4-06


  *


「──はぁ?」


 もたらされた報告に、シグレはこの上無く表情を歪めた。端正な顔には不可解と不愉快という二つの拒絶が張り付いている。


 ──カナメとシズクがシグレの部屋を訪れた時、シグレは荷物を置いて部屋を出る所であった。話があると告げると、シグレは黙って二人を部屋へと招き入れる。広めに設けられた畳敷きの部屋はきちんと整頓され、シグレという人間の性質を僅かに垣間見せた。


 二人が並んで正座し結婚の事を告げると、向かい合って座るシグレは一瞬理解が追い付かずに固まり、そして──整った顔面を醜く歪ませたのだ。


「は? 結婚、……どうしてそうなる。話が急過ぎるだろう? 日曜が式……? 意味が、分からないんだけれど」


「報告が遅くなったのは申し訳無く思ってます、あにさま。でも二人で決めた事ですし、何より──もう井戸の日出男さんにも認めて頂きました」


「認めるって、だから何で井戸家が認めたからって、そんな。家族への説明がどうして後回しになるんだ! ……そうだ、僕なんかより母さん、母さんに言うべきなんじゃないのか。名目上とは言え、今の当主はまだ母さんだろう!?」


 激昂したシグレが声を荒げる。シズクがその勢いに気圧され身を竦ませたのを見かね、カナメが口を開いた。


「シュウコさんには既に昼間、報告済みです。清水さんにも立ち合って貰ったので間違いありません。それに、日出男さんに承諾して貰えれば問題無いと、それが瑞池の習わしであるとそう認識しておりますが」


 冷静なカナメの言に、シグレが怒りの眼差しを向ける。黒い瞳に昏い炎が燃える。


「余所者の癖に横からかっ攫うような真似をしておいて、いけしゃあしゃあとどの口が!僕は晴人なら許してやらん事も無いと思っていたというのに、あの爺さん手の平返しくさって!」


 喚き散らすシグレの言葉に、カナメは心の中で納得する。恐らく、日出男の孫の晴人にシズクとの結婚を吹き込んだのはシグレなのだろう。余り賢いとは言えなさそうな晴人は傀儡に丁度良い。どういう青写真を描いていたのかは不明だが、カナメの所為でそれが滅茶苦茶になったのは間違い無い筈だ。


「もう、決定した事です。既に準備は始まっていますし、覆すのは無理かと」


「……っ、この……!」


 シグレが怒りのままに身を乗り出し、カナメの胸倉を掴んだ。あっとシズクが息を飲む。振り上げられた拳が、カナメに向かって力任せに振り下ろされる──。


「駄目っ、あにさま!」


 シズクの悲鳴が響く。殴られるカナメを想像し、シズクが目を瞑り身を固くした。──しかし。


「──、ぐ、う、」


 殴打する音の代わりに上がったのは、絞り出すような苦悶の声。思わず閉じた目をシズクがそろそろと開けると、視界に飛び込んで来た光景は──振り下ろされたシグレの拳をがっちりと空中で捉え、胸倉を掴んでいた腕を握って力を籠めるカナメの姿だった。


「痛い、ぐ、あ、は、放せ……!」


 シグレの顔が怒りにではなく苦痛に歪む。ぎりぎりと締め上げられる拳と腕に、へなへなとシグレの身体から力が抜ける。とうとう崩れ落ちるシグレからぱっとカナメが手を離すと、そのままシグレはどさり倒れ込んだ。


「だ、大丈夫ですか……あにさま、カナメ様」


 おろおろと二人を見比べるシズクの声に、問題無いとカナメは首を振り、そしてシグレは噛み締めた奥歯の鳴る音で応えた。カナメは胸許を軽く直すと、まだ身を起こせぬシグレを見下ろして声を発する。


「あなたも集落の一員ならば、決まった事には従って頂きたい。邪魔立てなど考えぬよう。もし何か妙な気を起こす事があれば、全力で排除させて頂く所存。肝に銘じて頂きたい」


 きっぱりとした物言いに、しかし何も反論出来ずにシグレは憎悪の視線だけを返した。そして痛みを堪えながらよろよろと、ようやく身を起こして座布団に座り直す。


「あにさま……」


 戸惑いを見せるシズクの視線を避けるように、シグレは少し俯き舌打ちを零した。そして息を吐くと、顔を伏せたまま押し殺した声を漏らす。


「話はもう済んだだろう、そろそろ出て行ってくれないか。これから母さんに夕飯を食べさせねばならんのでな」


「ああ、その、シュウコさんの事なんですが──」


「……母さんがどうした。何かあったのか」


 はっと目線を上げたシグレに、カナメは昼間起きた事を手短に説明した。見る見るシグレの顔が蒼褪めてゆく。その表情からはカナメへの怒りが消え、代わりに困惑と焦燥が支配する。


「それで、母さんは大丈夫なのか……!?」


「今のところは殆ど眠ったままで、顔色もだいぶ元に戻って来ております。明日もまだ調子が悪いようでしたら、柿峰先生に来て頂こうかと……。でも起こせばお水も飲みますし、小用も自分で済ませられるようなので……そんなに心配なさらないで下さいまし、あにさま」


「そうか……」


 シズクの説明にほっとシグレは安堵の息をついた。その様子に、カナメは呪法を使ったのがシグレでは無いのだと再び確信する。結婚の事を知らなかった時点で無関係だと思ってはいたが、ここまでシュウコの事を心配するシグレがシュウコを呪法に巻き込んだりはしないだろう。


 シュウコの住環境を如何するかの話し合いはまた後日にと約束し、カナメとシズクはシグレの部屋を辞した。二人は取り敢えずカナメの部屋へと引き上げ、ソファーにどさりと身を鎮める。


「……少し、疲れましたね」


「ええ、あにさまがあんなに怒るなんて」


 火を点けた煙草から揺らめく紫煙を目で追いながら、二人は溜息を零す。いつの間にかちゃっかり一人掛け用のソファーに丸まっている安田さんを見遣り、その寝顔の平和さに呆れてまた溜息を吐いた。


「今日はもう風呂に入って寝てしまいましょう。明日から忙しくなりますし、何より今日は色々あり過ぎました」


「それでしたら、お風呂ご一緒しても宜しいですか? 二人で入れば、時間の短縮にもなりますし。ねえ、カナメ様」


「……意外と元気ですね? シズクさん」


「あら、そんな事は」


 くすくすと笑うシズクから目を逸らしながら、カナメは紫煙を吐き出して短くなった煙草を揉み消したのだった。


  *


 カナメとシズクが風呂を上がり、寝室で愛を交わし有っていた丁度その頃──。


 ──離れの一室、鍵の掛かった部屋の中で、欲望をぶつけ合う男女が居た。微かに汚臭の漂う中、荒い息と嬌声が混じり合う。


「ああ、母さん、母さん、最高だ、ああ、僕、ああ」


 獣の如く腰を叩き付け続けるシグレの下で、シュウコは悦びに身をくねらせる。酷く淫靡な臭いが嗅覚を麻痺させる。おぞましく穢らわしい行為に二人は溺れ続ける。


 シグレが初めてシュウコと交わったのは、まだ精通すら迎えていない頃の事。それは父の葬儀の翌日だった。喪服をはだけた白痴めいた母に押し倒され自分を産み落とした洞に包まれた瞬間──その衝撃はシグレの倫理観を歪め、人格を破綻させるには充分過ぎた。


「あ、あ、母さん、──っ」


 自分が生を受けた洞を穿ち、深く突き立て、その際奥に精を放つ。痙攣するシュウコの肌からはむせ返るような雌の色香が立ち昇る。幾度と無く穢したその身体は、元から一つだったかのようにシグレの肌に馴染んだ。


「母さん……」


 そう呼ぶ声には、シュウコは決して応えない。ただ荒く息を吐き嬌声を漏らすのみだ。求めども求めども絶対に与えられぬものの大きさに押し潰されそうになり、シグレはまた母の体内へと潜り込む。


 気付けばシグレは、どんな女と交わろうとも満足しない身体になっていた──シュウコとシズク、ただ二人を除いて。


 その貴重な二人の内の片方であるシズクは、素性も分からぬ男に掠め取られようとしている。ギリ、と奥歯を噛み、シグレは八つ当たりの如く激しく母を穿ち続ける。淫らな肉塊が腕の中で踊る。


 母さん、母さん……熱に浮かされたように喘ぎ、シグレは赤子のように豊満な胸にしゃぶり付く。胎児の如く産道を這い戻る。何処まで行っても終わりの無い肉の暗闇の中、手を伸ばし続ける。


 涙は、零れない。代わりのように白濁が溢れ流れ落ちる。


 意識が混濁し始める。もう直ぐだ、シグレは自分を追い詰める。シュウコはもう、白眼を剥いている。気絶するまで腰を振り続け、そしてようやく、シグレは意識を手放した。


 溶けるように混じり合う汗にまみれ、シュウコの胸で眠るシグレの顔は、母に甘える子供そのものであった。


  *

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