冷蔵庫と水瓶と少女

小木瓜まりこ

冷蔵庫と水瓶

男は渇いていた。

雑踏の中、すれ違う人にぶつかりよろめきながら漸う道の端まで辿り付くと、背負っていた荷物を下ろす。荷の中身は水だった。水を運ぶことを生業としているのではない。彼は旅支度のひとつとして、王からこの荷を受け取った。旅の目的は、隣の国の宰相に書簡を届けることだった。彼に旅を命じた王は、金貨の入った袋とパン、そして2つの荷を彼の前に差し出して言った。


「金貨とパンを授けよう。その2つの荷の片方には夜露をしのぐ天幕が、もう片方には水が涸れない不思議な瓶が入っている。いずれか好きな方を持って行くがよい」と。

袋の中の金貨があれば道中の宿には困らないから天幕などは不要だ。しかももう一方は水の涸れない水瓶だという。迷う理由はなかった。

男はずっしりと重い水瓶を大きな背負い袋に入れて旅立った。が、初めて渇きを覚えてその荷を下ろしたときに、自分の愚かさを悟った。

瓶は滔々と水を湛えているが、その入口は狭く、ひしゃくはおろか男の手すら入らない。かといって持ち上げてそれから直接飲もうとするには重すぎる。重いばかりで役には立たぬ。けれども水の涸れぬ不思議な瓶だというそれを捨ててしまうことも憚られる。


男は水瓶を背負い歩き続けるよりほかなかった。渇きは安い葡萄酒で癒やすしかない。道中、袋の中の金貨は思った以上のはやさで減っていった。やがて隣の国まであと少しというところまで辿り付いた。金貨はすでに心許なく、男は街道沿いの安宿に転がり込んだ。疲れ果てていた。脚も、肩も、そして何より心が。固いパンを一番安い葡萄酒で無理矢理のみこみ、そのまま寝台にごろりと横になると、硝子の破れた窓の外から、くすくすと甲高い笑い声が聞こえる。不審に思って身を起こせば、窓の外で見知らぬ少女が笑っていた。


「あなた、とっても疲れているのね」


少女は、渇いた石畳に鞠が弾むような調子で言った。男が沈黙でそれに応えると、少女は歳にはまるで不釣り合いな慈愛に満ちた表情を浮かべて手を伸ばした。柔らかな白い指先が男の汚れた頬に触れる。


「あなたの王冠は、冷蔵庫の中よ」

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冷蔵庫と水瓶と少女 小木瓜まりこ @K_comarie

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