五章:弔いの火と、生ける死者

5-01


  *


 井戸晴人の屍体が見付かったのは、宴の翌朝の事であった。


「死んでたって、それは……間違い無いのですか」


「日出男さんが断言しておられましたので、その、……どうやら、普通の死に方では無かったのだとか」


「分かりました、直ぐに向かいます。井戸宅の裏庭ですね」


 ──昨日は夕方に宴会がお開きとなり、後始末もそこそこに皆は帰って行った。片付けは翌日、午前中に手すきの者達が行う手筈だ。カナメとシズクは余り物で小腹を満たし、手早く入浴を済ませ、早々に布団に潜り込み幸せを噛み締めながら眠りに就いた。


 そして翌朝、疲労の所為かいつもより遅くまで寝ていたカナメを、突然の訃報が叩き起こしたのだ。


 顔を洗い水だけを飲み干して支度を整えると、朝食も摂らずにカナメは井戸宅へと向かった。到着すると既に何人かの男達が集まっており、皆が一斉にカナメを見遣る。そして井戸家の長である老人、日出男が眉間に皺を寄せたまま口を開いた。


「ああ、あんたも来てくれたんか。祝言の翌日っちゅうのにすまんな」


「いえ。日出男さん、晴人君が亡くなったというのは本当ですか」


 カナメの疑問には答えず、日出男は裏庭にある古く大きな井戸を顎で示した。裏庭には一昨日、猪を解体した際に使用したらしき木の板などがまだ放置されている。カナメはそれらを避けながら歩みを進め、ゆっくりと井戸に近付いた。


 古井戸は直径が一メートルを優に超える大きな物だ。その脇に扉ほどもある木の板が敷かれ、そこに晴人は寝かされていた。その姿を見下ろしたカナメは、──異様さに、息を飲む。


 腹は猛獣に食い破られたように裂かれ、千切れた肉や皮膚がぼろぼろになって胴体から垂れ下がっていた。しかしその腹の内には、臓物が、無かった。虚のように開いた腹の中で、びっしりとイモリが蠢いている。


 顔は苦悶に歪み、しかし潰れた目や広がった鼻孔、そして開かれた口からも多くのイモリが出入りしている。それだけ損傷が激しいというのに、不思議と手や足には傷も傷みも一切見当たらない。


 死後幾らか日数が経過しているらしく、汚水と糞尿と生臭さの混じった臭気の上に、濃い腐敗臭と肉の腐ったガスじみた刺激臭が辺りに漂っていた。


「これは……」


 カナメが絶句していると、陽介の肩を借りた日出男が近付いて来た。息子の変死体を目の当たりにした陽介の顔色は真っ青だが、それに比べると日出男は随分と普通の表情をしていた。


 明らかに普通のものとは思えない死体を前に、カナメは出来るだけ通常に起こり得る可能性を絞り出す。


「熊は四国には居ませんし、とすると猪にやられたというのが順当ですかね……? 野犬という線も」


「この辺の山に犬はおらんな。猪はまあ、もしかしたらそうかも知れんが、だとしても臓物だけ喰って他は手え付けとらんのは違和感がある」


「警察などは呼ばないのですか? 救急車は?」


「いや、どちらも呼んどらん。代わりに柿峰医院に電話した」


 カナメの問いに日出男が平然と答える。どちらにせよもう事切れとるから救急車は要らんわ、と付け加えながら。


「晴人は木曜の昼から姿が見えんかった。てっきり憂さ晴らしに大阪か神戸にでも遊びに行っとるもんと思うとったが……、どうやら違ったようだな」


 土曜に猪を解体した時には気付かなかったのだと言う。今、晴人を寝かせてある板は元々古井戸に蓋として被せられていた物らしい。今朝、解体の後片付けを始めようと裏庭に集まった際に遺体が発見されたようだ。陽介が蒼い顔で声を震わせる。


「最初に俺が裏庭に来た時にはもう、その板はずり落ちたみたいに外れとった。そんで晴人が、こう、井戸からまるで這い出て来たみたいに、井戸の縁から身を乗り出して死んどったんだ。だから慌てて他の皆に……」


「それで皆で晴人さんを引き上げて寝かせたんですね。その時からもう、この状態でした? イモリも?」


「そうだ。何ならイモリはもっと全身にたかっとった。これ、何なんや、晴人はイモリに喰われて死んだんか?」


 陽介が恐怖に声を引き攣らせ、ざわざわと他の男達も口々に不安を呟いている。間違って井戸に落ち、死んだ後にイモリに喰われたのか、それとも──。カナメが晴人の死体を観察していると、表でバタンと車のドアの閉まる音が大きく響いた。


「皆さんおはようございます。それで、晴人君は何処に?」


 白衣を翻し小走りで姿を現したのは柿峰医師であった。朝早くからすまんな、と日出男が軽く手を上げる。カナメも立ち上がって会釈し、柿峰に場所を譲った。


 遺体の傍にしゃがみ込んだ柿峰が、腹の内を見てひっと引き攣ったような声を上げる。


「イモリ……!しかもこんなに大量に! こいつらを取り除かない事には詳しい死因なんて調べようも無い。誰か、こいつらを追い払うの、手伝ってくれませんかね」


「ああ、では自分が手伝います」


 カナメは柿峰に声を掛けると、板の反対側に回り込んだ。すると柿峰が白衣のポケットから使い捨てのビニール手袋を取り出して、一双をカナメの前に差し出す。頭を下げてそれを受け取り装着すると、カナメは晴人の腹へと手を伸ばした。


 大量のイモリは、しかし二人が引き摺り出そうとすると皆、ぬちぬちとのたうちながら晴人の身体からこぞって這い出して来る。奥の方に隠れていたらしき物もぬめった体躯をくねらせながらにじり出て、あっという間に散り散りになって消え失せた。


 頭部のものも同様で、口の中に指を突っ込もうとすると眼窩や鼻や耳から我先にとイモリが飛び出した。その光景は大変におぞましい物ではあったが、イモリを除去するという目標そのものはさほどの苦労無く達成出来たのであった。


 カナメは手袋を外して立ち上がると、ううんと背を伸ばしながら柿峰に問う。


「もうこれでイモリは全部いなくなったようですね。それで柿峰先生、見立ての程は如何ですか」


「おいおい、そう急かすなよ。……解剖してみないと詳しい事は言えんが、食べられたかどうかは置いておいて、内臓が取り去られたのは死亡した後だろうな。ただはっきりした死因はまだ不明だ」


 そう言いながら肩を竦める柿峰に、日出男が不満げな声を漏らす。


「別に詳しく調べて欲しいとは思うとらん、死因なんざ適当でええだろう。それらしい理由をでっち上げて、その、死亡診断書とか言ったか、あれをちゃちゃっと書いてくれりゃあええ」


「適当にちゃちゃっと、って親父、晴人は家族なんやで。そんなんでええんんか……!?」


 日出男の物言いに陽介が驚いて声を上げる。しかし日出男はふんと鼻を鳴らすと、蔑むような目を陽介に向けた。


「こいつは恐らく、自業自得の理由で死にくさった。多分やったらあかん事をして、その報いで死んだんだ。因果応報ってえ奴だな。そんな死に方をした奴に、家族だからっちゅうて手厚くしてやる必要は無いだろうよ」


「そんな、親父……、それ、どういう……」


「わしの親父、お前の爺さんも似たような死に方をしたんじゃ。それに対して皆は冷淡で、まともな葬儀すら結局上げんままだ。晴人はそこまでの扱いをするつもりは無い、ちゃんと葬式も出してやるけん心配せんでええ。それにわざわざ腹裂いて調べるとか、柿峰先生も面倒だろうて。手間が省けてええやろう」


 柿峰は無言で立ち上がり、苦々しい顔をしながらじっと日出男の言葉を聞いていた。そして何かを堪えるように目を閉じると、しばらくしてゆるゆると首を振る。


「分かりました。死因は溺死、誤って井戸に転落したという筋書きでいいですかね」


「ああ、無難だな。それで頼むよ」


 くいと眼鏡を押し上げると、柿峰は大きく息をつき、そして靴音を響かせて去って行った。カナメはその背中を黙って見送ると、再び晴人の遺体に視線を落とす。


 腹の皮膚と肉は、裂かれて襤褸布の如く穴の周囲に垂れ下がっている。そのさまは花が開ききり花弁が落ちかける様子にも似て、──まるで内から引き裂かれぶち抜かれたかの如くに見えなくもない。


「皆、昨日までも忙しかったが、どうも立て続けですまんな。今夜が通夜、明日の夜が葬儀だ。週末は祭だし、詰め詰めだがすまん、頼む」


 日出男が皆にそう声を掛け、戸惑いながらも皆は頷く。カナメの視線が日出男のものとぶつかる。


「婿さん……カナメっちゅう名前やったか、あんたにゃあちっと話がある。わしに付いて着てくれんか」


「ええ、分かりました」


 カナメが了承を返すと日出男は軽く頷き、他の男達に指示を出す。そして足を引き摺りながら家の中へとカナメを導くのだった。


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