不埒者、慕情の視線
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その日は、いつものようにマリアさんのパフォーマンスが終わり、お客への挨拶が始まった。僕も何度か劇場に足を運んでいると、周りの顔ぶれも見慣れてもくる。踊り子ごとの固定客も多いから、マリアさん目当ての客の顔も覚えるし、逆に向こうも僕の顔を見知ってもいるだろうと思う。お互いに挨拶こそしないが、劇場の外で目を合わせたら会釈くらいはする。そういう仲だ。そんな人達の中、僕の見慣れない客の前にマリアさんが立った。
「本日はありがとうございます」
マリアさんが声をかけると、その客は何かを口にしてマリアさんの腕を掴んだ。僕を含めた周りの人間が少しざわつく。すぐにスタッフが駆け寄ってきて注意をしたが、客はそのスタッフも押し退けてまだマリアさんから目を離さない。これはどうしたものかと僕までも慌ててしまう。
「やめましょう」
近くにいた別の客がそう言って、その客の腕の方をがっしりと掴んだ。物腰は柔らかそうだが、僕と違って体付きが良い。タイトジャケットを羽織って首にはシルバーのネックレスを引っ提げているその男は、ゆっくりと迷惑客の腕を下に下ろしていく。
「なんだよ」
尚も文句を言う迷惑客に、男はにっこりと微笑み、スマホを見せた。
「貴方の迷惑行為の証拠は撮ってあるので。出禁は免れないとしても、警察のお世話になるまでは嫌でしょう?」
迷惑客は腰が引けたような格好になる。何とか掴まれた腕を抜こうとしていたが、男の力は強いらしく、動けない。
「ハルトさん、すみません。後はこちらで」
スタッフの一人が男に近づいて頭を下げる。男は頷くと、迷惑客をスタッフに引き渡した。僕は壇上のマリアさんはホッとした顔で男の顔を見た。男はマリアさんに向けてひらひらと手を振る。
「ごめん、ありがと」
「ううん。心配だから俺もちょっと見てくる」
そう言って、男はスタッフと一緒に外に通じる扉に向かった。
僕はマリアさんを見る。
彼女の目には見覚えがあった。多分、鏡とかで。朝起きて顔を洗い、行平のことをボーッと考えながら鏡を見ている時の僕の目と同じだ、とそう思った。
🍨
「この間は災難でしたね」
休日のお昼時、布団を外に干そうとした際に、お隣のマリアさんに僕の方から声をかけた。いつもはマリアさんの方から声をかけてくれることが多いから、マリアさんも少しびっくりした様子だったが、いつものように笑いかけてくれた。
「いえ、珍しくないことですし」
「そうなんですか。僕が行く時はそうでもないような」
「明らかな泥酔客とかはスタッフさんが弾いてくれますし、滅多にないのは確かですけど」
「怖くないですか?」
思わずそう、聞いて質問を間違えたかな、と悔いた。僕にしては、少し踏み込み過ぎている。
「怖いですよ」
マリアさんは風でなびいた髪をかき上げる。
「昔はトラウマになったこともあって。他のお客の目線だってそうです」
「……ですよね。すみません」
それはそう。当たり前だ。服を脱ぎ去って、客に裸を晒す。そのパフォーマンスに向けられる視線には、色々な感情が乗る。
「でも、鈴村さんみたいに私のことを見てくれるお客さんがいる限り、私は踊り続けたいと思います」
「僕はそんな風に言われる価値なんて……」
「私も昔、あの舞台で踊る先輩達に憧れて、こうして踊り子を始めましたから」
マリアさんは遠くの空を見上げる。その目もまた、あの時に見せたものと同じように感じた。
「マリアさん、今日お時間ありますか? 聞きたいことがあって」
その目に吸い込まれるように魅せられていた僕は気付けばそう口にしていた。
「はい。良いですよ」
急な申し出に関わらず、マリアさんは口に手を当てて笑う。その目は、あの男や先輩ダンサーを思って見せた物とは別の物で、僕は何故か、それに少しホッとする。
僕とマリアさんは、いつもの喫茶店に向かうことにした。
「少し準備しますね」
「ええ」
僕とマリアさんはそれぞれ、自分の部屋に戻る。勢いでお茶に誘ってしまったが、どうしよう。
聞きたいことがある、か。マリアさんのあの目を見た時から、ずっと考えていた。マリアさんは自分の立場に悩んだことはないのだろうか。そして、それを理由に何かを諦めようとしたことはないのだろうか。
──そう、僕のように。
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