3-04


  *


 山を下りながらカナメは先程の遣り取りを思い出す。居なくなった女達の数は異常で、しかも彼らはそれを平然と語っていた。


 ──語る事が出来ていた、という事はつまりは、集落の『呪い』には抵触していないのだ。清水に問うた『瑞池ではしばしば人が消えたり亡くなったりしているのでは』という文言は抵触し、複数の男達が語る『嫁が皆失踪したり亡くなったりしている』という内容は抵触しない。この差は何なのだろうか。


 一つ思い付くのは、清水に問うた内容は『瑞池そのものに関わるような訊き方』であり、男達は飽くまで『個々人の嫁がいなくなっている』という個人的な事象を語っているといった表現の差だ。


 これは静宮邸の書庫に張られた結界の『書物そのものは持ち出せないが、シズクが読んだ内容を語る事は制限されていない』という縛りに何処か似ている。──決められた規則にも解釈の余地があり、穴がある。そこを上手く突ければ、もしかしたらもっと何かが見えてくるのかも知れない。


 ふう、とまたカナメは溜息を零す。前を行く安田さんは尻尾を振りながらとてとてと歩いている。やはり皆、安田さんには優しいのだな、と揺れる尻尾を見ながらカナメは思う。


 しかし思い返す度に違和感が背筋をぞくりとさせる。男達の年齢は三十代が中心で、一番高齢の者で五十前後、下限は二十後半という感じであった。つまりは瑞池に嫁いだ女が消えた、もしくは死んだのはここ二十年内、古くとも三十年内の出来事ではないのか。もっと以前から続いている事かどうか、もう少し調べる必要がありそうだ。


 カナメは思考と同時にぐるり集落へと視線を巡らせた。余りに計画的な配置に何故だか不穏な物を覚え、ぶるり身を震わせる。


 ──やはり、この瑞池には何かがある。


 改めてそう感じ、カナメは無意識に足を速めるのであった。


  *


 山を下り終え、さて、とカナメはコートの隠しから取り出した懐中時計を確認する。時刻は十時半といったところだ。今から井戸家を訪問するには少し時間が足りないように思われた。


「あ、安田さん、そちらに行くんです?」


 少し集落の中でも散策しようかと思考するカナメを尻目に、安田さんがとてとてと歩き始めた。カナメが声を掛けると安田さんはこくりと頷くので、それならと後を付いて行く事にする。どうせ行く先は決まっていなかったのだ、安田さん任せにしても問題は無いだろう。


 北の山を登る道は、集落の中心からは少し西にずれた場所に位置していた。東の方面へと向かう安田さんを追って集落をぐるりと囲む道を歩く。白鷺が数羽見える田を右手に眺めながら少し進むと、道の先に誰かがしゃがみ込んでいるのが見えた。


「あれは、祠……?」


 近付くにつれ何かが道端に在るのが認識出来た。道の左側の脇、小さく開けた空間に設けられたそれは、祠のようだ。こぢんまりとしながらも屋根を備えた祠はよく手入れされており、その前で老婆が一人、しゃがんで手を合わせていた。


「こんにちは」


 近付いて声を掛けると、老婆は閉じていた眼を開き温和そうな笑みをカナメに向ける。小さな台の上には供え物らしき柿が載せられ、安田さんがその前で座り込んだ。


「あれ、静宮屋敷のお客人かいな。安田さんも一緒に散歩でもしとるんかね」


「まあそんなところです。……この祠は一体?」


 ああ、とカナメの問いに老婆は視線を祠へと向けた。三方を板で囲まれた祠の中を覗くと、剥き出しの土の上に円筒形の岩が安置されている。ごつごつとした岩は随分年期の入ったもののようで、何を象っているのか一見しただけでは判別は不可能だ。


「瑞池を護ってくれとるもんって聞いとるが、うちはよう知らん。此処のは『北守さん』って呼ばれとる。瑞池の中心から見て真北にあるけんね」


「きたもりさん、ですか。へえ、だったらもしかして、南や東にも?」


「そうそう、全部で四つあるでよ。東の山の麓に東守さん、西の山の麓に西守さん。南は川の土手の上に南守さんがあるでな。静宮屋敷が中心じゃけん、そっからきっちり東西南北に四つあるんよ」


 言いながら安田さんの頭を撫で、そしてよっっこらせ、と老婆は立ち上がる。安田さんがぺこり頭を下げると、老婆は嬉しそうに眼を細めた。


「うちはそろそろまた畑に行かんとあかんでな、ごめんなして。──まあなんも無い所やけど、野菜と果物は美味いでな、お客人もゆっくりしていくとええ」


「はい、ありがとうございました」


 カナメが帽子を脱いで頭を下げると、老婆はふふふと銀歯を見せて笑った。ほな、とひょこひょこと歩き出す老婆をカナメは黙って見送る。その背が小さくなるのを確認してから祠に向き直ると、安田さんと目が合った。


 きゅう、とお供えの柿とカナメを交互に見遣り、安田さんが鳴き声を上げる。しゃがんでからその頭を軽く撫で、カナメは笑みを零した。


「駄目ですよ安田さん、これはお供え物ですから。それに柿ならさっきズクシを貰ったでしょう? 静宮邸に帰ればきっと何か食べさせて貰える筈ですから、それまで我慢ですよ」


 カナメの説得にこくりと頷いた安田さんの頭を再度わしわしと撫で、カナメは身を屈めたまま祠の中をじっくりと覗き込む。


 ──老婆の言葉から察するに、道祖神のような物だろうか。何かの形を彫ってあるようにも見えるが、随分と風雨に浸食されてしまったのか判然としない。頭頂部だけが真っ平らなのが不思議と言えば不思議だが、それだけだ。木製の屋根や壁は傷んでいる様子は無く、本体よりもかなり最近に設えた物のように思われた。


 カナメは何気無く手を伸ばし、岩に触れてみる。と、その途端──。


 ──ゾクリ。


 見ているだけでは分からなかった冷気が、カナメの手を通じて背筋を走り抜けた。うなじがちりちりと痛む。反射的に離した手を、今度は覚悟を持って再度伸ばし、がっしりと頂上部の平面を掴むように触れさせた。


「こ、れは……何だ」


 カナメの額に汗が滲む。──気が、渦巻いている。岩の内部に怨念めいた悪意が凝り、邪気となって渦巻いているのだ。決して外へは出られぬ呪詛が岩の中で暴れ、触れたカナメの手の平をじりじりと凍傷の如く痛め付ける。


 堪えきれなくなり震えながらカナメは手を離す。知れずはあっと大きな息が漏れた。ゆっくりと立ち上がり、祠を見下ろす。


 ──これは、何だ。何を祀っている? こんな物を四方に置いて、何から集落を護るというのか。そも本当にこれは、集落を護っているのだろうか……?


 ギリ、と奥歯を強く噛み、カナメは祠を睨み付ける。相変わらず祀られた物はそこに在り、何も言わず、何も漏らさずに佇んでいる。これも詳しく調べる必要がありそうだ──。


「……行きましょうか、安田さん」


 カナメは溜息をつくと祠に背を向ける。歩き出すと、安田さんがちょこちょこと付いて来る。


 カナメは真っ直ぐに南へと足を進めた。集落の中心を東西と南北に走る大きな道、北守と呼ばれる祠から静宮屋敷に向かって伸びる、大きな十字の道を──。


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