4-07
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翌日からは驚く程に忙しくなった。朝早くから大勢の住民が訪れ、大広間を含めて使用する部屋や廊下、玄関や庭に居たるまで、手分けして徹底的に磨き上げ準備を調えてゆく。
カナメはこの日、初めて大広間に足を踏み入れた。部屋を区切る襖を取り払った空間は驚く程に広大だ。集落で婚礼や葬儀を行う際は、いつもこの静宮邸の広間を利用するのだと言う。成る程皆も手慣れたもので、手分けして掃除をしたり必要な物を運んだりと手際が良い。
静宮邸に集まっている者は殆どが女性であった。聞けば、車を持っている男は食材など必要な物の手配をしに山を降り、他の男達は狩りに山へと入っているそうだ。残った僅かな男達は庭など屋敷外の手入れに勤しんでいる。
「狩りって、何が穫れるんです?」
掃除を手伝いながらカナメが近くの女性に尋ねると、還暦を過ぎて尚元気な布陣は手を止めずに答える。
「猪とか鹿とかやね。罠を仕掛けて捕まえて祝いの料理に使うんよ」
「へえ、罠。銃とかは使わないんですね」
「鉄砲なんてそんな怖いもん、誰も使いたがらんよ。それに生け捕りにして上手に捌いた方が肉も美味しゅうなるしね」
成る程と納得しつつカナメが雑巾掛けに精を出していると、別の女性が誰にともなく声を上げた。
「ほなけんど、今度の婿様はほんま働きもんやし腰は低いし、何より男前やしで、ほんま良かったわ。シズク様も前より顔色ええし、これで静宮の家も安泰やね」
ほんまになあ、と周囲の女性達もその言葉に同調する。何のてらいも無く浴びせられる賛辞に、カナメは恥ずかしくなってこそこそと移動した。カナメはそこまで働き者という訳ではない、と本人は思っている。ただ他人が働いている中で自分一人だけ何もせずに過ごす罪悪感に耐えられないだけなのだ。
ふと廊下の先からわいわいと騒がしい声が聞こえ、釣られるようにカナメは部屋を覗き込んだ。広間にほど近い部屋の中には、畳んだ長机と木箱がぎっしりと積み上げられている。机は折り畳み式の細長い座卓、箱の中身は食器類で、どちらも宴席に使う物のようだ。
「食器は向こうの部屋、机は広間に運ばんとあかんのやけど、積み上げとるやつ下ろすんが重うて、崩れたらと思うとおとろしいて、なかなか手え付けれんで子まっ取るんよ」
男週も出払うとるしな、と寄り集まった何人かの婆達が困ったようにカナメに訴える。
「ああ、それなら手伝います。重い物は任せて下さい」
そしてカナメが軽々と机を下ろすと、おお、と軽くどよめきが起こる。床に下ろされた机を二人掛かりで運びながら、婆達はにこにこと笑った。
「ほんに婿様は力持ちやなあ。西の山からシズク様を抱えて下りて来たっちゅうだけの事はあるなあ」
「しかも俵担ぎやのうて、こう、外国の映画で俳優さんがお姫様を抱えるような抱き方やったんやろ? ほんま凄いわ、うちももうちっと若かったら婿に欲しいぐらいやったわ」
「あんた自分の年今なんぼやと思うとんの。ちっとやのうてようけやろうが!」
どっと笑いが起きる。何処へ行っても自分を会話の出汁に使われるこの空気に、仕方無いと思いつつも居心地の悪さを感じるカナメであった。
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昼は皆で握り飯と味噌汁を食べ、午後には出払っていた男達も戻り更に静宮邸は賑やかになった。カナメは男達に混じって力仕事に勤しんだ。体力は使うが、やはりご婦人方に囲まれているよりもこちらの方が何倍も気は楽だ。
休憩時には柿畑でしていたのと同じく、皆で輪になって煙草を吸う。本日の灰皿は庭仕事に使うバケツである。
「しかしあんた、色々聞いて回っとったのはあれか、婿に来るつもりがあったからか」
柿畑でも話した年輩の男がカナメにそう問うた。まあそんな所です、とカナメが返すと、そうかそうかと皆は笑顔を漏らす。
「やっぱりそうか。いや、皆あんたの事、頼まれた探偵かなんかが聞き合わせっちゅうか、結婚を打診する前に集落の事を調査しとるんかなって、そう思っとったんだ。いやまさか婿候補本人とは予想外だったけんどな」
集落の事を聞いて回っていたのを不審に思われないか心配していたが、どうやらそういう解釈をされていたようだ。カナメは内心ほっとしつつ愛想笑いを浮かべる。そんなカナメの肩を、水間が笑いながら叩いた。
「しかしあれだ、心配せんでもシズク様はおらんようにならんから安心せえ。何せシズク様は瑞池の中心となる巫女なんやからな。まああんたみたいなしっかりしたんが来てくれて、これで瑞池もしばらくは安泰やなあ」
「井戸の爺さんもやっと肩の荷が下りるんとちゃうか。何せシグレ君は跡継ぎにならんし、増してあのフラフラし取るボンクラな孫じゃあ余計に不安やでなあ」
「違いねえ」
どっと笑いが起こる。ちらと見回したが井戸の日出男と晴人はこの場にはいないようだ。まあ居たらこんな軽口は叩けないだろう。しかしやはり皆、晴人の事を頼り無いと認識していると分かり、何だか可笑しくなってカナメも一緒に笑い声を上げた。
ひとしきり談笑しながら紫煙を吐き、煙草を吸い終わったカナメはさて仕事に戻ろうと歩き始める。すると道子の夫であった波木光雄が寄って来て、周囲を警戒しながら軽くカナメの背を叩いた。
「あんた、本当に婿に来るんか。ほんまにええんか」
そう小声で話し掛けて来る。歩みを止めぬままカナメは小さく頷く。
「自分は、シズクさんを救いたいと思ったので、腹を括りました」
「道子の言うとった事聞いとるんやろ。あんた鋭そうやから、あかんって感じとるやろ。それでもか。俺が言うんも何やけど、入ったらもう、抜けられへんで」
「分かってます。でも、中に入らねばやはりどうにもならないと分かったので。火中の栗とでも言いますか」
カナメの決意を察してか、波木は小さく溜息をつくともう一度カナメの背を叩いた。
「なら何も言わん。俺みたいなんで役に立つ事があったらなんぼでも言うてくれ。くれぐれも気い付けてな」
「ありがとうございます」
そして何事も無かったかのように光雄は離れていった。小走りで去る光雄の背を見送りながら、カナメは再度、気を引き締めたのだった。
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それから時間は飛ぶように過ぎる。夕方には皆が帰り、カナメとシズクは昨夜同様、二人で夕食を食べて風呂に入り共に眠った。今日はシグレとは顔を合わせてはいないが、向こうから何も言って来ないのならそれでいいとカナメは安堵した。
──翌日は土曜日で外に仕事に出ている者が休みの所為か、更に静宮邸は騒がしくなった。
祝いの儀の本番は日曜の昼である。前日となるこの日は準備の仕上げだ。日出男も悪い脚を引き摺りながら静宮家にやって来て、最終確認に余念が無い。業者に手配していた食材なども届き、女性達も厨房で大忙しだ。
そこへ山に入った男達が戻って来た。わっと歓声が上がる。何事かとカナメも顔を出すと、目に飛び込んで来たのはなんと二匹の大きな猪だ。
「ごっついだろう! 罠に掛かっとった大もんじゃ!」
「こりゃ凄いな、こんな大きょいのはえっとぶりだ! 山の神さんが祝福して下さっとるに違いない」
わいわいと騒ぐ中、日出男が息子の陽介の肩を借りてどれどれと男達に近付いた。ぐったりはしているがまだ猪は生きており、その大きさから宴席の主役を張るであろう事は疑いようも無かった。
「よし、ばらすならわしの家の裏庭を使え。静宮の家に穢れを付ける訳にはいかんでな。わしはここを離れれんから、任せるぞ陽介。大仕事だ、頼むぞ皆!」
「よし、行くぞ。道具持ってうちの家に集合じゃ」
陽介が声を上げると、男達はぞろぞろと猪を担いで門を出て行った。凄いですね、とカナメが呟くと、近くに居た清水さんもほんまにね、と笑った。
その後も準備はつつがなく進み、夕方に『子供寮』から帰って来た子供達の声が集落を賑わせる頃には、皆自分の家へと帰って行った。会場は整い、料理の仕込みもほぼ終わり、後は翌朝早くに届く海鮮などを待つのみだ。
今晩の瑞池はどことなく活気に満ち、霧雨さえ浮き足立っているように見える。カナメは窓を眺め遣りながら思う。ここからが本番なのだ、気合いを入れねば、と。
──そして翌日。いよいよ、式の当日が訪れた。
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