第4話 文化人類学についてと民俗学との比較

「ではこれより『民俗学A』の三回目の講義を始めます」


 チャイムが鳴った後、いつも通り銀嶺がパンと柏手を打ち、空気が変わる。

 そして何事も無かったかのように銀嶺はマイクのスイッチを入れて講義を始めた。


「えー、まず最初にレジュメを配るので端から端に向かって一枚自分の分を取ってから隣に渡して行ってくれ」


 そう言ってレジュメの紙を各列の端に多めに配り始めた。

 その後で出席確認用の小さな紙を配り始めた。


「各列の向こう端の人は余ったら一番後ろの列の人から前に紙を回して一番前の端の人の方へ集めておいて。先生が少し話したら回収しに行くのでそれまで持っててくれ」


そう言って銀嶺は教壇に戻って行った。


「さて、今回は予告していたように『文化人類学についてと民俗学との比較』をやっていこう」


 銀嶺は黒板に縦書きで民俗学と右端に書いた後、その隣に文化人類学の字を書いた。


「この『文化人類学』だが、嘗ては別の名前でも呼ばれていた学問だ。因みに何度か名前は出ているぞ。答えられる者が居たら挙手をしてくれ」


 銀嶺がそう言って挙手を求めると数人だけ上がった。

 銀嶺は学生側を証の眼で見遣ってから少し考えを巡らせてマイクを持って教壇から移動を始めた。


「では、六列目の左から五番目で挙手している学生きみ、マイクで答えてくれ」


 そう言って銀嶺は後ろの席が空いてたのでそこから学生にマイクを渡した。

 学生はわざわざここまで先生が来たことに驚いていた。


「え、えー、先生が以前に仰いました族違いのやからの方の『民族学』です」


 学生は驚きつつもしっかりと答えることが出来た。

 銀嶺は学生からマイクを返してもらう前に短く拍手をした。


「素晴らしい、正解だ。君はお試しの講義から居た学生のようだね。前期はこれからもこの講義を楽しめるように僕も努力しよう」


 マイクを返してもらった後銀嶺はそう言ってから残ったレジュメと出席確認の用紙を回収して教壇へと戻っていく。

学生から見てその戻る姿はとても優雅であったと言う。


「先程の解答者の言う通り、『文化人類学』は嘗ては『民族学』と呼ばれてもいた学問だ。此方の族はやからと読みあまり良い意味では無いが、漢文で出てくると物騒な意味になる事があるのでまだまだ可愛いものだな」


 そう言って黒板の文化人類学の字の下に嘗ては民族学と書き足した。


「厳密には『民族学』と『文化人類学』は元々別の学問だったらしいが様々な事情があって日本においては『文化人類学』に吸収される形になったそうだ」


銀嶺はそういって民族と言う言葉と国際的な思考等と書き足した。


「『文化人類学』はその部族や民族の昔話や唄、生活習慣、宗教にも関わる思想などを調べて社会制度の成り立ち等に関わることなどを研究する学問だ。そのアプローチ方法も『民俗学』同様に現地での聞き取り調査などのフィールドワーク、これは場合によっては滞在期間をそれなりに確保して地域の生活習慣や思想などを観察調査する事もある。そして先行研究や過去の文献資料等を集めて基本材料として研究を進めていく点は極めて酷似している」


 銀嶺はアプローチ方法と書き、聞き取り調査等のフィールドワークや先行研究、過去の文献資料を集めると書き加える。


「とまあ、ここまではおおよそ同じなのだが、研究対象が違う。『民俗学は自国の文化を調べる』つまり大まかに研究者自身の出身コミュニティかあるいは同じ文化を共有するコミュニティまでを対象とするのに対し『文化人類学は世界中の民族を対象にする』つまり少なくとも研究者の出身コミュニティとは違う文化を持つ民族、人々を調べるという違いがあり、そこから様々な違いが生まれる訳だ」


 研究対象の範囲の違いと銀嶺は黒板に書いた。その後、民俗学は国内、文化人類学は世界中、海外と少し大雑把に書き足される。


「民俗学は前提として社会がある程度発達して昔の伝統的な生活習慣を懐古するような風潮を持ち心の拠り所を求めるような国であることとその名残を探し求める学問でもあるため、フィールドワークは基本的に同じ言語で僕のような民俗学者は話が一応通じてる筈の人とお話しして様々な情報を頂く形になるんだが……僕も以前ある集落でお邪魔して稀人まれびとみたいな接待をされた事があるよ。別に僕は上客ではない筈だったが」


 一応必要ないはずなんだがな通訳、本州だったし……と銀嶺はボヤいた。通訳をする人が必要だった事があったんだろう。


「『文化人類学』では通訳が必要になったり識字率がどうこう言う前に文字文化を持たない現地民や部族と関わることになる場合もある。因みに原始的な生活習慣を持つ人々を研究することで私達のもつ文化や社会制度が確立する前の生活習慣やコミュニティ形成の研究にもなる。その関係で社会学や心理学など他の研究分野にも関わってくるぞ。というか文化人類学はそのまま人類学や社会学などの学部にある事が多い筈だ。後は国際文化や国際コミュニケーション学部みたいな所に置かれている事もある」


 社会学系と書き、原始的な生活習慣を持つ人々を研究することで社会制度の成り立ち等の考察などを研究と銀嶺は黒板に書き足した。


「『民俗学』と比べると『文化人類学』は他の地域の習慣や文化の比較などを多く行ったりするのも特徴だ。また研究者自身の出身のコミュニティの文化との比較も行ったりすることもある。これは『文化人類学』が『民族学』だった頃から、自国文化を知るために他の地域の文化を研究し自国文化と比較していたというのもあるからだ」


 よく色々な事柄を他地域との比較をして共通点と相違点を探す、と銀嶺は黒板に書いた。


「自分の事を知るには他者を知る事と言ったもので、実はアイデンティティとは他者との交流がなければ芽生えにくい物だ。僕達の住むこの国の名前はどのようにして名付けられたのかを考えればわかるだろう。名乗る名は他者が居なければ必要ないのだから」


哲学的にも思えることを言ってから「自国文化を知るために世界の文化を研究する学問」と銀嶺は黒板に書いた。


「因みに『民俗学』も文化の比較などはすることはするんだが、国内の地方地域内での習慣や伝承の違いを比べたりやあるいは近隣の東アジアの国の文化を比較する比較民俗学のようなものになるから『文化人類学』ほどのスケールの違いはあまりないな」


そう言って銀嶺は黒板に『民俗学』は『文化人類学』に比べると細かい習慣や伝承の差異を比較すると書いた。


「一応、『考古学』によって縄文人が南方から北上してきた事やポリネシア系と共通する文化も持っていたことが判明しているが。孤立した言語を持つ民族とも言われてる僕達の国の文化の奇々怪々な面もいつの日か各分野の様々な研究の結果枯れ尾花となるんだろうか」


因みに縄文時代の火山の破局噴火で西日本側は壊滅して断絶してる部分もあるが、と言いつつ銀嶺は「文化のルーツの探究」と黒板に書いた。


「『民俗学』は民俗資料を集め直接自国文化や研究者自身のルーツ、つまり根源を探究する面を持つ学問であるが、民族至上主義や民族差別主義やナショナリズムを用いた煽動として政治利用されたりとデリケートな部分もある。 嘗て猛威を振るい、今では世界での色々と扱いに困るコンテンツと化した人物と及びその人物が率いた組織関連と呼応した思想の事だな」


そう言いながら銀嶺は「民俗学は資料を集め直接自国文化や研究者自身のルーツを探究する学問」と黒板に書いた。


「まぁ、心の拠り所を持ち自尊心を養うことは良いことだが、周りを下げて行う行為ではないし何にしてもやり過ぎると先鋭化して過激化しかねないので何事も注意が必要だ」


黒板には雑に「取り扱い注意」と書き足された。


「僕達の国が文字を持つよりも古くから存在して在り方が時代で変わってきた宗教も、そして今も続く文化もどちらにも連続性があって言葉にも古代の名残を残している訳だな。言語は日本語の中の所謂和語の事だが、ポリネシア系の言語との共通点の比較して見出だしている論文とかも存在するぞ、こちらは比較言語学とかの領域だな」


そう言いつつ黒板に他言語との共通性の比較によるルーツの探究と銀嶺は書いた。


「さて、今日の講義はここまでだ。次回は『とある夏の行事について』の講義になる。今回も出席確認の用紙に名前を書いて教壇に提出してから退出するように。そうしないと今日の講義出席扱いにならないので忘れないように」


 そう言ってから銀嶺はマイクを切って柏手を打った。


「今日も僕はチャイムが鳴るまで一応此処に居るので講義についての質問は受け付けるよ」


 マイクのスイッチを今一度入れて銀嶺が発言すると出席確認の用紙を書いて提出した学生の一部に囲まれいつも通りチャイムが鳴るまで質問される事になった。

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