3-03
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それからカナメは光雄に集落で居た頃の道子の様子を尋ねたが、どうやら清水から聞いていた以上の目ぼしい収穫は無さそうだった。失踪したという水間明恵の夫である達夫にも話を聞くも、こちらも目新しい事実は無いようだ。
「何だあんた、嫁のおらんようになった男ばっかに話聞いとるんか」
「ええ、まあ。そんなところです。──あ、火、要ります?」
「ああ、気が利くなあんた」
煙草を咥えた達夫にカナメがライターを取り出し火を点けると、達夫は感心したように眼を細める。少しふくよかな体型の達夫はまだ二十代後半といった所だろうか、男達の中でも比較的若い世代のようだ。
「何だあんたも煙草吸うのか」
「見てたらわしも吸いたくなって来た」
「おい、誰か一本くれよ。持って来るの忘れたわ」
達夫をに次いでカナメが煙草を吸い始めたのを皮切りに、皆がどんどんと集まって来た。どうやら全員が煙草を嗜んでいるようだ。灰皿代わりにしているらしき一斗缶を誰かが輪の中央に据え、蓋を開ける。
「これは中に水を入れているのですか?」
ちらりと覗いた缶の内部には、茶色く濁った水とそこに浮かぶ大量の吸い殻が見て取れた。カナメが紫煙を吐きながら疑問を漏らすと、隣に居た男が缶に灰を落としながら顎をしゃくる。
「山で火が出ると大変やけんど、作業の合間ずっとは我慢したあないやろ? こうしといたら安心やし、ある程度溜まったら、吸い殻はザルで掬うて捨てて水はあすこの辺りに撒くんや」
男の示す方向にカナメが目を遣ると、道から逸れて少し入った場所に小屋があるのが見て取れた。斜面にへばり付くようにして建てられた小屋は、小さいが壁面に水道が備えられており、また伝染が引かれている点からも電気が通っているのが分かる。
「柿畑で使う農薬とか農機具とかを入れとる納屋や。周囲に煙草の水撒いとくと蛇除けや虫除けになるけん、そうやって有効活用しとるって訳や。吸い殻をほぐしたんも効くけんど、こっちの方が手っ取り早いやろ。一石二鳥ちゅう事やな」
「ああ、蛇や虫は煙草を嫌いますもんね」
安田さんと一緒の上に煙草呑み同士という連帯感からか、皆のカナメに対する態度は随分と柔らかくなっている。幾つか雑談を交わす内、そう言えば、と達夫が皆に聞こえるよう大きめの声で言葉を発する。
「カナエさんっちゅうたか、この人、嫁さんおらん男に話聞きたかったらしいで。なあ、嫁おらんようになったもんは手え挙げてみたらどうや」
そして達夫が率先して右手を挙げると、苦笑しつつ光雄もそれに続く。皆から忍び笑いが起こり、更に幾つかの手が挙がった。
その数、──実に八人。
「は……!?」
その多さにカナメは絶句する。此処に居る男の半数以上が嫁を失くしたと言うのだ。驚いて周囲を見回すカナメに、挙げていた手を下ろしながら年配の男が半笑いで口を開いた。
「うちらだけやないで、余所に働きに出とるもんも含めるともっとや。手え挙げたもんは皆瑞池の出で余所から嫁貰った人間や」
「そんな……」
「そうでないんは他から瑞池の女のとこに婿に来た奴か、瑞池の女と結婚したんのどっちかやな。余所から来た嫁は皆、身体壊して亡うなるか、水間の明恵みたいにおらんようになった。波木の道子みたいに逃げて生きとるって分かっとるんは稀やなあ」
手を挙げていた男達は皆、年配の男の言葉に薄笑いを浮かべ頷いている。他の者も少し居心地悪げに愛想笑いを貼り付かせていた。笑っていないのは光雄だけだ。
ぞわりと背筋に悪寒が走り、カナメは喉をゴクリと鳴らした。平静を装い、短くなった煙草を一斗缶に投げ入れる。ジュッと微かな音が聞こえ、僅かに紫煙が立ち昇った。
そんなカナメの動揺を見透かすように、他の男達も次々と軽い口調で話し出す。
「やっぱり気候が合わんのかなあ。ずっとこんな風に霧雨ばっかりやしなあ、陽の照る日も少ないしなあ。食べもんは悪うないと思うんやけど」
「でも婿に来た皆がピンピンしとるとこを見ると、なんぞ女が調子悪うなる何かがあるんやないか」
「けんど瑞池で育った女は普通に生きとるぞ。大池の婆さんなんぞ八十過ぎてもピンシャコしとる」
「なんや分からんけど、まあ子供産んでくれたら後は構わんやろ。子供らは生きとる女らが協力して面倒見てくれとるし」
でもなあ、と達夫が鼻から煙を吹きながら天を仰ぐ。
「やっぱり俺、新しい嫁さん欲しいわ。多少不細工でも構わんから、誰か紹介してくれんやろか」
「達夫はもうちっと痩せてシュッとした身体にならんと、また愛想尽かされるんとちゃうか」
「何夜と、男は見た目やない、心意気やろ!」
隣に居た男が達夫の弛んだ腹を肘で小突き、大声で達夫が反論すると、皆からどっと笑いが起こった。皆の遣り取りに戸惑うカナメに、光雄がそっと耳打ちする。
「な、皆こんなんなんや。皆、自分の嫁が死んだりおらんようになっとるのに、普通に笑い事にしとる。俺にはそれが分からんのや。俺の方が此処では異常らしいんや」
カナメは光雄の言葉に頷くと、軽く溜息をついた。──確かに、此処は異常だ。そうとしか言い様が無い。
そんな一見和気藹々とした空気の中で、不意に、誰かが大声を発した。
「あっ、あかん、安田さん! そっちは危ないで!」
全員が一斉に声を上げた男の視線を追う。見ると、先程話に出た小屋の前に安田さんが居るのが目に入った。小屋の扉は僅かに開いており、安田さんはじっとその中を覗き込んでいるようだ。
男が二人程、安田さんの傍へと走り寄って行く。抱きかかえられた安田さんの鼻は柿の汁でべとべとのままで、ついでに洗ってやったらどうだ、と他の男が喋る声が聞こえた。カナメもそちらへと向かおうとすると、年配の男がそれをやんわりと手で制する。
「あんたも行かん方がええ、農薬や道具は思っとるより危険やけん、うっかりすると怪我するでな。それにそろそろ休憩も終わりにせんと。少し長う休み過ぎたわ」
「そう……ですね。すみません、長々とお邪魔してしまって」
「気にせんでええ。仕事に息抜きは必要やけんな」
男は一斗缶に蓋を嵌め込み、それを持ち上げ小屋の方へと運び始める。その背中をカナメが見送っていると、入れ替わるように安田さんがとてとてと近寄って来た。水道で洗って貰ったのだろう、その顔は少し濡れてはいるものの柿の蜜はもうすっかり落とされていた。
「行きますか、安田さん」
カナメが声を掛けると安田さんはぺこりと頭を下げた。男達はそれぞれまた作業に戻り始めている。それでは失礼します、とカナメが挨拶をすると、おう、と何人かがぱらぱらと手を振った。
来た時と同様、安田さんがまた先に山道を歩きだす。カナメは男達に背を向けるとそれに続いて道を下り始めた。冷たい風がコートを弄び、ひらりと裾が広がる。
霧雨がじっとりと肌を濡らす。それとは別に、カナメの背には冷たい汗がつうと流れたのだった。
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