4-08


  *


 瑞池での婚礼の儀は所謂『祝言』の形式で行われる。神前式などとは違い、集落の住民の前で固めの杯を交わす事で夫婦として認められるというものである。その後、参加者全員で杯の儀を行い、以降は宴会へと移行する流れだ。


 ──そしてまさに式の直前、控えの間には二人の男の姿があった。


 どちらも紋付きの羽織袴を纏っている。片方は本日の主役の片割れたる花婿カナメであり、もう一人は金剛寺住職、カナメの養父にして術士としての師匠であるアガナ・アミダであった。


「しかしお前さんが結婚するとはな。しかも急にと来たもんだ。いきなり電話で『結婚するので式に出てくれ』と言われた日にゃあ、流石にたまげたぞ」


「本当にすみません御師様。急にお呼び立てして、こんな役までお願いして」


「まあええわい。お前さんの事だ、これも何ぞ考えがあっての事なんだろう?」


 そう言ってアミダはニヤリと笑った。


 瑞池の婚礼の儀では開始の際、新郎新婦は親に手を引かれ入場するのが習わしだと言う。しかしカナメには親族などおらずどうしたものかと考えた結果、頭に浮かんだのがアミダだったのだ。そうでなくとも客として招待するつもりではあったのだが。


 不意に、真面目な表情になったアミダが顔を寄せ、小声で問うた。


「どうだ、調査の方は? 何か掴めたか?」


「今のところ手詰まりで、ですので思い切って腹の内に飛び込む事にしたんです。瑞池の、静宮の婿として認められれば、格段に動き易くなりますから」


「そうか、すまんな。お前に丸投げしてしもうて」


「今更ですよ。それに自分にとっても理由が出来ましたから」


 そう苦笑を漏らすカナメに、ははとアミダも笑った。そうこうしている内にモーニング姿の井戸陽介が顔を出す。


「花嫁の準備が整いましたので、そろそろ──」


 そして陽介に先導され向かった大広間の入り口、閉じられた戸の前でカナメは息を飲む。留袖姿の清水に手を引かれ、花嫁たるシズクが現れたのだ。


 ──そう、本日の主役であるシズクは、いつにも増して美しかった。


 角隠しには金糸銀糸で刺繍された白鷺が舞い、文金高島田に結い上げられた髪には桃珊瑚と金細工で飾られた鼈甲の簪が揺れる。黒の引き振袖には白鷺と咲き綻ぶ梅の花、合わせた帯も上品かつ豪奢なものだ。そして差し色である桃色が、可憐にしとやかにシズクをこの上無く引き立てていた。


 白粉を叩いた肌はより一層白く、桃色の紅を刷いた唇は瑞々しい。磨かれた爪の先はふわり桃色に染められ、黒目勝ちの瞳は衣装に負けぬよう丁寧な化粧を施されていた。何より、はにかむような笑顔がシズクを生き生きと輝かせているのだ。


「お待たせ致しました、カナメ様……。まあ、なんて凜々しいお姿」


 シズクが羽織袴姿のカナメに頬を赤らめる。確かに上背があり顔立ちも端正なカナメには何を着せてもよく似合う。和装とて例外では無い。しかし似合っているという点においては、シズクの花嫁衣装には到底敵わない。


「いえ、シズクさんの花嫁姿の方が自分なんぞより何十倍も素晴らしい。美しくて、その……、良いのですか、本当に自分と、あの」


「カナメ様ったらそんな、褒め過ぎです。それにこの期に及んで何を今更」


 くすくすと笑うシズクにつられ、カナメも相貌を崩した。少し肩の力が抜ける。──そこへ、す、と二人の間に割って入るように一人の青年が現れた。羽織袴姿のシグレである。


 シグレは切れ長の瞳をより一層細め、カナメを鋭く睨んだ。明らかな敵意に、シズクが少し心配げに二人の顔を見比べている。


「いちいち見せ付けないで頂きたい。──さあシズク、手を」


「え、……ええ、はい。あにさま」


 シズクが手を差し出すと、シグレは離すまいとするかの如くその手をしっかりと握った。そんなシグレに肩を竦めつつ、やはりシュウコは参列しないのだな、とカナメは腹の底に少し重みを感じる。しかしそれは今はどうしようも無い事だ。カナメは気を取り直し、アミダに向かって手を突き出す。


「さ、こちらも繋ぎましょうか。御師様、宜しくお願いしますね」


「はは、この歳になってお前さんとお手々繋いでランランランか」


 アミダは皮肉げな笑みを浮かべ、カナメの手を取った。四人の準備が整ったのを確認し、清水と陽介が頷き会う。二人はカナメ達に声を掛けると、息を合わせ、そして──。


「それでは皆さん、いきますよ。……せえの、さん、にい、いち──」


 ──勢い良く、扉が開け放たれた。


 一瞬の、痛い程の静寂。一泊遅れ、──湧き起こる、万雷の拍手。


 シグレとアミダが示し合わせたかのように、同時に足を踏み出す。手を引かれ、シズクとカナメもまた一歩前へ歩み出す。


 こうして婚礼の儀は無事、開始されたのであった。


  *


 三三九度の杯を交わし、次いで全員と同時に杯を干す。面倒な口上も、長ったらしい挨拶も無い。杯の儀をもって二人は夫婦と認められ、拍手が二人を祝福する。


 大広間は人出埋め尽くされていた。およそ瑞池の住民の全員が此処に集まっているのであろう。モーニングや略礼服、留袖や羽織袴の黒ばかりの中に、振袖の鮮やかな色が見える。子供達や未婚の女性のもののようだ。


 二人が夫婦となった事を井戸の日出男が宣言し、それに続けて軽く来賓を紹介する。とは言え、瑞池以外の客はアミダや柿峰医師を始め数名しかいない。あっという間に式は祝宴へと移行する。


 次々と料理が運び込まれ、そこかしこでビールの栓を抜く景気の良い音が上がる。一気にざわめきが増し、大広間は活気に包まれる。色取り取りの料理が盛られた巨大な皿が机に並ぶ。所謂『皿鉢料理』という奴だ。


 皿鉢と言えば高知が有名だが、ここ徳島でも大勢の宴席となると皿鉢が定番だ。瑞池も例外ではない。巨大な皿に尾頭着きの鯛の姿焼き、天麩羅や煮物、揚げ物に和え物酢の物、刺身や果物に至るまで、豪快に様々な料理が盛られた様は圧巻である。


 そして目玉は何と言っても、男達が捕獲した猪の肉だ。炭火でじっくりと炙られ手作りのたれで味付けされた肉は香ばしい匂いを振り撒き、皆の食欲を刺激する。銘々が取り皿を手に一斉に箸を伸ばす。振り袖の女児や若い女達が酌をして回り、あちこちでグラスを合わせる音が響く。


 皆の様子を見回していたカナメとシズクの元へと、二人の女がやって来た。一人は留袖を着た清水、そしてもう一人は振袖姿の沢田だ。どちらも料理を盛った皿を手にしている。


「シズク様、婿様、朝から忙しくてお腹空いたでしょ。これ、取り分けて来ました」


「帯が苦しゅうてあまり食べられんかもですが、お腹に入る分だけで構いませんので、是非」


 二人の前に置かれた皿には色々な料理が少しずつ盛られていた。ありがとうと感謝しつつ箸を手にすると、沢田がグラスに飲み物を注いでくれる。ビールではなく冷たいお茶のようだ。


「シズク様はお酒勧められる事は無いだろうけど、婿様はどうせ皆にしこたま飲まされるだろうから、今の内にお茶飲んどいて下さい」


「はは、それは──ありがとうございます」


 カナメは苦笑しつつ、沢田の気遣いに謝意を述べた。何かあったら直ぐ呼んで下さいね、と言い残して二人は皆の中へと戻って行く。


「カナメ様、今の内に食べておきましょう。きっと皆、お腹が満ちてくるとこちらに押し寄せて来ますから」


 シズクの言葉にさもありなん、とカナメは料理を口に運ぶ。朝は軽くしか摂っておらず空腹な事もあって箸が進む。


 ビールだけでなく日本酒も開栓され、いよいよ喧噪は大きさを増しつつある。そうこうしている内に住民達が酒を携え高砂へと列を成した。言葉を交わしながら杯を受け、カナメは段々と酔いが回るのを自覚する。隣をちらと見遣ると、シズクは女性達に囲まれ和やかに談笑していた。


 こういう場合、大抵新郎は酔い潰されるのが常というものだ。カナメは間に茶などを挟みつつ気を張った。集落の皆はこの宴でカナメの婿としての度量を見極めようとしているのだろう。ここで醜態を晒す訳にはいかない。


 そして独りの人物がカナメの前に腰を下ろす。水間達夫である。達夫は笑みを張り付かせ、片手には一升瓶を、もう片手には小さめの皿を持っていた。達夫は身を乗り出し、カナメの前に皿をことりと置く。


「これ、猪の中でも貴重な部位なんや。是非婿様に食べて貰いとうてな」


 そしてカナメの杯に並々と酒を注いだ。皿の上には焼かれた肉が数切れ盛られている。それはどうも、とカナメは箸を取るものの、──ふと違和感を覚える。


 皆が、カナメを見ていた。


 ぞわりとうなじが逆立つ。談笑している者、酒を酌み交わしている者、それぞれが目だけはちらちらとカナメを注視している。そうでないのは恐らく、シズクと来賓達だけだろう。


「どしたんな、早う食べてえな。折角持って来たのに」


 達夫の笑みの奥、にたりと歪んだ目だけは笑ってはいない。カナメはごくりと唾を飲み、意を決して一切れを口へと運んだ。


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