4-02
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昨晩シズクに結婚を申し込んだのは確かだが、その翌日にもう式の日取りが決まるとは思ってもみなかった。カナメが溜息を零しながらかつかつと革靴を鳴らすと、隣を行く安田さんが雰囲気を察して気遣わしげにキュウと鳴く。
──『結婚して、頂けませんか』。その言葉に、シズクはまずこの上無く驚き、そして大輪の花が咲くが如く笑み綻んだ。恥ずかしげに何度も頷き、謹んでお受け致します、と瞳を潤ませた。
抱き合ったまま眠り朝を迎え、二人で揃って朝食を摂った。もう客ではないのだから、とのカナメの主張にシズクが押し切られたのだ。他愛も無い話に花を咲かせながら食事を終え、そして茶を啜りながらカナメは、或るたくらみをシズクへと打ち明けた。
「そんなに上手くいくものでしょうか……? それに、急ぎ過ぎれば誰かに怪しまれませんか」
「まあ思い付きみたいな物ですし、駄目で元々という奴で」
「あらカナメ様、私との結婚まで思いつきだったと、そう仰りたいのです?」
「あ、いや、それは違う……そういう訳ではなくて……」
しどろもどろに弁明するカナメの慌て振りにシズクはくすくすと笑う。その悪戯っぽい笑みからシズクがからかっただけだと分かり、カナメははは、と力無い苦笑を漏らしまた言葉を続ける。
「それに結婚が周知されれば集落の一員と認められ、格段に動き易くなる筈です。祭にも参加出来るし、もしかしたら呪いの影響を受けずに話す事も可能かも知れない。利点は多いと思います」
「確かにそうですね。ああ、午前中に井戸の日出男さんとの約束を取り付けていたのは、この上無く丁度良い機会ですよ、カナメ様。結婚を報告して、祝いの席の段取りをして頂くようお願いするのです。日出男さんが動いてくれたならもう式を挙げたも同然ですので」
「成る程、確かに……。しかしご母堂やお兄さんより先にその日出男さんとやらに話を通しに行くというのも、何だか不思議な感覚ですね」
「ふふ、そう言えばそうですよね。でも瑞池だと、個々の家よりも集落全体の利益というか都合を優先するので、それが通例となっているのですよ」
そして二人は意見の擦り合わせを追え、共に茶を飲み干す。それからカナメは身支度を整え、適度な時間を見計らって井戸宅を訪問した──そんな次第であったのだ。
*
日出男の元から帰還したカナメを待ち受けていたのは、何人もの女達だった。どうやら早速日出男が手配したようで、あの爺さん仕事が速過ぎないか、とカナメは心の中で毒づいた。
「聞いたでよ、この色男! こんな短期間でシズク様の心を射止めるとか、何したんよ、もう!」
「ほらこっち来て、早う上着脱いで。ああほんまに背ぇ高い、はいじっとしとってよ。次腕上げて」
「足の大きさはなんぼ? やっぱり背ぇ高いと足も大きょいんやね。草履はいけるとしても足袋のそんな大きゅいの、売いよるかいな」
「なあな婿様、どっちが先に結婚言い出したん? 決め手は? 気になるわあ」
瑞池のご婦人方に囲まれ揉みくちゃにされ、身体の寸尺を測られながらの質問責めに、カナメはくらりと眩暈を覚える。何とか笑顔で持ちこたえ、幾つも浴びせられる質問を無難に受け流す。かしましい声に頭痛まで感じ、カナメは冷や汗と脂汗が浮くのを自覚した。
やがて衣装の採寸が終わり、カナメは投げ出されるようにいつもの客間へと放り込まれた。式は何部屋分もの襖を全部取り去って作られた大広間で行われる。カナメの使っていた部屋はそれには含まれないものの、客用の控え室か何かに仕様されるようで、早急に荷物を片付けて引っ越す必要が出て来たのだ。
とは言え、トランク一つで来た身である、私物はそう多くはない。カナメは荷物を全て詰め追えると、壁に掛けてあったコートと帽子を掴み、ステッキを握る。これで引っ越しの準備は完了、実にお手軽だ。
「婿様、片付けは……ありゃあ、もうすっかりお済みだったんですね! ほしたら早速お部屋へとご案内しますわ」
「はい、お願いします」
片付けを手伝おうと様子を見に来た清水が、すっかり支度を整えていたカナメに驚いて目を剥いた。しかし直ぐに気を取り直し、案内の為に先に立って歩き始める。
移る予定の部屋は屋敷の北側、元はシズクの亡父が使っていた場所だと言う。いやよくよく聞くと、シズクの父だけではなく、歴代の婿のうち幾人もが仕様してきた部屋だとの事だった。
「もし気に入らないようでしたら、別の部屋に変わって頂いても大丈夫ですけん。他にも幾つも部屋はありますし……一度見て決めて欲しいとシズク様が」
「いえ、恐らくは大丈夫です。あまりこだわりなどは無い方ですので」
そうして辿り着いたのは、書斎と寝室が続きになっている二部屋であった。シズクの父が亡くなったのは八年程前、シズクが十歳の頃と聞いているが、部屋はきちんと手入れされていて古さを感じさせない。
壁に並べられた本棚、使い込まれた書斎机、踏み心地の良い絨毯、ゆったりとしたソファ、柔らかな光を放つ硝子細工の照明──。古風な洋館の一部屋といった雰囲気の中、美しい彫刻の振り子時計が時を刻んでいる。
次いで書斎から続き間となっている寝室へとカナメは歩みを進めた。洒落た箪笥と洋式のクローゼットが置かれ、また硝子の嵌まった棚にはグラスや洋酒の瓶が並べられている。モダンな小机には硝子の灰皿とステンドグラス調のランプ。
そして何より目を引くのは、部屋の中央近くに設えられた大きなベッドだ。元々此処にあった物なのだろうが、布団類は全て新しいものに取り替えられているようだ。
「どうやらこの部屋のあるじだった方々は、洋風がお好みだったようですね。──気に入りました、此処を使わせて頂きます」
純日本家屋といった静宮邸の中に誂えられた、異質とも言える洋風の部屋──それは女性を党首とする静宮家での、婿として静宮に入った男達のささやかな抵抗だったのかも知れない。砦、あるいは城……そのような単語を思い浮かべ、カナメはふっと目を細め笑んだのであった。
*
荷物を片付けたり部屋を整えている内に、あっという間に時は過ぎて正午を迎えた。カナメが清水に案内されて居間へと向かうと、既にシズクが三人分の昼食を用意し終わったところであった。
準備の為に来ていた女性達は一旦家に戻ったようだ。カナメとシズク、そして清水が宅に着き、揃っていただきますと手を合わせる。
本日の昼食は天麩羅蕎麦であった。たっぷりの野菜と小海老の入った掻き揚げ、きのこや南瓜の天麩羅、そしてかまぼこと大盛りの葱。それらが麺が見えない程に器の表面を埋め尽くしていた。
「ちょっとこれ、載せ過ぎではないですか、清水さん」
シズクが天麩羅しか見えない天麩羅蕎麦を難しい顔で見詰めながら、清水に苦言を呈する。一方清水は掻き揚げを箸で押さえ付けて出汁を吸わせようとしながら、澄ました顔で口を開いた。
「大丈夫ですよシズク様、シズク様の分は少し麺を減らしてありますけん。それにそれぐらいの量、ちゃんと食べて頂かんと……あんまり細っこいままだと、婿様に愛想尽かされてしまいますわ」
「なっ、げほっ、ごほっ、し、清水さん!? じ、自分はそんな……」
思わず噎せそうになりながらカナメが反論しようとするも、にやあと笑みを浮かべ清水はずぞぞと蕎麦を啜っている。若いってええわぁ、などと呟きながら。
そして一方、シズクは真剣な顔で箸を構えた。
「──食べます。私、頑張って全部……!」
「し、シズクさん!? 無理は、無理はしないで下さい……!」
「ほんま、若いってええわぁ」
味は申し分無かったものの、カナメにとっては妙に疲れる昼食になったのであった。
そして食後、温かい茶を啜りながらカナメは清水に切り出した。
「出来れば今日にでも、シュウコさんに結婚の報告をしたいと思っているのですが……シュウコさんのご様子は如何ですかね」
「そうねえ、朝はそんな悪うは無かったけんど、直ぐに体調も気分もころころ変わるけんねえ。まあこれから昼食やけん、その様子次第で……、っちゅうんでええですか?」
「勿論です。判断は清水さんにお任せしますので」
「ほな、大丈夫だったら直ぐに行けるように、婿様には着換えといて貰わなあきませんね。シズク様、旦那様がよく着てた藍染めの着物分かりますか。丈出ししてありますので、あれを着せてあげて下さい」
分かりました、とカナメとシズクが同時に席を立つと、清水も卓上を片付けて盆を持つ。
かくして三人は、シュウコの住む離れへと向かう事となったのである。
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