免許を持たないタクシードライバー
人生で最も情けない行動であったと思う。
その後店内へと入り、交渉を行った。てっきり女性と交渉するのかと思ったが、実際には後方に控えていた怖そうな人とであった。まあ普通に考えて店内に女性だけというのは考えられない。襲うだけ襲って逃げるということもあり得る話である。肌が褐色で少し小さいマイク・タイソンのような男からは店のシステムと料金について説明してもらった。システムといってもオプション料等があるわけではなく、店の2階にある部屋を使ってくださいとか、室内のお酒は1瓶までなら自由に飲んでいいとか、翌日の8時までが利用時間であること等である。
一通りの説明を受け了承をすると、黒服は飾り窓のカーテンを閉めネオンのような照明を、暖色に変えた。この世界には電気はないのだがいったいどうやって照明の色を変えているのだろう。興味はあるが今は知的好奇心に従う理由はない。あとでチャンスがあったら聞いてみよう。
料金を支払い階段へと向かう。黒服は1階で待機らしい。こちらとしては気まずさがあるのでいて欲しくはないが、防犯上の観点から致し方ないことであると諦めた。「ごゆっくりどうぞ」と丁寧に頭を下げてくれた。こんな大男が深々と頭を下げることに少し驚いたが、決して安くない金額を支払っているので太客として扱ってもらえているのだろうか。
どうもと言いながら女性の手を取り2階へ上がる。が、そこで少し違和感を持った。この男の礼が自分に向いている気がしなかったのだ。改めて考えるとこの男はずっとこの女性を目線を切っていなかった。大切なうちの商品が乱暴されないように守るというような保護的な目線ではない。どちらかと言えば警戒をするような警戒色の強いふるまいである。こんな美しい女性の何を警戒しているのだろうと思っていたが、当の本人は気にしていない様子である。僕も気にせずこの女との遊びを楽しむことにした。
「あ、あの。ありがとうございました。」
「いえ、外から見てとてもきれいだなと思ったので」
「え、ほんとですか。そんなことおっしゃる方は初めてです。」
彼女は驚いたように尋ねてくる。
「嘘ついてもしょうがないじゃないですか。他にもいろんなお店ある上で選んだんですから。それが証拠です。」
若干のドヤ顔をしながら、ソファの隣に座る彼女を見る。ろうそくの淡い光が映し出す彼女の顔は、ネオンのような強烈な照明に照らされていた飾り窓越しよりも神秘的である。しかし彼女自身は座りながら、ずっと周りをきょろきょろしている。
この個室に入った時もせわしなく動きながら、とりあえず飲み物でもいかがですかと言い、ぶどう酒の瓶を持ってきた。交渉の際には一言も話していなかったため、この人の行動と人間像にかなりの齟齬があることを感じた。
どうぞと瓶を手渡されたが、ラッパ飲みするほどの酒豪ではないので、苦笑いしつつ
「あの、グラスかコップはありますか。」
すると彼女は、「わ、失礼しました」と、慌てて取りに行こうとしたが、その際にドレスの裾を踏んでしまい盛大にこけた。すみません、すみませんとなおも慌ただしく動く彼女を見かね、とりあえず座ってお話しませんかと提案し、今に至るという訳だ。
「あの、うれしいです。私そ、その、頑張ります。」
落ち着きのないながらも彼女は自身の体の前でこぶしを握り、健気に意思表示をしてくれた。彼女は大きく深呼吸をし、多久栖のすぐ隣へと尻をスライドさせながら移動した。
「実はですね、私こういうのあんまり経験ないんです。至らぬところがあったら何なりとおっしゃってください。」
彼女は僕の手を握ってくれた。若干の緊張はこそ感じられるものの、不器用ながらも健気に頑張ろうとする気持ちは、素直にうれしいと感じた。手を握りながら彼女は真っすぐこちらへ向き直った。
「私のことはノンとお呼びください。」
「ノンさんですね、よろしくお願いします。」
意識してさわやかな声と表情を作った。客観視すると我ながらなかなかうざい、気取った態度である。しかし、それでも彼女には効いたらしい。若干頬を赤く染め、目をそらした。風俗嬢という職業からは正反対ともいえる行動だが、当該職業の最大の目的である男性を性的に満足させるという観点からは100点満点をささげたい。
今すぐキスをしたいという欲求を抑えながら、改めてお酒を飲もうと提案した。まだ夜は長い。この世界の風俗は現世とは異なり、長く一人の女性を楽しむことが出来る。避妊具がないことも含め風俗嬢と客がそのまま自由恋愛に発展することは多いだろう。焦る必要はない。紳士ぶっている点はもちろんあるが、単純に彼女のことを知りたいということも事実である。
隣り合いながら改めてぶどう酒を飲む。コップで、だ。とりあえず自分の話をすることにした。最近この町に来たことやおいしいごはん屋さんを見つけたことなど、異世界転移などには一切触れず、他愛のない話を心掛けた。会話はそこまで弾んではいないが、彼女の緊張は少しずつほぐれてきたようで、表情に緩みが生じてきた。今のところはいい男ムーブが出来ているはずだ。落ち着け落ち着け。
「次はノンさんのことを知りたいです。」
「ええ、私ですか。私のことなんて知っても面白くないと思いますよ。」
謙遜ともとれるが、実際にそう思っていそうな口ぶりである。
「別に面白くなくて大丈夫ですよ。ただどんな人か知りたいなってだけです。」
「ふふ、多久栖さんって変わった方ですね。」
かなり上品な笑い方をする。先ほどのドタバタは何処へ行ったのだろう。今の彼女は貴族の令嬢のようなきれいな言動をしている。
「そうですね。ノンさんを選んだ時なんて『ヤらせて下さい』ですもんね。いやあ、ほんと失礼しました」
「いえいえ、そんなことないです。むしろ私でいいのかなって思いました。」
「そこは自信持ってくださいよ。今までの人生で一番かわいいって思いましたよ。」
酒が回ってきた。脳の発言を検閲する機能が弱くなってきている。
「あ、え、えっとその。お上手ですね。」
仕草は上流階級を思わせるが、男のあしらい方は学ばなかったのだろうか。なんともかわいいリアクションであるが、多久栖は酒に酔いながらも、先ほどから膨れる違和感を無視できなくなっていた。
この女性は矛盾点が多い。最初こそあたふたしていたものの、酒を注ぐ動作や立ち居振る舞いは洗練されているし、肌もきれいである。スタイルは細いが栄養不足という訳ではなく、ストイックにトレーニングをしているモデルのような体系である。加えて彼女は男性経験が本当になさそうである。
そのような女性がなぜ売春宿にいるのだろうか。疑念を持たずにはいられない。美人局かとも考えたが、店舗もあり料金を払うというしっかりとしたシステムが形成されている。それに本当に美人局なら、あの怖い人とあらかじめ会わせずに、脅しのタイミングでちょうどよく突入させればいい話で、わざわざターゲットにお店の説明をして丁寧に頭を下げる必要なない。美人局や詐欺などの可能性は低そうである。
考え得るなかで可能性が高いのが彼女が訳ありということだ。彼女のことを知りたいのは事実であるが余計なことに首を突っ込みたくない。自分はこの世界に慣れていないし、金を稼ぐ手段などは有していない。トラブルに対する免疫力は限りなく0に近いといえる。
また彼女がせっかく緊張を解いてくれたのに不快な気持ちにさせるということもナンセンスである。純愛を求めているわけではないがせっかく関係を持つのなら、お互い良い印象をもった状態でありたい。淡々と提供される性的サービスほど虚しいものは少ない。美人局などの害がなければわざわざ彼女の深くに足を踏み入れる必要はないのだ。よし、今は振る舞いだけ紳士ぶって、行動の原動力は下半身に譲ろう。
「・・・多久栖さん?」
「あ、はい、どうしました。」
「もう、何とか言ってくださいよ。やっぱりお世辞だったんですか。」
「いえいえ、本音ですよ。ちょっとお酒が回ってぼーっとしちゃっただけです。」
笑顔を作り直し、また彼女の手を握る。すると彼女はハッとして、
「すいません、し、失礼しました。ただいまお水をお持ちいたしますね。」
そう言ってばたばたと階段を降り、一回から大き目の陶器の水差しを持ってきた。そしてそれをそのまま手渡ししてきた。
「ノンさん。コップ下さい。」
優しく諭すように言ったつもりだが、彼女はまたやってしまったと言わんばかりのショックを受け、コップを渡してきた。
「本当に至らないことばかりで、申し訳ございません。」
彼女はとても悲しそうな顔をしていた。一度他の店に行こうとした際に彼女がしたのと同じ顔である。この顔をされるのは僕としてもつらい。責めているわけではないので、先ほどのように楽しい雰囲気に戻りたい。ここは正直に慰めるのが最善手だろう。
「ノンさん。別に僕は完璧な対応なんて求めてないですよ。ただ一緒に楽しい時間を過ごしたいと思っています。お金で買っといてなんだって話ですけど。ノンさんはそのままで十分魅力的な女性です。だから、気楽にいきましょ。」
彼女はそう言われ、分かりましたと小さく頷いた。そして頬を両手で叩き、よしと気合を入れなおした。そこまで気合入れなくてもとは思ったが、あえて何も言わなかった。
彼女は飲みかけのぶどう酒を一気に飲み干し、先ほどと打って変わって通る声で、
「多久栖さんは本当に寛容な方です。少しのお時間しか話していないのに私なんかに優しくしてくださって、すごくうれしかったです。私はそれに答えようと空回ってばかりで。でも決めました、恐縮ですが今夜は多久栖さんに甘えます。どうぞ好きになさってください。私は何をされても何を言われても気にしませんので、なんなりとおっしゃって下さい。」
彼女は飾り窓でも行っていた、直立で跳ねて胸を上下に動かす微塵も色気のない動作を改めて行った。
「私、胸には自信があるんですよ。いろんな人に見られますし、ガラス越しでも大体の人は立ち止まってくれるんです。まあ、買ってくれた人は多久栖さんが初めてですけど。」
それを聞き、どうしても笑いが止まらなくなってしまった。
「な、なんで笑うんですか。男の人はみんなおっぱいが好きっていうのは嘘なんですか」
彼女は少しむくれていった。
「いやいや、確かにおっぱいは好きですし、ノンさんの胸は大きいですよ。だけどその動きじゃお客さん付きませんって。」
多久栖は笑いながら続ける。
「いいですか。ここの人は大体エッチなことをしに来てるんです。いくら胸が大きくてもエッチな気持ちにさせてくれる人じゃないと、選んじゃくれませんよ。」
そう言うと彼女は首を傾げ、
「胸が揺れるのってエッチじゃないんですか。」
と尋ねてきた。間違いではないのだが。うーん、説明が難しい。
「あんまり露骨すぎるとダメです。」
そう言っても彼女は納得してくれないらしい。まあエロは言語化するのが絶妙に難しい分野であるので仕方のない部分はある。
「じゃ、じゃあこれはどうですか。」
彼女は多久栖の両手を取り、胸へと押し当てた。柔らかく弾力のあるというありきたりな表現がぴったりである。
「これはやっぱり露骨すぎますか。」
「いえ、最高です。」
「難しいですね。」
「慣れていけば大丈夫ですよ」
「じゃあ、今日は多久栖さんが教えてください。」
これは、まずい。多久栖はたまらずキスをした。一瞬であったが彼女も嫌ではないことは伺い知れた。
「びっくりするじゃないですか。」
彼女は目を逸らし呟いた。耳まで赤くなっている。
「今の発言が大正解だったからです。」
「やっぱり難しいです。でも今のはエッチでしたよね。」
「はい、かなり。」
多久栖はたまらず彼女をベッドへ押し倒そうとする。が彼女の体は石のように動かない。うむ、やはりまだ勉強が必要じゃな。
「ノンさん。エッチなことはどこでしますか。」
彼女はハッとした表情でベットの方を見た。僕の手を引きベッドへ連れて行ってくれた。ソファの時とは異なり彼女は太ももが当たる距離にいる。そしてソファの時と変わらず彼女は落ち着きなくそわそわしている。だが不思議と嫌な気持ちはしなかった。彼女の気持ちがしっかりと僕に向いてくれているからだろう。
多久栖は彼女の肩へと手をまわした。近い距離で目が合い、相対的に経験豊富な多久栖でさえも緊張していたが、今度は彼女の方からキスをしてくれた。かなり勢い任せであったが、こちらの理性を飛ばすには充分であった。改めて多久栖は彼女を押し倒した。
「さっきあんまり経験がないって言ったのは嘘です。本当は一回もないんです。」
処女の売春婦とはこれいかに。まるで免許を持たないタクシードライバーだ。異世界転生に匹敵する珍しい事態なのではないか。素面であったら多久栖は絶対に手を引いていただろう。だが、この状況で手を引ける男などいない。目の前のこの健気な美女を逃すことなど絶対にあってはならない。多久栖の内にあった数々の違和感はすでに消失していた。
「気にしないです。そちらこそ初めてが僕で大丈夫ですか。」
彼女は顔を手で覆いながら答える。
「多久栖さんがいいです。」
少年は男になった。
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