3-07



  *


 支度を調えカナメが玄関へと向かうと、丁度炊事場からシズクが何かを抱え歩み寄って来た所であった。間に合って良かった、とシズクは顔を綻ばせて手にした包みを掲げて見せる。


「カナメ様、もうお出になられるんですよね。すみませんが子供寮にこれを持って行って下さいませんか」


「ええ、構いませんが……これは?」


 淡い竹色の綿風呂敷にくるまれた荷物はそれなりに大きく、しかし受け取ってみると思ったよりも軽い。そして手にした部分から伝わる熱に、少しだけカナメは驚く。


「子供達へのおやつの差し入れです。お願い出来ますか?」


「ああ、成る程。それは責任重大ですね」


 そう言ってカナメが笑うと、シズクもふふと笑みを零した。革靴を履きステッキを腕に掛け、風呂敷包みを抱え直してカナメは玄関を出る。草履を履いたシズクが付き従い、そして門を出た所でカナメはシズクに向き直った。


「それでは言って来ます」


「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」


 帽子を脱いでカナメが軽く会釈をすると、シズクは美しい所作で頭を垂れた。それから顔を上げ、はにかむような笑顔でカナメに手を振る。


 少しの名残惜しさを感じながらシズクに背を向け、カナメは歩き出す。霧雨は相変わらずだが、滲んだ陽光が集落をしっとりと照らしている。霧に煙る風景を眺めながら、カナメは大きな道を真っ直ぐに東へと向かった。


  *


 山道を辿り、カナメは麓に在るという『子供寮』を目指す。


 霧雨は東の山の雑木林に入った所で止み、代わりに吹き抜ける風が肌を刺した。しかし登りよりは当然下りの方が掛かる時間も少ない。大して疲労を感じる事も無く、無事カナメは麓へと到着した。


 目印となる『柿峰医院』を探す。確か、瑞池の集落を最初に目指した日に見掛けた筈──と記憶を頼りに歩くと、さほど苦労せず直ぐに見付ける事が出来た。二階建ての医院の建物はそれなりの大きさだが古さを感じさせる。数台分の駐車場の脇に立つ看板には風情があり、如何にも『町の診療所』といった雰囲気だ。


 そしてその隣には、広い庭を持つ一軒家があった。


 周囲は開けた田畑ばかりで他に民家らしき建物は無い。すると、あれが例の『子供寮』なのであろう。低めのブロック塀に囲まれた、思っていたよりも大きな二階建ての家屋だ。カナメが門柱に近付いて表札らしき物に目を凝らすと、『瑞池子供寮』と彫られていた。此処で間違い無いようだ。


 門扉は無く、カナメは直接玄関まで歩み脇の呼び鈴を押す。すると直ぐに複数の足音が聞こえ、はいはいという声と共に玄関戸ががらりと開かれる。


「こんにちは、突然お邪魔してすみません。自分はカナエ・カナメと──」


「いらっしゃいませ! カナエ様ですね、お待ちしておりました! さあさあどうぞ中へ」


 現れたのは三十代と思しき女性と小学生らしき二人の子供だった。カナメが挨拶すら言い終わらない内に、どうぞどうぞと中へと急かされる。状況が飲み込めずカナメが目を白黒させつつも流されるままに玄関を上がると、女性がにこやかな笑顔で種明かしを語った。


「静宮屋敷のお客様なんですよね? シズク様からさっき電話があって。瑞池の人間以外のお客さんなんて滅多に無いもんですけん、子供らも皆そわそわしながら待っとったんですよ」


「ああ、シズクさんが連絡してくれていたんですね。成る程それでこの歓待振りという訳なんですか」


 案内されるままに廊下を進むと、子供達が次々と物珍しげな表情で集まって来る。そしてどうぞ、とカナメが通されたのは畳敷きの広間のような部屋だった。大きめの座卓が三つ並べられている。


 その内の一卓に勧められるまま座ると、カナメは持って来た風呂敷包みを女性へと差し出した。


「シズクさんからの差し入れを預かって来ました。おやつだそうですよ」


「まあ、それはありがたいです。わざわざ運んで来て下さってありがとうございます。でもシズク様ったら、お客さんにこんなお使いさせて……」


「いえいえ、自分は気にしてませんので。それよりも早く開けてみて下さい。自分も中身が何かは知らないのですよ」


 周囲の子供達も早く早くと囃し立てる。女性がおどけた身振りと共に包みを開くと、途端にふわり甘く香ばしい匂いが部屋に広がった。


 中から出て来たのは、綺麗な紙で出来た箱一杯に詰められた、丸く茶色い揚げ菓子だ。一目見るなり、子供達がわっと歓声を上げる。


「やった、たこやきドーナツだ!」


 快活そうな男の子が飛び上がって叫んだ。輪の形ではなく小さな球状に成形されたドーナツは、確かにたこやきに似ていなくも無い。ソースの代わりにたっぷりのざらめをまぶされたそれは子供達の好物のようで、皆大はしゃぎである。


「さあみんな、早く食べたいのなら手分けして準備して! お皿とフォーク、それからコップ。お客さんの分も忘れンようにね、慌てて落としたりこけたりせんよう注意して!」


 女性が子供達に号令を発すると、皆はあいと返事をして一斉に動き出す。カナメが見る限り子供達は素直な子ばかりで、その表情は生き生きととても楽しげだ。


 カナメはふと、アミダに引き取られる以前の施設で居た頃の事を思い出す。それは人生で一番辛かった頃の記憶だ。──ここは施設では無いし、彼らは孤児では無い。しかしそれでも親元から離れて暮らす彼らに何処か影のようなものを勝手に感じ、カナメの胸は僅かに痛んだのだった。


  *


「騒がしくてごめんなさいね、小さめの子らばかりだといつもこんなんで。中学とか高校に行ってる子らが帰って来たらそうでもなくなるんだけど」


「いえいえ、元気なのが一番ですから。──それはそうと、当番は二人一組と聞きましたが、もうおひと方は?」


「ああ、買い出しに行って貰っとるんです。集落の女の中では珍しく車の免許持っとる人なんで、つい色々頼んじゃって……。何軒か回って来るんで、もうちょっと掛かるかと」


 女性は河内と名乗った。瑞池の産まれで、婿である夫と中学生になる息子との三人家族だ。息子も勿論普段はこの子供寮で生活しているが、まだ学校からは帰って来ていないらしい。


「毎週日曜の夜に降りて来て、土曜の午後に瑞池に帰るんです。大抵が幼稚園で一年、それから小学校と中学校で九年、合わせて十年を此処で過ごします。それから高校へも此処から通う子が居ますね」


「成る程、十年……。そう考えると長いですね。高校生ぐらいになると瑞池から通う子もいるのですか?」


「ええ、特に男の子なんかは体力も付いてきて、自転車かっ飛ばして行くんですよ。此処から通った方が楽なのにねえ、やっぱり難しい年頃だからかねえ。うちの息子も高校は家から通うって言ってるんですよ。女の子は此処からの子も多いんですけんど」


「まあ、気持ちは少し分かりますね。やはりその頃になると、個人的な空間が欲しかったりもしますしね。でも此処だと社会性や協調性が育まれそうで、そういう意味ではとても良い環境だと思いますよ」


「そうですね、此処があるから瑞池の人間は皆、仲が良いんですよ。お互いの事もよく知っとるし、上下の繋がりも出来るし。結束が固いっちゅうんですか? 一致団結? そういうんは他の何処にも負けん自信があります」


 はきはきと話す河内の笑顔に、何処か薄ら寒い物を感じてカナメはぞくりと寒気を覚えた。


 ──確かに結束力があると言えば聞こえは良いが、裏を返せばその力は数に任せた他への圧力へと変貌しかねない。一歩間違えば、他社の排斥や弾圧にも繋がる事を、恐らく彼らは理解してはいないだろう。


 笑顔で相槌を打ちながら、カナメは集落の根底に横たわる何かを垣間見た気がして、知れず拳を強く握り締めたのだった。


  *

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