初夜

「ねえねえ伝田。ここの店おしゃれじゃない。」


里奈がスマホを裏返して、東京にある洋風のお店を紹介してきた。


「いいじゃん、イタリアン?」


「そう、前女子会でご飯食べたんだけど、ここのパスタめっちゃおいしかったんだよね。」


「里奈はほんとパスタ好きだね。」




里奈とは大学4年時に付き合い、社会人になってから3年間、いまだに関係は続いている。割と長いカップルであると言える。彼女の職場は俺の家が近いため、たびたび泊まりに来る。半同棲状態である。




「伝田、来月誕生日でしょ。どっか行きたい店とかないの。」


「んー、別にないかな。いつも通り家で飯食ってだらけられればいいや。」


「伝田、毎年それじゃん。私の時との温度差がすごいんだけど。」


「まあ、お金もったいないし、食べたいものは大体作れるからさ。」




背中で会話しながら、出来上がった料理をテーブルに運ぶ。




「お待たせいたしました、本日の店長のおすすめ、カルボナーラです。」


「カルボナーラ日替わりで出てくるんだ。」


里奈は笑いながらツッコむ。


「当店はお客様のご要望に合わせることを最優先にしておりますので。」


出来るシェフ風に頭を下げる。ボウ・アンド・スクレープというやつだ。




「ははっ。いつもありがとね。いただきます。」


料理は基本的に俺が作っている。里奈も料理は出来るが、どちらかと言えば好きではないらしいので、自動的に俺が担当になっている。反対に俺は洗濯が嫌いなので そちらは彼女が来たときは必ずやってくれている。




「やっぱ、うまいわあ。」


テーブルで向かい合う彼女はいつもおいしそうに俺の飯を食べてくれる。完全に胃袋を掴んでいる。


「さっきのお店とどっちがおいしい?」


「えー、難しいこと聞くなあ。愛情が入っている分タッチの差でこっちかな。」


「愛情なんか入れてないから普通に勝ったってことね」


「あー、妥協したな。ドイツの人を見習わないとだめだよ。」


「ドイツ?なんで?」




「ミネイロンの惨劇、だっけ?ホームのブラジルにたくさん得点したやつ。『花束みたいな恋をした』に出てきたじゃん。」


「あれはブラジルに同情したセリフであって、ドイツの容赦なさの比喩じゃないでしょ。」


そういって笑うが、付き合い始めはサッカーに微塵も興味がなかった里奈がジョークを飛ばせるようになっているんだと思うとうれしい気持ちになった。




毎回食べ終わるのが彼女よりも早いため、先に食器を流しに戻す。席に戻る最中、彼女の長めの髪が目についたので、こっそり後ろから触る。彼女は怪訝そうに


「今ご飯中。」


と叱ってきた。


「ごめん、パスタかと思った。」


と軽口をたたいたが、彼女の不機嫌メーターを一つ上げてしまったらしい。ここは素直に謝り事なきを得た。












 異世界にて初めて触れる女性の髪は、当時の記憶を思い出させた。なぜ今になってこんなことを思い出すのだろう。前の世界に大した未練はないし、里奈とはなんだかんだで1年は連絡を取っていなかった。確かに髪質は似ているし、長さも同じくらいである。昔の記憶を呼び起こすトリガーとなるには十分である。




 しかし、性行為はかなり刹那的な行動である。わざわざ記憶の隅にある過去の女との記憶が無意識に引き出された意味はあるのだろうか。若干の思考をしてもその答えにはたどり着かなかった。




 ここで自分に矢印を向けてもしょうがない。今すべきことは目の前にいる女性を楽しませることではないのか。仕事はいっても純潔をささげる相手として認めてくれたわけだ。この世界での純潔は現世よりも尊い可能性もある。その中で彼女は俺が初めてで良かったと、そう言ってくれたんだ。そう考えると一旦はごちゃごちゃとした考えが消えうせた。まずは彼女の羽織物を脱がせる。




「やっぱり、こういうのって恥ずかしいですね。」


「まあ、慣れるとは思います。もっと暗くしますか。」


「はい、お願いします。」




すでに燭台1つの明かりに頼っている状況であったが、ノンの提案によりそれすらも消した。月明かりが照らす彼女もまた美しかった。月下美人という言葉は東洋人にこそふさわしいと感じるほどに。




 一通り互いの身体を触れ合ったのち、もう一枚の服を脱がす。流れで下もである。この時代は現代のようにブラとパンツのようなセパレート型の下着ではなく、ドレス型の上下一体となっている下着が一般的であった。


 彼女もなんとなくの流れは分かるようで、空気を読んで俺の脱衣を手伝ってくれた。実際には何の役にも立っておらず、ほぼ自分で脱いだのだが。まあいい、こういうのは気持ちの問題だ。




 両者が下着になったところでもう一度仕切り直して、また触れ合う。肌の割合が増えたことで体温は伝わりやすい。彼女は恥ずかしそうに体を隠しているが、正直暗いためよく見えていない。しかしそれでも心拍数が上がるのは、シルエットだけでも十分すぎるほどの魅力を持っているからなのだろう。




 反対に彼女はこちらの体がよく見えるようで、


「多久栖さんて華奢なのに結構筋肉あるんですね。きれいな体。」


なんて言ってもらえた。首になった船の漁師の方が腕が太くよっぽどいい体をしていると思うのだが、彼女からの評価は意外に高いらしい。




「多久栖さんて、どこかの国の貴族でいらっしゃいますか。」


彼女は少しかしこまった声色で尋ねてきた。割と真面目に聞いてきたのは分かっていたが、自分が高貴な存在と言われて少し調子乗ってしまい、


「貴族ではないけど、君にとっての白馬の王子様になりたいな。」


言った直後に後悔するセリフであった。いくら何でもしょうもなさすぎる。いくら生娘とはいっても、こんなセリフが効くわけない。いや、もしかしたら現世ではクサいと思われる口説き文句も、こっちでは有効かもしれない。一途の期待を持って彼女を見る。




 彼女は首をかしげながら、


「王子ですか?王族の方は本国にはおりませんし、私らは王族の方々とは関わったことがないのでよくわかりません。それに白い馬は見たことないので、ちゃんと走るかどうか不安です。」


しまった。これが口説き文句という共通認識はこの世界にはなかったのだ。慌てて取り繕い、少し強引にキスをして


「ま、まあ、ノンさんみたいなかわいい人は、白馬とか王族みたいな珍しい人ってことですよ。」


 ださい。めちゃくちゃださい。口説き文句が伝わらず焦って解説する。滑ったギャグの説明みたいなものだ。くそ、柄にもないことは言うべきではない。せっかくいい感じだったのに、もったいないことをした。




 若干落胆しつつ、改めて彼女を見ると彼女は口元を抑えつつ、もじもじしていた。えー、、こっちが効くんだ。


「多久栖さん、そんなに私のこと褒めてくださっても、何も返せるものがございませんよ。」


意図はしていないが、このチャンスをふいにしてはならない。


「今提供してくださってるじゃないですか。」


彼女の体に触れながら言う。


「なら、早めに召し上がってください。このままだともらい損です。」




 この子は俺と違いドンピシャな言葉を的確に選択してくる。純粋無垢な故なのだろうが、その言葉の洗練さは百戦錬磨とも感じられる。


「そうですね、じゃあもう頂きますね。」


「お手柔らかに。」


少し強引に彼女の下着へと手を伸ばし、足側へと滑らしていく。高ぶる気持ちに身を任せ、本能的に行動する。




しかし、ここでドアが3回ノックされる。なんの音か分からず止まっていると、また同じ音、リズムで扉がノックされた。はい、と気の抜けた返事をする。


「ノン様。」


その声は下にいたごつい黒服の男であった。




ノンもまた、気の抜けた返事をした。そしてベッドから降りドアの方へと歩く。どうかなさいましたと声をかけながら、ドアを10センチほど開ける。彼女ははだけた下着をもとの位置へと戻していた。男はそれを察してかは分からないが、彼女の方を一切見ず、頭を下げながら話を続ける。


「ノン様、お仕事です。」


後ろからみる彼女には、数秒の苛立ち、そして諦念が移った。そしてこちらを振り返り、哀感な顔をして、


「多久栖様、今夜のお相手は私が務めることが出来ぬようです。本当に申し訳ございません。」








こうして僕とノンの初夜は終わりを告げた。

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