3-02



  *


 山道を登るにつれ、作業を行う人影が徐々に見えて来た。どうやら十数人の比較的若い男達が渋柿の収穫に勤しんでいるようだ。三十代が中心の彼らは皆、似たような作業着を纏い、軍手と長靴、そして帽子と手拭いで出来るだけ肌を露出させない格好をしていた。


 男達は三~四人ごとの組に分かれ、分担して収穫をしているようだった。柿を木から収穫する者、柿の入った籠を受け取りコンテナに移す者、コンテナを運んだり新たな籠やコンテナを用意する者だ。


 収穫は脚立に上って行われている。不安定な足場でもぐらつかない三脚の大きな脚立は、年期は入っているもののどれもとても頑丈そうだ。挟みを使いもがれた実は脚立に引っ掛けられた竹籠に入れられ、ある程度一杯になると別の者が大きなコンテナにそれを移し替えるのだ。どの役も重労働なのが見て取れ、カナメはその作業の大変さに頭が下がる思いであった。


「おはようございます。雨なのに精が出ますね」


 集団に近付いてカナメが声を掛けると、皆が一斉に作業の手を止める。どうやらカナメが登って来ている事には気付いていたようだ。満杯になったコンテナを運び追えた男が伸びをすると同時に、脚立の上で作業をしていた者も次々と降りて来た。


 五十そこそこだろうか、この中では比較的年配に見える男が、持っていた籠を地面に下ろしてカナメに近寄る。自分が声を掛けた事で邪魔をしてしまったのではとカナメは機具したが、首を回し身体をほぐす年配の男の表情は穏やかだ。


「おはようさん。ああ、あんたあれやな、静宮屋敷に逗留してるっていう客人やな」


「はい、カナエ・カナメと申します。お忙しい中すみません、お邪魔でしたでしょうか」


「いやあ丁度いい、そろそろ休憩にしようかと思っとったとこだ。──おうい光雄お、皆に珈琲配ってくれやあ」


 うはあい、と野太い声が少し向こうから響き、大柄の若い男が缶珈琲の入った段ボールを抱えてやって来る。光雄と呼ばれた事から察するに、あれが道子の元夫である波木光雄なのだろうか。


 ぞろぞろと集まった男達は軍手を外し、光雄から渡された缶珈琲を手に次々と休憩を取り始めた。空のコンテナを引っ繰り返して椅子代わりに座る者、脚立に腰を掛ける者、立ったままや木に凭れる者など様々だ。カシュッと缶を開ける小気味良い音があちこちから響く。


「あんたも一本どうだ。登って来て疲れたろ」


 先程の男が両手に持った缶の片方をカナメに差し出した。一瞬躊躇を見せるカナメに、男は苦笑を漏らす。


「見ての通り箱ごと多目に持って来とるから数は気にせんでええ。それとも珈琲は苦手だったか?」


「いえ、そういう事なら頂きます」


 カナメも笑顔を返し缶を受け取った。有名な銘柄の、砂糖とミルクのたっぷり入った缶珈琲だ。カナメの好みではないが、肉体労働の合間に飲むという事は水分以外に栄養補給も兼ねての選択なのだろう。


 プシュッとプルタブを引き明け、カナメも皆と同じようにプルリングを指に嵌めたまま缶珈琲を啜る。甘い。驚く程に甘いが、慣れぬ山道を登った疲れに甘さが染み渡っていくようで、これは意外と悪くない、とカナメは喉を鳴らし嚥下する。


 不意にコートの裾を引かれた。ん、とカナメが足許を見遣ると、安田さんが何処か羨ましそうな顔でカナメを見上げている。──缶珈琲が欲しいのだろうか? しかしこれは動物には良くないのでは、とカナメが狼狽していると、先程の年配の男が事情を察したようで笑いながら安田さんに話し掛けた。


「安田さん、それは安田さんには毒やけんな。ちょっと待っとってくれたら、ええもん持って来たるけん」


 安田さんはその言葉にこくんと頷くと、きゅう、と泣き声を上げて男の足許に座り込んだ。餌を催促する子犬のように男を見上げる安田さんの様子にまずカナメが噴き出し、次いで成り行きを見守っていた男達も一斉に笑った。


 年配の男も破顔すると、分かった分かった、と一気に珈琲を飲み干して缶を光雄に渡す。そしてざくざくと落ち葉の積もる斜面を早足で下り、慎重な手付きで柿を二個程もぎ取ってまた大股で戻って来た。


「ほれ、これならいけるだろう。たらふく喰うたらええ」


 そう言いながら、男は大きめの落ち葉の上に取って来た渋柿を並べた。安田さんはぺこっと頭を下げると、両前足で一個を掴み鼻先を柿の実に突っ込む。橙色を越えて真っ赤に熟した実は、くしゃりと皮が破れると同時にじゅわり、と蜜を溢れさせた。


 安田さんは鼻先を汁でべとべとにしながら夢中で柿を頬張っている。その様子を不思議そうに眺めながら、カナメは年配の男に問うた。


「渋柿……なんですよね、あれ。渋くは無いのですか?」


「ああ、あそこまで木で熟したやつは渋くなくなるんだ。うちらはズクシって呼んでる。甘めえが熟し過ぎると落ちるし、頃合いを見計らってる内に鳥に食べられたりもする。丁度良さげなのがまだあったなと思って取って来た。安田さんは運がええな」


「へえ、甘柿の『熟し』は知っていましたが、渋柿でも食べられるようになるんですね。初めて知りました」


「うちとこはホレ、雨が多くて干し柿が造れんけんな。渋柿は全部渋抜きにするんだが、傷のあるやつは使えんから全部もうそのままにしとってな、それが皆ズクシになんだわ」


 成る程、とカナメは頷いてから缶珈琲を飲み干した。干し柿は風通しの良い日陰で作るものだが、雨の多いこの瑞池では湿度が高過ぎて腐るか黴が生えるかしてしまうのだろう。はぐはぐとズクシを食べる安田さんを微笑ましく見遣りながら、カナメは缶を回収する光雄に空の缶を手渡した。


「そいやあ、何か用事があってわざわざ来たんとちゃうんか? この雨ん中、柿の収穫を見たいとかいう酔狂な話ちゃうんやろ?」


 缶を受け取った光雄が、思い出したようにカナメに声を掛ける。もう男達はあらかた珈琲を飲み終わり、各々が思い思いに談笑を続けていた。その様子をちらり眺め、カナメは缶を入れたゴミ袋を縛る光雄に向き直る。


「光雄さん、と呼ばれていましたが、もしかして波木光雄さんですか? 道子さんの旦那さんの……」


「あんた道子を知っとるんか! あいつ、急に何も言わず出て行ってしもうた。もう帰らんっちゅうんは電話で聞いたけんど、詳しい事は全然喋ってくれんかった。道子が今なんしよんか教えてくれんやろか」


 光雄は口を縛ったゴミ袋をガラガラと鳴らしながらコンテナに放り込んだ。その声は沈んでおり、表情も暗い。少し落ち込んだ様子の光雄に、些かの同情を覚えながらカナメは口を開いた。


「道子さんは今、尼寺に身を寄せております。心身共に弱っているとの事で、寺で静養されていると聞いております」


「寺か……。実家とちゃうんやな。なあアンタ、もし伝手があるんなら道子に手紙の一つでも寄越してくれって伝えてくれんか。落ち着いたら出いいし、もし俺の事が嫌いになってなければでいいからって」


「承知しました。……道子さんは酷く集落に怯えていましたが、光雄さんについては何も言ってはなかったそうです。なので、光雄さんの事が嫌いになったとかでは無いと思いますよ」


「だといいんだけどな。ありがとう、あんた良い人だな」


 声に力は無いままだったが、それでも少し光雄は笑った。


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