3-08


  *


 気を取り直し、カナメは当初の目的である波木路子の動向について尋ねる事にした。運が良い事に、河内は道子が瑞池を出る前、最期の当番の際に一緒だったのだと言う。


「何か心当たりはありませんか? いつもとは違った出来事があったとか、変わった話題が出ただとか……」


 カナメが問うと、ちょっと前の事やけんねえ、と河内は蛍光灯をを見上げながらうーんと記憶を探る。周囲では子供達がバラバラと卓に座り、宿題をしたり小さい子の遊び相手をしたりと、皆思い思いに過ごしている。


「なんかあったかなあ……うちお喋り好きで色々ようけ話してるから、変わった事って言っても……。道子さんは子供がまだで、そういう相談に乗ったりはしてたけんど、そんな落ち込むような言い方した覚えは無いし」


「子供の事でも悩んでいたのかも知れませんが、後々の様子を見るに原因はそれでは無さそうな気がします。他に何かありそうなら言ってみて下さい、どんな些細な物でも構いませんので」


「そうねえ……。そう言えば、お祭りの話題が出たような気がするわ」


「お祭り、ですか? 瑞池の?」


 カナメが片眉を上げて反応すると、そうそう、と河内は大きく頷いた。


「道子さんはお嫁に来た人やけん、知らんと思うてお祭りがあるんよーって教えてあげたんよね。確かだいぶ寒うなってきたよね、みたいな話が切っ掛けだったような……。冬にやるお祭りだから少し珍しいかもとか、照る照る坊主を吊すとか、そういう話をした気がするわ」


 思い出してすっきりしたのか、河内は笑顔で喋り続ける。カナメは相づちを撃ちながら重大な手掛かりを掴んだ手応えに戦慄していた。お祭り──瑞池に関わる中で、恐らく一番重要な行事だと、勘がそう告げている。その内容が道子を恐慌に陥らせ、逃亡を強硬させるに至ったのは想像に難くない。


「へえ、そのお祭りはいつ、どのようにするのです? 教えて頂けませんか?」


「うちより、シグレ君か井戸の日出男さんに訊いた方が詳しいとは思うけどねえ……? まあええわ。お祭りは立冬の間で日取りの良さげな日曜の夜にするんやけど、今年は二十日の予定みたいなよ。大人の男だけが参加出来るんやけど、雨が酷うならんように、鳥居にごっつ大きょい照る照る坊主吊くるんよ。こう、かがり火焚いてな」


「……参加出来るのは大人の男だけなんですよね。何で河内さんが内容を知っているんです?」


「そらあこっそり覗きに行ったけんよ。女子供は家を出たらあかんってなっとるけど、若い時に皆一度は覗きに行くんよねえ。あと兄妹とか旦那から話聞いたり」


 あははと笑う河内に。ははとカナメも苦笑を返した。──と、その時に玄関から、ただいまと大きな声が響いた。


「おかえりぃ! シズク様からおやつの差し入れ頂いとるけん、手洗いうがいしてきいよ。それと、お客さん来とるけん大人しゅうにな!」


 河内が玄関の方に向かって声を張り上げると、はあい、と複数の声が重なって返って来た。ばたばたと幾つもの足音が軽く重くばらばらと移動してゆく。


「中学や高校の子らですか?」


 カナメがちらと壁に掛けられた大きな時計を見上げる。飾り気の全く無い、学校の教室にあるような見易さを重視したものだ。白い文字盤の上の簡素な黒い針は四時半過ぎを示していた。


「中学で、部活の無い子らやね。部活があったり高校の子らはもうちょっと遅いんよ」


 話していると三人の中学生が広間へとやって来た。地元の中学の制服である学生服とセーラー服を着ている。いかにも田舎の子といった純朴そうな雰囲気だ。三人は小さい子供達とただいまおかえりと挨拶の応酬をし、そしてカナメに向かってこんにちはと頭を下げた。


 おやつを食べる中学生達と他愛も無い話をしている内に、もう一人の当番の女性も帰って来たようだ。一気に空気が慌ただしくなる。──ここらが潮時か。周囲の様子を窺い、カナメは心の中で呟く。


「ああ、夕食の準備で忙しくなりますよね。お邪魔になるといけないので、そろそろおいとまします」


 そう言ってカナメが辞去しようとすると、立ち上がろうとした上着の裾を誰かに掴まれた。振り返ってみると、幼稚園に通っているという一番年齢が下の女の子が、潤んだ瞳でカナメを見上げている。


「ねえおにいさん、もう帰っちゃうん……?」


 この子が先程から周囲をうろちょろしていた事を、カナメは知っていた。カナメに興味があったのだろうが、恐らく切っ掛けが掴めずに話し掛けられなかったのだろう事も、カナメが帰る素振りを見せたので勇気を振り絞って声を掛けたのであろう事も、カナメは一瞬で理解した。


 カナメは引かれるままに腰を下ろすと、ちらりと大きな掃き出し窓をカーテン越しに見遣った。外は晴れていて、空はまだまだ明るさを残している。逡巡したものの、もう少しだけなら、と腹を括り子供達の相手をする事に決めた。


「では、もう少しだけ。──おいで、何して遊ぼうか」


「やった! ねえねえおにいさん、何かお話聞かせてくれる?」


 ぱあっと笑顔に変わった女の子を膝に乗せると、カナメの周囲に他の子供達も集まって来る。──カナメは子供は嫌いでは無い。何より真面目さ故に、子供にも真正面から向き合う癖がある。それが相手にも伝わるのか、自然と子供に好かれるのだ。


 ──そうしてカナメがしばらく子供達の相手をしていると、不意に玄関扉の開く音がした。あらあ先生いらっしゃい、という河内の声が聞こえる。


 やがて広間に姿を現したのは、眼鏡を掛けた白衣姿の神経質そうな男であった。


 恐らくこの男が柿峰医師なのであろう。年の頃は四十後半といった所だろうか。しかし幾分年齢を重ねてはいるものの、整った顔立ちときっちり染められた髪、そしてきびきびとした動作が若々しい印象を醸し出している。


「君が静宮屋敷に逗留してるっていう客人かい? 私は柿峰医院で医者をしてる柿峰だ。君が『子供寮』に来てるって話を聞いたものでね。実は今から瑞池に往診に行くんだが、良ければ乗って行くかい?」


 そうカナメに語り掛けながら、柿峰は中指でくい、と眼鏡を押し上げ笑ったのだった。


  *


「こんな時間に往診とか大変ですね。よく行かれるのですか?」


「いや、瑞池は特別だよ。往復だけで二時間近く掛かるからね、昼の休診時間じゃあ間に合わないんだ。でも父の代からの患者さんも多くてね。だから来て欲しいって呼ばれれば、週に何度かこうやって診療時間が終わった後に往診してるって訳さ」


 言いながら柿峰は慣れた手付きでゆっくりと自動車を走らせ始めた。窓の外はもう随分と暗さを増している。ヘッドライトが切り裂く黄昏の薄闇に、カナメは改めて柿峰の申し出を有り難く思った。


 ハッチバック式のブルーバードが県境を越え、山道を進む。柿峰の運転が上手なのか、あまり揺れない事にカナメは感心する。


「お医者さんってもっと、高級そうな車に乗ってるものと勝手に思ってました」


「荷物はいつもそこそこあるし、病気によってはある程度大きな機械を載せる事もある。緊急の場合には患者を運ぶ可能性もあるからね、荷物が載るに越した事は無いんだよ、特に往診の時なんかはね。ああ、高級車なんて買っても乗って行く場所が無いな、ははは」


 はにかむようにカナメが言うと、柿峰は目を細めて楽しげに笑った。曲がりくねる道は狭く照らし出される光景は美しいとは言えないものの、しかし柿峰との道程は思ったよりも快適だ。


「先生は、ずっとあそこで医院をやってるんですよね。子供寮の家屋は元々先生の持ち家だと聞きました。この往診といい、何故そこまで瑞池に肩入れを?」


「肩入れ、か……」


 柿峰はハンドルを滑らせながら呟いた。その横顔は端正で、そしてその瞳は闇に浮かび上がる道と森を真っ直ぐに映している。


「別に私は肩入れしているつもりは無いよ。確かに私は瑞池の人間では無いし、他の人間が見たら瑞池に貢献しているように見えるのだろう。しかしわたしとて、医者だからと言って一方的に尽くしている訳では無いんだ」


「え、それは……」


 見詰めた横顔が影に染まる。眼鏡のレンズがギラリと反射し、浮かび上がる口許が歪つに、嗤った。


「取引だよ、お互い様なんだ。金銭じゃなくてね、もっと共依存的とでも言うべきか……私と瑞池はね、互いに利があり、互いに弱みを掴み合っている……そういう関係なのさ。もう離れられないんだ、お互いにね」


 突き放すような、諦めたような。その声色は笑みを帯びて、狂気を帯びて。


 それでも一切ハンドル捌きを誤らない柿本の精神に、逆に恐ろしい物を感じて、カナメはそっと息を飲んだのであった。


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