5-02


  *


 カナメが連れて来られたのは井戸宅の応接間らしき部屋であった。絨毯敷きに革張りのソファーセットが置かれ、その中央に据えられた卓もどっしりと立派な物だ。色付き硝子の天板からは精緻な彫刻が見て取れる。飾り棚には干支の像などが飾られ、和室の客間とはまた違った意味での重厚感のある部屋だ。


 日出男はソファーに腰を下ろすとカナメにも座るよう顎で示した。大きな灰皿を中央に寄せると、日出男は煙草入れからピースを一本取り出しマッチで火を擦った。カナメも失礼して懐から取り出した自らの煙草を咥える。


「ほう、ゴールデンバットか。渋いの飲んどるな、若いのに」


「験担ぎみたいなものです。……それより、何かお話があるんでしょう?」


「まあそう急くでないわ。今、照子に茶を用意させとるんだ。それが来てからでも遅うはないだろう」


 照子というのはどうやら陽介の子、日出男の孫にあたる娘だ。晴人の妹であるらしい。二人で煙草をふかしていると、しばらくして髪を肩口で切り揃え洒落た服装をした女が入って来た。言葉少なに茶と干菓子を並べると、目も合わせずそそくさと部屋を出て行く。


 静寂が戻った部屋の中、ようやく日出男が口火を切った。


「何から話せば良いだろうな。……まずは晴人の事からいくかの。──あの死体、お前さんにはどういう意味か分かるか?」


「意味、と言うと……もしや、その、呪法の事ですか」


 戸惑いつつも探るようにカナメが答えると、日出男は紫煙を吐きながら満足げに頷く。


「そうだ。あれは呪詛返し、逆凪、呪い返し……言葉は何でもええ。そういうもんを喰らった結果の姿でな。ここまで言えば、晴人が死んだ理由は解るだろう」


「まさか、シュウコさんに呪法を使ったのは晴人君ですか。何故、そのような事を……」


 カナメが目を見開いて声を上げると、皮肉げに口許を歪めながら日出男は茶を啜った。


「ほう、呪法はシュウコに行ったか。狙いが逸れたのかどうかは知らんが、それはお前さんへのもんだった筈だ。心当たりはあるだろうて?」


「まあ、それは……シズクさんとの結婚の事でしょうね」


「わしの前で投げ飛ばされて恥を掻いた、っちゅうのも含まれとるだろうよ」


 気まずそうに茶に口を付けるカナメを見ながら日出男が笑う。


「とにかく晴人は呪法を使うた。そしてそれが失敗した。しっぺ返しは手痛いもんだ、特にただ術を使ってみただけの素人に取っちゃあな。だから腹を食い破られて死んだんだ。因果応報、自業自得だ」


「それはその……すみません」


「お前さんが謝る必要は無かろうて。お前さんは火の粉を払っただけだろう? さっきも言うた通り、自業自得の産物じゃとて」


「割り切っておられるんですね。こちらとしてはありがたいですが」


 カナメがライターを擦ると同時、日出男もまたマッチを擦った。新たな紫煙が二本、ゆっくりと宙に立ち昇る。


「お前さん、あの住職の、アミダの弟子なんじゃってな。祝いの席で初めて知ってたまげたわい。それで全部、合点がいった」


「隠していた訳では……いや、ええ、多少隠してはいたのですが。確かにアミダの頼みによって自分が瑞池に来たのは本当です」


 しどろもどろのカナメの様子に、堪え切れずはははと日出男は笑う。


「ええわ、ええわ、分かっとる。波木の道子があの寺に逃げ込んで、瑞池の異変を調べに来たっちゅうんじゃろ。住職からあらましは聞いとるでな。安心せえ、他の奴等には言わんでおく」


「ありがとうございます。しかし、何故日出男さんは」


 問おうとしたカナメの言葉を、日出男は首を振って遮った。そして盛大に煙を吐くと灰皿で乱暴に火を揉み消す。


「井戸家はな、──最初からこの地に住んどったんだ。此処に皆が移り住んで、此処が『瑞池』になる前からな」


 日出男曰く、──井戸家は元々、金剛寺の住職の家系とは遠い親戚に当たるらしい。元来瑞池の東の山には金剛寺が管理している墓地があり、井戸の祖先は墓守の役目を担っていたのだという。


 しかし明治も十年を過ぎた頃、或る一団が山に住まわせてくれと金剛寺に頼みに来たのだと言う。当時の住職は快くあの土地をその者らに分け与えた。その際に井戸家はその集団の長となるよう住職に命ぜられたのだと、日出男は語る。


「そして明治十一年、『瑞池』の集落が誕生した。井戸の名字はその際に貰った物だ。それ以来、井戸家は此処で長を務めとるんだ。──井戸の『井』は境界を、分断された場所を表し、『戸』は文字通り扉を示す。危うき者が入って来ないよう、扉を護る役目を仰せつかったという事だな」


 日出男は遠い目をしながら茶に口を付け、溜息を吐いてからまた口を開く。


「昔はな、井戸の祖先は少しばかり術が使えたんじゃ。イモリは井戸の守りとよく言うだろう、イモリを操る術だ。井戸の名はそれとも結び付けてのものらしい。しかしもう失われて久しい術でな、今は過去に祖先が作った呪法の道具が少しあるだけだ。恐らく晴人は蔵かどこぞでそれを見付けて使ったんだろう」


「ならば、瑞池で見掛けるイモリというのは、井戸家が管理というか、眷属などとして使っている訳ではなく?」


「もうイモリを使役するような力は今は持っとらん、井戸家の手を離れて久しい。あれは……恐らく、イモリが瑞池に張られた結界や静宮家の巫女の力を吸収して、独自に呪いとして進化したもんだ。いわば、瑞池そのものがイモリの使役者となっとるんだろうよ」


「瑞池、そのものが……」


 なんと厄介な、と呟いたカナメに、再び煙草に火を点けながら日出男は言葉を発する。


「……今の瑞池の構造を作り上げたのは、シズクの曾祖母のウキヱだ。あの婆は瑞池を拓いた初代の静宮当主と同等か、それ以上の力を持っとったと聞く。戦時中も瑞池の人間が徴兵されんかったのは、ウキヱが軍部に掛け合ったからだそうだ」


「軍部に……? 一介の集落の女が、どうしてそのような事が可能だったのです?」


「ウキヱの霊力を欲した上層部が、秘密裏に結成された『祈祷部隊』にウキヱを徴収したそうだ。それに参加する代わりに瑞池の男達の徴兵を免除しろと、ウキヱはそう持ち掛けたらしい。軍はそれを承諾したっちゅう訳だな。祈祷部隊とは実際には呪いで敵国を攻撃する『呪殺部隊』だったんだそうだ」


「呪殺……。何とも荒唐無稽な話のようにも思えますが、当時は本気だったんでしょうね。で、そのウキヱさんはそれ程に能力が高かった、と」


「そうじゃ。それでウキヱに変えられていく瑞池を見とれんかったわしの親父は、ウキヱを殺そうとして返り討ちに遭った。呪法を三倍にして返された親父は、死んでも尚赦されず、見せしめの為に朽ちるまで吊された」


 さらりと日出男が零した言葉に、一拍置いてカナメは息を飲んだ。──先程、晴人の遺体を前にして日出男は『わしの親父も似たような死に方をした』と言っていたが、恐らくはそれの事なのだろう。


「とまあ、わしの話はこんなもんだ。これ以上踏み込んでは話せんしな。ああ、そういやあ、祭とかについて聞きたいとか言うとったが、話しそびれてしもうたな。ちょいと疲れたし、今夜の準備もせにゃあならん、また晴人の弔いが済んでからでもええか?」


「それは構いませんが……一つだけ。何故、自分にこのような事を話して下さったんです?」


 静かに質すカナメの目を見ながら、茶を啜り諦めたように日出男は笑った。


「もう疲れたんじゃ、この歪つな瑞池を護る事にな。ただ朽ちてゆくだけならそれでも良かった。でもな、お前さんが現れた」


 黙ったまま先を促すカナメを見遣りながら、日出男は溜息をつく。


「もうウキヱもおらん、シズクも子が産めん。何とか繋いだところでいずれ滅ぶ地だ。なら、お前さんが好きにするといい。滅ぼすのも、救うのも、──全部、お前さんに任せるわ」


 日出男はそう吐き切ってから、煙草を吸おうとしてもう煙草入れが空になっている事に苦笑した。一本貰えんか、と手を伸ばした日出男にカナメは自身の煙草を差し出す。


 日出男が咥えた煙草の先に、カナメは黙ってライターの火を近付けた。火種が先端に朱く灯る。深く吸い込んでから、なかなか美味いな、と日出男は呟いた。


 ゆっくりと立ち昇る紫煙越しに見える日出男は、話を始める前よりも随分と老けたような気がした。薄く煙る部屋に差し込む陽光は霧雨にぼんやりと、ただ部屋を鈍く照らしていた。


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