2-05


  *


「それで、お話っちゅうのは?」


 カナメの目の前には座卓を挟んで清水が座っていた。昨日会った時と同様、綿の着物に白い割烹着姿だ。大柄な体格に反しその表情はにこやかで、団子に纏めた髪も黒々として頼り甲斐の或る雰囲気を持っている。


 カナメはそのいかにも『母』といった佇まいに気を許しそうになるものの、心に喝を入れ表情を引き締めて口を開いた。


「清水さんは嫁いで来たのではなく、この集落で育った方ですよね。色々とお聞きしたい事があるのですが……」


「そうです、瑞池で産まれてずっと此処で暮らしてますけん、瑞池には詳しいですわ。うちに答えられる事なら何でも答えます、遠慮せずどんどん聞いて下さい」


 笑うと目尻に寄る皺が、老いでは無く溌剌差を感じさせる。清水の目は笑いながらも強い好奇心の色を湛えていた。小細工はこの人には無駄だろう、カナメはそう判断し、少し頷くと真っ直ぐに切り出す。


「波木道子さんの事をご存じですか。旧姓は明松、数年前に瑞池へと嫁いで来た人です」


「ああ、道子さん。知っとるも何も、道子さんを波木の光雄君に紹介したんがうちの主人ですけんね。よう働くええ娘だったのに、何であんな、急に家出するように身一つで……」


「その、道子さんが瑞池を出る心当たりであるとか、何か変わった様子とかはありませんでしたか」


 カナメの問いに、清水は首を捻り天井の隅をしばし眺めてから、ああ、と何かを思い出してか両手を胸の前でぱんと合わせた。


「そう言やあ、一月前ぐらいでしたかねえ、『子供寮』の当番から帰って来た頃から、妙に落ち着きが無いというか、何処か怯えた様子で。時々なんか独り言ぶつぶつ言うとったり……ああそうそう、顔もちょっとやつれてたように思いましたわ」


「一ヶ月程前ですか。ちなみに、その『子供寮』というのは?」


「いえね、麓から瑞池までは大人でも小一時間掛かるでしょう? 小さい子供の足だと一時間半とか掛かるんですわ。そこから更に学校まで歩いとったら、往復だけで三時間半とか四時間近く掛かるでしょ。だから小中高の学校に通ってる子は、平日は麓の寮で暮らしてそこから学校に行ってるんよ」


「へえ、なかなか良い仕組みですね。そこで集落の子供達が共同生活をして、大人が当番制で面倒を見ているのですね?」


 カナメの理解に清水が大きく頷く。


「そうそう、麓に『柿峰医院』って診療所があって、そこの柿峰先生が持ってた古くて大きな空き家を瑞池が買い取ってね。集落の手すきの女が二人ずつ、毎週後退で世話をしとるんです」


「成る程、集落の中で子供を見掛けなかったのは、そういう訳だったんですね」


 カナメは昨日集落に来た時の事や今日の午前中の光景を思い出す。何人もの住人に会っているが、確かに大人の姿しか見掛けていない。冬とは言え遊びの少ない田舎の事だ、子供が居るのならば外で遊ぶのが普通だろう。今朝のような暖かい晴れの日ならば尚更だ。


「それで話を戻しますが、道子さんはその当番から帰って来てから、様子がおかしかったと」


「そうね、何かを怖がっとるみたいな、おどおどしてあんまり畑仕事とか以外では外に出てこんようになって……。夜中に何か叫んどった声を聞いたもんもおりました。明恵さんの時とおんなじような感じで」


「明恵さん……と言うと?」


 新たに出て来た人名にカナメが片眉を上げると、ああ、と清水が眉根を寄せる。


「道子さん同様、数年前に瑞池に嫁いで来た娘です。水間の達夫君とこに来た人で……その人も同じようにある時から様子がおかしゅうなって、それから急にいなくなったんです」


「いなくなったのはいつ頃ですか?」


「一年程前でしたかねえ。達夫君その時ごっつい落ち込んで……でもまだ若いからですかね、もうすっかり立ち直って、また新しい嫁が欲しいみたいな事言ってましたわ、懲りん子ですわ」


 ふぅむ、とカナメは軽く目を伏せ思案する。もしかして、と思い戸惑いながらも清水に疑問を投げ掛けた。


「ひょっとして、瑞池では以前からしばしば、人が失踪する事があるのですか……? いや失踪だけでなく、不慮の死など──」


「──お答え出来ません」


 それはまさしく、不意打ちの如き反応だった。


「……え、」


「お答え出来ません」


 まるで判で押したかのように同じ言葉、同じ口調。


「お答え出来ません」


 先程までとはまるで違う清水の様子に、カナメはその顔を凝視する。言葉同様、笑顔も柔和だったものから一転、能面が張り付いたかのような表情に変化している。


 一気に、カナメの背筋にぞくりとした感覚が走る。ちり、と空気に何かが混じる。石油ストーブを焚いた暖かな室内だと言うのに、凍った霧めいたつぶてが肌に触る。


 ──これが、御師様が言っていた呪いか。カナメの額を冷や汗が伝う。


「お答え出来ません」


 尚も繰り返す清水に、戦慄しながらカナメは制するように手の平を掲げた。


「清水さん、もういいです。撤回します。先程の質問は取り下げます」


 するとその刹那──、清水の雰囲気が元の柔和なものに戻る。


「……清水さん?」


「あら、どうかされましたか? うち何かおかしな事言いました?」


「いえ……、何でも」


 ちりちりとした感覚も夢だったかのように消えている。カナメは額に浮いた汗をそっと手の甲で拭った。


 清水の反応からすると、恐らくは集落の秘密に関する事柄に話が及ぶと、それを他人に伝えられないよう術が作動するのだろう。そして本人はそれを感知していない。それはそうだ、本人が『喋られない事柄がある』などと気付いたら混乱するのは必至だ。軽い記憶の辻褄合わせも同時に行われているに違い無い。


 術の存在を気付かせず、恐らくは集落の全員に掛けられているであろう、アガナにも解けなかった呪い。こんな高度な術式を一体誰が掛けたのか──。カナメは軽く溜息をつくが、しかし今はそれをじっくりと考えている場面では無い、と清水に向き直った。


「いえ、すみません、少し考え事をしていたもので。では話は変わりますが、──」


 気になっていたが秘密には触れないであろう幾つかの事柄を質問し、カナメは清水との話を終える。まだ聞きたい事は残っていたが、時間もそれなりに経っていた。ここらが潮時だろう、とカナメは謝意を述べた。


「長々とお付き合い頂き、ありがとうございました」


「何だか一杯喋ってしもうたわ。カナエ様、聞き上手ですけんねえ。でもこんな話で良かったんです?」


「いえいえ、とても参考になりました。またお話を聞く事もあるかも知れませんが、その時も是非宜しくお願いしますね」


「うちで良ければ構いませんけん、いつでもどうぞ」


 清水はそう言ってにっこりと笑うと、それでは、と部屋を辞していった。


 大きく溜息を吐くと、カナメは煙草に火を点ける。


 ──これで瑞池の『表向き』の事情はざっくりと理解出来た。問題は隠された『裏』の顔だ。それを探るには集落全体に掛けられているであろう呪法を解かねばならない。誰が、どのような方法で術を施しているのか。立ちはだかる大きな壁に、カナメは溜息と共に紫煙を吐いた。


 ふと見上げた時計はもう三時の手前を示していた。先刻のシズクの様子を思い起こし、自分の不甲斐なさに奥歯を噛む。焦るばかりの心を宥めるように大きく紫煙を吸い込み、短くなった煙草を丁寧に揉み消す。


 その時、障子戸の向こうで衣擦れの気配がし、声が掛かった。


「カナエ様、お茶をお持ちしました」


 それは少し怯えのような色を滲ませた、シズクの声だった。


  *

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