第2話 一通の手紙、そこに込められた想い

 翼は走っていた。息が乱れ呼吸がしにくくなってもある目的のためにただひたすらに走っていた。地面を駆けて、足先がひりりと痛んでも。

 友達と別れて、向かっているのは自宅だ。自宅には要介護認定の義祖父がいる。

 ベッドから落ちていないか。そのことが心配だった。

 そして自宅のマンションに着くと、エレベータのスイッチを押した。しかしいつまで待っても来ないもどかしさから階段を駆け上がる選択を選んだ。

 六階まで上がりきる頃には心臓がぎゅうと締め付けてきていた。痛すぎる。

 ふらふらと足を動かして、それから自宅の鍵を開けた。

 そこには義母の姿があった。翼の顔を見ると破顔して抱き締めてきた。翼は少々戸惑う。


「どうしたの・・・・・・。私よりおじいちゃんは?」

 義母はその言葉を聞いて体を離した。それから、和やかな顔を見せた。


「大丈夫よ。ベッドから落ちていないし、呼吸器も無事だった」

 翼はそれを聞いてホッと胸を撫で下ろした。


「真っ先におじいちゃんのことを考えるなんて、ほんと、良く出来た娘だわ」


 そう義母は冗談ぽく言う。そんな義母の肩をつついた。


「私が私であるのは、半分おじいちゃんのおかげだから」

「もう半分は?」

「お義父さんとお義母さんのおかげ。もう、わかってるくせに言わせないでよ」


 翼は少し赤面した。

 義母と義父は里親で、社会的な常識から、生きることの大切さ、誰かの力になれる尊さ、そして芯の通った人間にさせてくれた。


「それよりも、地震大丈夫? 東北のほう酷いんでしょ」


 翼はTVを付けた。どこの報道各局も地震のニュースを報じていた。


「ええ、この度東北地方太平洋沖地震についてですが、現在自衛隊を派遣中でして――」


 禿げた官房長官が、粛々と述べている。

 そしたら緊急でニュースが報じられた。

 東京福島第一原子力発電所が津波によってメルトダウンを起こし、放射能の漏れが確認できたというものだ。

 翼は、メルトダウンというものを認知していないが、放射能の漏れは普通に大事故ではないのでは、と思考が働く。

 その横で、義母が複雑そうにそのニュースを見ていることを横目に見ながら。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ねえ、あなた。翼にあの手紙見せたほうがいいんじゃないの?」

 工場の勤務を終わらせ、帰宅してきた翼の義父であるあきらはカフェラテを飲みながら煙草を吸っていた。

 無精髭を触りながら、うーんと唸る晃。

「影響を考えるとな。あの子のことを思うとそうすることが無責任な気がしてならないんだ」

「でも、あの手紙は翼への想いを綴ったもので、いつかは見せないといけないものよ。お父さんの言葉を忘れたの?」


 妻の芳江よしえは、一瞬だけ翼の義祖父である父の姿を見やる。自分の父親は二年前に認知症を患い、もう喋ることは出来ない。


「覚えているさ。でもよ君のお義父さんに里親になりたいと言ったとき、絶対に翼のことを幸せにしろよ。不幸にさせたらただじゃすまないからな、って言われたんだよ」


「そうは言っても、だったらあの子の本当の親は、何のためにこの手紙を残したか分からないじゃない」


 晃は溜め息を付いた。そうだな、と呟き紫煙を吐き出した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 翌日。翼は手紙を一通手渡されていた。

 晃は黙々と食事をしているなか、義母である芳江から渡されていたのだ。


「これなに?」


「あなたの、本当のお母さんからあなたがこうのとりのゆりかごに預けられたときに添えられていたものよ」


 翼は溜め息をついた。なんでこんなものを読まなくちゃいけないんだろう。


「おい、翼。なんでいま溜め息を付いた」

「え?」


 ぎりっと晃は翼を睨み付けていた。


「お前いまなんでこんなもの読まなくちゃいけないのとか思っただろ。ふざけんなよ。確かにお前の憤りは分かる。しかしそれでもまずは封を切れよ。文面を見れよ。そこから判断しろよ」


 翼は下唇を噛んで、それから封を切った。

 そして手紙の文面を見た。

 震えて書いたのが伺える文章だった。

 私は最後まで感情の波を堪えながら読みきった。

 そして最後に書かれた文章に、私の心は打たれた。

『あなたがずっと幸せでいられますように。

富山県にいる私はそこでずっと祈っております』

 富山県って、今のすごい地震が起きている場所じゃないか。


「なにか分かったか」

 義父は口調穏やかに言った。


「私、なにも思わないよ。どうせ私捨てられたんだし」

「勘違いすんなよ」

「え」

「全部お前の尺度で物事を図んなよ、って言ってるんだよ」


「尺度ってなによ。私が私の考えで発言することのどこがいけないことなのよ」

 義父は声を荒げた。


「お前の本当の母親はお前を育てられなかったかもしれない。しかし捨てたは違うだろ。そうしたくてそうしたい親ってのは、この世にひとりもいないんだよ」

 ずきっと胸が痛んだ。

「それはお前が持っておけ。そしてよく考えろ」

 厳しい義父の言葉は、ずっと翼の胸にしこりを残した。

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