5-05


  *


「コトホギ……そうか、あの目と髪の灰色は、寿家の血……!」


 呆然と、カナメは呟いた。頭の中でシズクとシズキの姿が重なる。


 かつてシズキは語ったのだ、母方の祖先が寿家の血を引いていると。自分は先祖返りなのだと、黒目勝ちの灰色の瞳を細め、艶やかな灰色の髪を揺らし微笑んだのだ。


 しかしカナメはシズキ以外に灰色の髪と目を持つ者を見た事が無かった。それまでカナメが出遭った事のあるシズキ以外の寿の血縁者は皆、灰色を有してはいなかったのだ。


 ──寿家の血を引く者全てが灰色を有する訳では無い。特別に霊力の高い者、もしくはより『ヒルコ』に近い性質を持つ者のみが灰色を携えて産まれるのだ。故に、カナメは気付けなかった。思い至れなかった。シズキと同じ灰色を持つシズクが、寿の血を引いているという可能性に。


 しかし、今ならば頷ける。シズクがシズキに何処か似ていたのも、シズキの面影を感じてカナメが一目で惹かれたのも、偶然でも運命でも無く全て必然だったのだ。


 そこまで思い至り、カナメの口からは大きな溜息が零れた。


 煙草でも吸いたい気分だったが、この書類だらけの部屋は恐らく火気厳禁だろう。ゆっくりと立ち上がると少しばかりくらりと眩暈がする。露子の帳面を紐解くのに随分と集中したままだったようだ。凝った首を動かすとぱきりと骨が鳴った。


「あ、カナメ様。ご休憩ですか?」


 カナメが自室で一服しようと部屋を出た所、ばったりシズクと鉢合わせた。どうやらようやく用事が済み、少しでも手伝おうと書庫へとやって来たようだ。


「少し気分転換に煙草でも吸おうかと。……忙しければシズクさんは無理にやらなくても良いのですよ。今晩も通夜がありますし、午前中も蔵を探索したばかりです。身体に差し障りませんか」


「それはそうかもですが、でも……」


 実際、いつもより無理をしている自覚はあるのだろう。言い淀むシズクに、ならば、とカナメは言葉を続ける。


「少し早いですが、折角ですのでお茶の用意をして頂けませんか。二人で休憩してから次の事を考えましょう。自分も根を詰めて少し疲れましたし」


「あ、はい。それでしたら直ぐお持ちしますね」


 カナメの提案に、花が綻ぶように笑顔が零れる。いそいそと準備に急ぐシズクの背を見送り、カナメは自室へと足を向けた。


 まだ数日しか過ごしていない筈の洋間は何故かしっくりと馴染み、落ち着く場所となっている。扉を開けると狸が顔をこちらに向け、きゅう、と声を上げた。


「……そのソファー、もう完全に安田さん専用ですね」


 気が付くと三脚あるソファーセットの内、一人掛け用の物はすっかり安田さんの定位置となってしまっていた。気にしない事にしてソファーに腰を下ろし、煙草に火を点けてカナメはんんんと伸びをする。反らした背がぽきぽきと音を立て、カナメは少し苦笑を漏らした。


 程無くシズクが盆を持って訪れた。今日のおやつは珈琲と『お嫁さんのお菓子』である。昨日の祝いの席で配ったものの残りなのだろう。


 『お嫁さんのお菓子』とは、徳島において花嫁行列の時に配る菓子の事だ。婚礼の様相が変化し花嫁行列の風習が無くなった今でも、引き出物に付けたり祝宴がお開きとなったお見送りの際に配ったりする事も多い。


 地方によって様々な形態のものがあるが、徳島では白くて円形のふわふわした煎餅に赤や緑で淡く色を付け、砂糖で薄く覆ったものが一般的だ。さくさくとした歯触りと甘さ、そしてふわりとした色使いがなんとも『花嫁』という雰囲気に相応しい。


「私、これ昔っから大好きなのです。でも婚礼の際にしか食べられないでしょう? それが子供の時分には悲しくて悲しくて……『何処かに早くお嫁さん来ないの?』って清水さんに何度も訊いて笑われた事もありました」


 シズクがさくさくと菓子を食べながら幸せそうに笑う。何とも微笑ましい逸話に、カナメも笑いながらカップを口へと運んだ。


「そう言えばこれ、色の付いていない白いのをお盆のお供えにする風習もありますよ。お盆と言えばお団子が定番ですが、それとは別にこう、高坏の上に懐紙を敷いて、十枚ぐらいを積んで重ねて」


「何ですかそれずるいです、それだと婚礼が無くても毎年食べられるではないですか!」


 驚きに目を見張り立ち上がらんばかりの勢いで喋るシズクが面白くて、カナメは更に衝撃の事実をシズクに告げる事にする。


「何なら和菓子屋さんに行けばいつでも売ってますよ」


「……っ、それは本当なのですかカナメ様!?」


「更に言えばスーパーマーケットでも売っていたりしますよ」


「……!?」


 もはや驚きに言葉も出ないシズクの様子が可笑しくて、カナメは腹を抱えて笑う。


「わ、笑わないで下さいまし! あっそんなに笑うという事は、嘘なんでしょう!? もしかして騙したんでしょう!?」


「ははは……いや、その、いつでも売ってるというのは本当ですよ?」


「もう! カナメ様ったら信用ならないです!」


 そう怒りながら砂糖とミルクをたっぷり入れた珈琲を啜るシズクが可愛らしくて、カナメは口許を緩めながら甘い菓子を頬張ったのであった。


  *


 珈琲を飲み終えた後、結局二人は鍵を探しにシグレの部屋へと向かう事にした。先にやるべき事を済ませておいて時間が余れば書庫に籠もる、そういう流れで話が纏まったのだ。


 シグレの部屋には鍵などは付けられていない。そっと障子戸を開けると、先日結婚報告に訪れた時とほぼ変わり無い部屋の様子が見て取れた。広めの畳敷きの部屋はきちんと整頓されており、掃除も行き届いているようだ。


 襖で区切られた隣の小部屋を寝室として使っているようだが、そちらはがらんとして何も無さそうだ。調べる必要は無いだろう。


 目立つ家具は広い天板の勉強机と椅子、ぎっしりと本の詰まった背の高い本棚、それから大きめのクローゼットといった所だ。押し入れと天袋も備えられている。思ったよりも探すべき場所は多そうである。


 普段ならばまだシグレが帰って来るような時間ではない。しかし念の為に一人が見張りに立ち、もう片方が捜索をするという事で話は纏まった。最初に見張り役を務めるのはカナメだ。シズクは早速、勉強机の引き出しへと手を伸ばす。


「そうしょっちゅう使う物では無さそうですが、わざわざ取り出しにくい場所に置いておくとも考えにくいです。細々した物を仕舞うのならば、やはりこういった場所が定石だと思うのですよ」


 開いた引き出しの中は几帳面に仕切りで区切られ、綺麗に整頓されていた。何が仕舞われているのか一目瞭然で、あの鍵穴に見合うような大きさの鍵は見当たらない。次々と開く他の引き出しも同様で、シズクはがっかりした表情で引き出しを元に戻した。


「では交代ですね。シズクさん、見張りをお願いします」


 見張りの交代は時間制ではなく、一箇所調べ終わる毎という取り決めだ。カナメはクローゼットを開け、手際良く探ってゆく。粗方調べ終わったが目ぼしい物は見付からない。一応、二重になっていないか引き出しの底などを叩き確かめるが、そのような仕掛けは無さそうであった。


 またシズクの番であるが、今度は本棚を調べる事にしたようだ。しかし背の高い本棚にはぎっちりと本が詰まっていて、わざわざ一冊ずつ取り出していたのではきりが無い。どうしたものかと躊躇した挙げ句、シズクは下の方の段にある大判の図鑑やアルバムを調べ始めた。


「子供の頃は、……あにさまとも、もっと仲が良かった筈なのに」


 ぱらぱらとアルバムを繰りながらぽつり零れた言葉に、カナメは気付かない振りをする。シズクは本棚の下段を一通り調べ終わり、はあと溜息をつきながらカナメの許へとやって来た。


「カナメ様はどう思われます? 本棚はやはり可能性が低そうでしょうか」


「そうですね、隠そうと思えば一番隠せそうな場所ですが、調べるとなるとかなり厄介です。本棚に時間を取られるよりも、自分は押し入れを調べてみようかと」


「やはりそうですよね。正直、あまり押し入れは開けたくなかったのですけれど……」


 少し憂鬱げなシズクの言葉に、カナメも内心同意した。……嫌な気配がするのだ。シズクもそれを感じ取っているのだろう。しかし、目的がある以上は調べない訳にはいかない。カナメは見張りをシズクに任せ、押し入れの前へと足を進める。


「では、……開けますよ」


 カナメはそう宣言し、襖をゆっくりと滑らせる。


 ──黒い靄が溢れ出す。それは、蔵の地下へ通ずる扉から漏れていた瘴気と、同じ気配がした。


  *

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