた棺は出立の時を迎える。棺を前に皆が水杯を掲げ一斉に干し、そして同時に叩き割った。陶器の砕ける鈍さを帯びた音が雨を裂く。


 男達はまた警蹕を発し、東の山へと向かう。野焼きをする為だ。火葬場ではなく、集落の住民自らの手で遺体を燃やし灰にして送るのだ。一時期は瑞池も公共の火葬場で火葬を行っていたが、ある時火葬場が家事で燃えて使えなくなり、野焼きの方式へと逆戻りしたという経緯があった。


 野焼きは男達全員で行うのが常だ。日出男も陽介に支えられ足を引きずりながら山道を登り、カナメやシグレもそれに続いた。雨を憂慮する声もあったが、藁も薪も充分な用意がある。木を伐採して作られた広場に木の台を組み棺を据え、準備を調えて陽介が火を点けた。焔は勢い良く燃え上がり、雲を焦がした。


  *


 一方、女達は野焼きに参加する事を禁じられていた。女性は納骨に立ち合う事すら良しとされない風習があった。特に夫が死去した際の妻は葬儀全般に関わる事を避けるべきと言われている。これは、女性の方が死者に連れて行かれ易いと信じられているからに他ならない。


 残された女達は手分けして、祭壇を片付けたり割った杯を掃除したり、宴席の料理を用意したりとそれなりに忙しい。しかし手が足りている事に加え野焼きは時間が掛かる。お喋りに花を咲かせながら女達は焦る事無く手を動かしていた。


 そんな中でただ一人、誰とも喋らずにぼんやりと宙を眺める者が居た。──井戸照子、晴人の妹である。


 兄が死んだ事が余程衝撃だったのか、魂が抜けたように照子はぼうと佇んでいた。祭壇の近くで床に尻を付け、へたりと座り込んだまま動かない。シズクは通夜の際の照子の視線を思い出したが、それでも今の照子の姿が痛ましくてそっと声を掛けた。


「照子さん、大丈夫です? もう直ぐお昼ですけれども、おにぎり食べられそうですか?」


 シズクが心配げに顔を覗き込みながら問うと、照子は焦点の合わなかった瞳をゆっくりとシズクに動かした。ぼんやりしていた目に徐々に生気が戻ってゆく。そしてシズクの姿をはっきりとその眼に捉えた瞬間──照子は、シズクへと手を伸ばした。


「きゃあ!?」


 突然の事にシズクが悲鳴を上げる。照子に腕を掴まれ引き摺り倒され、したたかに肩を打つ。痛みに呻く暇も無く、仰向けに転がされてその腹に照子がのし掛かった。


「ちょう、照子ちゃん! 何しよんの!?」


「何やっとんの、照子さん!」


 照子がシズクに馬乗りになっているという光景に、誰もが驚きの叫びを上げる。しかし照子は周囲の声など意に介さず、その手を振り上げてシズクの頬を打った。パァン、という乾いた音が響き、誰もが呆気に取られて沈黙する。


「あんたの、あんたの所為やんかっ! おにいが死んだんはあんたの所為や……!」


 荒々しく吐き出される照子の声に、シズクは痛みを堪えながらその瞳を見る。照子の目の中には怒りの炎が揺らめいている。


「だってそうやろ!? あんたが大人しゅうおにいと結婚しとったら、おにいは死なずに済んだんや! やのにあんたがあんなポッと出のよう分からん男と結婚するっちゅうて、だからおにいは脅かすだけのつもりで……、そんぐらいのつもりやったのに、死ぬとか思うてなかったのに!」


 怒号と共にもう一発、頬を張る音が響く。その音に我に返った沢田が照子を止めようと走り寄る。


「照子ちゃん! あかん! シズク様を張りますとか何考えとんの!?」


「あんたは関係無いやろ!? すっこんどきい、こののろま!」


 押さえようと取り縋る沢田を突き飛ばし、照子ががなり立てる。床に転がった沢田が呆然と照子を見詰めた。慌てて寄って来た清水や他の女達も皆、照子を注視している。その視線に耐え切れず照子が叫ぶ。


「何でなん、あたしが悪いっちゅうん……!? 違うやん、悪いんはシズクやん! おにいが折角婿に行っていいって、ロックスターの夢諦めてシズクと結婚するって言うてやっとんのに、何で断るん!? おじいも、おとうも、シズクも、あの男もみんな裏切って! だからおにいが死んだんはみんなの所為やん!」


 子供が駄々をこねるように喚く照子の腕を、不意に誰かが掴んだ。はっと視線を下ろした先には、白く華奢な指。血が滲む程に唇を噛んだシズクが、照子の腕を握って睨み付けていた。


「何で、……そうやって、全部私の所為にするんですか。夢諦めずに大阪でも東京でも出て行けば良かったのに。きっと都会なら私なんかより綺麗な女性は一杯いるし、なのに、何で晴人さんは行かなかったんです?」


「そ、……そんなん、瑞池の為に決まっとるやろ! 瑞池の為に夢我慢して、残る事を決めたんや!」


「誰もそんなの、……頼んでいません。結局、怖かっただけなんでしょう、通用しないって、スターになんてなれないって分かってたから、責任を他に押し付けて、」


「うるさいっ!」


 三度目の平手に、女達からひっと悲鳴が上がる。


「あんたに、シズクに言われとうないわ! 瑞池に一番縛られとんのはあんたやろ!? 金の為に知らんおっさん達に媚びへつらって股開いて、瑞池の為って皆の為って言うけど、そんなん娼婦やんかパンパンと何が違うんや! そんな汚い身体でもええっておにいは、」


「もうやめ! 照子ちゃん、言い過ぎやん!」


 喚き散らす照子に沢田が後ろから抱き付き、そのまま床へと引き倒した。それでもまだ暴れようとする照子を、他の女達が取り囲んで押さえ付ける。


「大丈夫ですか、シズク様!?」


 照子から解放されてもぐったりと横たわったままのシズクに、清水が慌てて駆け寄った。張られた頬はじわりと赤く腫れ、瞳からはぼろぼろと涙を零している。噛み締めた唇から滲む血が赤く、赤く映えた。


「……私、分かってる。そんな、……今更、照子さんに言われなくったって、分かってる……! だから、だから私みたいになって欲しくないって、皆には自由に、……ぅぐ、ひっく……う、うぅうううう……あ、ああああぁあああ!!」


 雫めいた呟きがほろほろと零れ、涙と共に畳に落ちる。言葉は次第に震えに飲まれ、押し殺した嗚咽はいつしか慟哭に変わる。


 余りにも痛々しいシズクの感情の暴発に、誰もが目を伏せる。シズクに全てを押し付けて安寧を貪ってきた事実を突き付けられ、誰もが息を殺した。清水と沢田だけがシズクを介抱し、押さえ付けられたままの照子だけが唯一、言葉を上げ続けている。


「シズクの所為ちゃうっちゅうんやったら、おにいは何で死んだんや! 瑞池におにいは殺されたんか! 瑞池がおにいを殺したんか!! 答えてや! 誰か、答えてやああぁあああっ……!!」


 正解の無い絶叫に、誰もが口籠もった。雨でさえ消せない痛みだけが、大広間に虚しくこだまする。重なる嘆きだけが寄り添うように、響き続けていた。


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