5-04


  *


「……開きませんね。どうも鍵が掛かっているようです」


 収納式の取っ手を持ち上げ、カナメがガタガタと扉を揺らしてみるものの、一向に持ち上がる気配は無かった。取っ手の傍には大き目の鍵穴が見える。恐らく誰かが施錠しているのであろう。此処に荷物を置いて隠している人物が鍵を所有しているだろう事は想像に難くない。


「鍵なんて誰が、……それに此処は何の部屋なのでしょうか」


 シズクの疑問に、立ち上がり荷物を元通りに直しながらカナメが応える。


「この蔵に入る事の出来る人物は、自分とシズクさん以外には二人しかいません。そしてその片方であるシュウコさんは、自分で出歩ける状況ではありませんでした」


「という事は……残る一人は、あにさま、なのですか」


「そういう事になります。シズクさんは此処の物らしき鍵は見た事が無いんですよね? ならば恐らく鍵を持っているのはシグレさんでしょう」


 シズクは驚きに目を見開き、口許に手を当てる。注意深く荷物を直したカナメが手に付いた埃を払い、真剣な表情で頷いた。


「今迄シズクさんにも隠し通していた程ですから、シグレさんに直接訊いても、きっとはぐらかされるでしょう。……シグレさんは今日も大学に行っているのですよね?」


「まさか、カナメ様」


「シグレさんの部屋に鍵はある筈です。少し気が引けますが……、後で探させて頂く事にします。自分がやりますので、シズクさんはもし露見しても無関係だと否定して下さい。自分一人だけならば、間違って入ったとか何とか幾らでも言い訳が立ちますので」


 カナメの話す内容にシズクは少し狼狽え、視線を泳がせた。兄の部屋を家捜しするという行動が、倫理的に受け入れられず戸惑っているのだ。カナメは気遣わしげにシズクの肩を抱き、優しく囁く。


「シズクさんは何も心配する必要はありません。自分が勝手にやりますので、──」


「いいえ」


 シズクは顔を俯かせたまま、ふるふると首を振る。


「私も、一緒に行きます。……あにさまの部屋には何度も入った事があります。きっと、私の方が隠し場所の目星も付け易いと思います」


「……良いのですか?」


 カナメが心配の色を滲ませながら尋ねると、シズクは意を決したように顔を上げ、カナメの瞳を真っ直ぐに見上げた。


「……私は静宮の当主代理です。私の知らない場所が静宮の屋敷の中にあるなんて、それでは駄目だと思うのです。私、知らなくてはなりません。ですから一緒に参ります」


「分かりました。では、午後に書庫を少し捜索した後で実行する事にしましょう。今夜は晴人君の通夜もありますし、鍵を見付けても実際に使うのは明日以降になりそうですが」


「ええ、それで構いません。……そろそろ戻りましょう、カナメ様。皆の分もお昼の支度をしませんと」


 そして二人は蔵を出、母屋へと戻る。相変わらず広間からは女達の声が響いていた。


 曇天は変わらず靄の如き霧雨で集落を包んでいる。この雨は誰の為の物なのか──カナメはふと空を眺め、そのような思いに囚われるのであった。


  *


 昼の振る舞いは握り飯と蕎麦米汁であった。蕎麦米とは蕎麦の実の入った汁物であり、徳島の郷土料理だ。醤油味の澄ましには他に大根や人参などの根菜と、それから鶏肉の細切れがどっさりと入っている。食べ応えのある温かい汁物は身体に染み渡り、皆笑顔で昼食を平らげた。


 昼食後はカナメも片付けに手を貸し、主に力仕事を手伝った。畳んだ長机を運んでいると、遠くからコーン、コーンと釘を打つ音が聞こえる。女達曰く、男衆が棺を作っているのだという。瑞池では葬儀屋を呼ばず、皆で全ての準備をするのが慣例のようだ。


 そしてあらかたの手伝いを終えた後、カナメは早速書庫へと向かった。


 シズクはまだ用事が残っているとの事で、先に一人で収められた書類を見て回る。奥の壁際にある一番大きな棚には証書や権利書など、公的な書類が纏められているようだ。家具などを購入した際の領収書を収めた書類入れや出納帳の類いが雑多に並べられており、この辺りは必要無いようだとカナメは他の棚へと移動する。


「確か年代順に並べられていると、シズクさんは言っていたような……」


 見当を付けて左手側の奥にある棚を漁ると、紐で綴じられた古そうな帳面が目に付いた。手に取って開くと明治十年との記載がある。──どうやら、この辺りが一番古い記録のようだ。


 並んでいた帳面をぱらぱらと捲って見比べ、数冊を手に取るとカナメは部屋の隅へと足を向けた。簡素な机と椅子とが設置されているのを見付けてあったのだ。机の上にはペンと朱印、それに『静宮』の三文判などが放置されている。カナメはそれらを隅に寄せると、腰を下ろし帳面を捲り始めた。


 ──それは最初の静宮家当主、静宮露子の覚え書きであった。


 日記という程には日時が規則的では無く、日付の書かれていない箇所も多々見受けられる。予定や行事の日取りなどに混じって感情の吐露めいた文も記されており、その内容は混沌としていた。他人に見せる気の無い、私的な帳面だったのだろう事が窺えた。


 細い筆で書かれた文字には癖があり、最初は解読に苦労したものの、直ぐに慣れてすらすらと読めるようになった。大学時代に崩し字の古文を散々読まされたおかげだろう。カナメは帳面を繰りながら、その内容を頭の中で整理する。


  *


 ──露子の生業は元来、歩き巫女であった。歩き巫女とは旅をしながら霊力を奮い謝礼を貰って糊口を凌ぐ、流浪の霊能者の類いである。広い解釈では、特定の寺社に属せず活動するいわば民間の拝み屋というのも含まれるようだが、露子は前者であったようだ。


 腕の或る歩き巫女として主に西日本を回っていた露子であったが、明治の初期、転換点が訪れる。政府から『梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件』、所謂『巫女禁断令』が出されたのだ。これにより、露子はそれまでのように活動を行う事が出来ず、生活はたちまち困窮した。そんな露子が或る時訪れたのが、とある集落である。


 川縁にひしめくように小さな家の建ち並ぶそこは、虐げられる人々の棲む被差別部落であった。所謂解放令が出されて以降、彼らもまた困窮していた。規模の小さな部落だった故に解放令反対の農民による襲撃などは免れてはいたが、それでも投石などの嫌がらせは日常茶飯事であり、また解放令による特権が取り払われた所為で仕事を失う物も多く、彼らは日に日に貧しくなる一方であったのだ。


 口減らしに餓えた幼子が見殺しにされ、また近親婚の所為で産まれる畸形や脳障害の赤子が間引かれるのを目の当たりにし、──露子はそこに、活路を見出す。


 露子は彼らに、共に新しい地に移住し、集落を拓かないかと申し出た。このままでは先が無いと絶望を感じていた人々は、あっさりと露子の提案に乗る。露子は以前近辺に来た際に知り合った金剛寺を頼り、移住先と当面の資金を見事手にする事に成功した。土地を離れるのを拒んだ老人や働けない病人だけが残り、彼ら一団は移住を開始したのだ。


 そこからは全てが順調だった。水害の元となる水神を鎮めた後は何もかもが上手く行った。計画的に田畑を開拓し家を建て、露子と井戸言えの長を中心とする共同体を形成した。土地が肥沃だったのか農耕も軌道に乗り、餓える心配は無くなった。


 そしていよいよ、露子はかねてからの計画を実行に移す。


 元々露子はそれなりに名のある術士の一族の出であった。霊力の高さから将来を有望視されていたが、──露子はふとした事で、邪法に魅入られる。


 邪法、呪法、禁術……。呼び方は様々であるが、人の道から外れ、人を害する事に特化した術である。露子は特に人を呪殺する呪い具の製作に取り憑かれ、そして能力を遺憾なく発揮した。一族はそんな露子を勘当し、氏素性を名乗る事を禁じる呪いを掛けて放逐した。


 以降、露子は歩き巫女として放浪の旅を続けて来たのだ。──心に、一族への復讐を誓いながら。


 露子にとって部落の人々はとても都合の良い存在だった。間引かれた子供や流れた胎児、畸形の赤子はとても良い呪法の素材となるのだ。露子はそれらを使って呪い具を作り、地元の有力者達に売り込んだ。露子の呪いはよく効いた。そして権力を持つ者というのは皆、一人や二人は消したい存在がいるものだ。


 集落は露子の呪法によって栄えた。裏で話を聞き付けた権力者達は度々瑞池を訪れるようになった。瑞池は更に栄え、呪法の取引による伝手も出来、ますます住み良い土地となっていく。嫁の来手も増え、呪法の素材が足りなくなれば子を産んで用済みとなった嫁達を潰した。


 金を貯め、力を蓄え、露子は自分を追放した一族に復讐する為だけに生き続けた。それは恐らく、死を迎えるその瞬間までついぞ変わる事は無かった。


 ──その一族の名はコトホギ。その祖はイザナギとイザナミの最初の子、川へと流されたヒルコだと言われている。生とも死とも、男か女かも分からぬ曖昧な存在。そのようなヒルコの魂を慰めるべく、せめてもと寿の字を与えられた一族。


 寿露子──それが失われた、露子の本当の名前であった。


  *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る