ホットコーヒー、他愛ない話

🩰


「また来てくださったんですね」


 パフォーマンスが終わった後、また服を羽織ってステージに上がった彼女の写真撮影タイムとなり、客の一人一人に挨拶をしていく中で彼女は僕にニコリと笑いかけた。


「どうも」

「私がこういうお仕事してるというのはご近所には内緒で」


 彼女は人差し指を口元に持ってきて、しーっと口を窄めた。その仕草にドキリとする。今のやり取り。彼女、僕の顔を覚えているのか、これだけ人がいるのに。

 彼女は僕に手を振って、また次の客に話しかけに行った。その間も心臓を昂らせながら、僕は思わず彼女の姿を目で追った。

 彼女が再び舞台裏にはけて行くと、またバツンと舞台が暗転し、次の踊り子が姿を現した。その踊り子のパフォーマンスも見事な物だったが、僕の頭の中にはずっと、さっき僕に笑いかけてくれた彼女の笑顔が張り付いていた。

 その日、僕はそのまま夢見心地になって帰宅した。自宅の玄関をくぐろうという際、隣の部屋をチラリと見る。ここに、本当に彼女が住んでいるのか。どうにも現実感がない。僕は家に戻った後、ストリップ劇場のホームページを調べた。

 彼女の名前は、マリアさんというらしい。本名なのか芸名のようなものなのかも僕にはよく分からないが、その名前は僕の深いところにすぐ刻まれた。


 僕はそれからも、劇場に通うようになった。劇場の演目を事前に調べて通ううちに彼女以外の踊り子の名前も覚えていき、マリアさん以外にも何人か贔屓の踊り子ができたが、マリアさんのステージはそれでも、僕にとって格別だった。彼女の堂々とした美しい躍動は、僕の心に何か強いものを落としてくれる。

 布団を干す時やゴミ捨ての時、会社の残業から帰って来た時にちょうどマリアさんと顔を合わせる時は、ただ頭を下げて挨拶するのみで、それ以上の交流はしなかった。僕から劇場の話を振ることもなかったし、彼女からそのことに言及する程の交流もなかった。


☕️


 それだけに、喫茶店で彼女に話しかけられた時は驚いた。ただのお隣さん、お客に過ぎない僕に対して当たり前のように会話を広げる人懐っこさ、これも彼女の魅力の一端なのかもしれない、と思う。


「改めて鈴村さん、何度も足を運んでくださり、ありがとうございます」

「はい、こちらこそ?」

「そういえば、こうして劇場の外でお話するのは初めてでしたっけ?」

「そう、です」


 僕は、ちょうど運ばれてきた珈琲に手を付ける。熱さに思わず手を離した僕の様子を見て、マリアさんがくすりと笑った。


「緊張しなくて良いですよ」

「でも」

「あそこでの私はパフォーマーですが、今は単なるご近所さんですよ?」

「それで良いんですか?」

「何か悪いことありますか?」


 マリアさんはおかしそうに笑う。彼女自身にそう言われてしまえば、返す言葉がない。けれどそもそも、あんなあられもない姿で踊る女性を前にして、緊張するなと言う方が無理じゃないだろうか。


「マリアさんは嫌じゃないんですか」

「嫌って?」

「だって、僕はあなたのお仕事を知っているわけで、そうなるとその、変な感情を抱く可能性もあるわけで」


 自分で言っておきながら、めちゃくちゃな言葉だな、と思った。なんだよ、変な感情って。


「変な感情、あるんですか?」


 マリアさんがテーブルに肘をついて、顎を手に乗せた。


「……ないですが」


 彼女のその眼差しに、僕はたじろぎそうになりながら、何とか言葉を返した。僕が言いたいような感情を、確かに僕は彼女に対して待ち合わせてはいない。


「だったら、それ聞くの変じゃありません?」

「一般論として、です」

「まあ、そうですね。それはそうです。普通は良い顔されないことも多いですからね」


 マリアさんは少しだけ寂しそうな顔をして、自分の分の珈琲を飲んだ。


「でも、マリアさんは本当に綺麗でッ。いや、そうは言っても、マリアさんに対してどうこうというわけじゃなくてですね」


 僕はその顔を見て、思わず慌てて口を開いた。マリアさんはそんな僕を見て、少しだけ驚いたように目を丸めて、それからまた笑った。


「だから良いですよ、そんな固くならないで」

「すみません」

「私は鈴村さんが何を思っていたって、何だって良いと思います。ただ、私は鈴村さん、悪い人じゃなさそうだと思ってるので」


 マリアさんはにこりと笑う。僕はそんな彼女に対して、無言で首を縦に振った。

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