顔のいい女

ガラス越しに向かい合っているこの女性は、生前多久栖が見たどの女性よりも美しいと感じられるものであった。黒くてさらさらしたロングヘア―。肩甲骨くらいまでは伸ばしていそうだ。顔立ちは極東人、つまりほぼ日本人だ。現代の日本人のモデル顔だ。自分が好きな女性の顔立ちを言語化できる男性はそこまで多くない。自分も例に漏れず、この女性がどのように美しく、魅力的であるかを説明できる術を持っていない。芸能人にいたとしても目立つレベルであるといっておこう。


 彼は理性的な面から、彼女が自分の人生における最高の女性であるのではないかと考察した。風俗通りという雰囲気に当てられて、目に入る女性のすべてが妖艶に見えるという条件を加味しても、である。少女漫画であったらトクンだのキュンといった効果音が流れているであろう。彼は数秒の間何も言わず彼女を眺めていたが、現実へ戻るのは案外早かった。いや戻らざるを得なかった。






 彼女は他の嬢と異なり、動きに一切の色気も感じさせない。他の女性は胸を寄せたりボディラインを強調させるような動きをしているのにも関わらず、この女性はただ跳ねている。ラジオ体操でもしているのかといった具合にただ直立で跳ねている。ガラス越しに目が合ったので、彼女は俺に向き合ってまた跳ね始めた。こいつは何しているんだろうと思考を巡らす。すると女性はそれを感じ取ったのか、自分の胸を指さしながら跳ね続けた。


 ああ、胸をアピールしているのか。確かに彼女のバストはかなりあるだろうし、女性として決定的な武器となりえる。が、あくまでそれは普通にしてた場合だ。学生時代の体操服と連動して揺れる胸のエロさは理解できるくらいのスケベ偏差値は持っていると思うが、こんな露骨にされて素直に興奮できるほどのポテンシャルは自分にはない。




 店を変えようか。この女性は確かに美人であるし、この女性を選択しても行為後に後悔する可能性は低いと考えられる。しかし、顔が自分の理想であることは、性欲を解消する対象を選択する際の決定要因として、そこまで重要にならない。自家発電を毎日しているような男子中学生でさえも、好きな子では抜けないという矛盾した事象が発生するように、目の前のこの女性を発散の相手にする気は起きなかった。




 男は他店を探そうとした。こんなじっくり眺めておきながら他に行くことへの後ろめたさを振り切り、風俗通りの奥の方へ進もうとする。ばつの悪い表情を顔に貼り付け、合掌を作った。この世界で、このジェスチャーが「申し訳ない」という意味を持つのかは不安であったが、それは杞憂であったらしい。


 女性はとても残念そうだ。肩をガクッと落とし、眉はハの字になっている。そして自分の胸を持ちながらため息を吐いていた。


(違うんだ、おっぱいが理由じゃない。あなたはとても奇麗だし、ルックスは僕の理想そのものだよ。だからそんなに気を落とさないで。)


 自明ではあるが、いくら心で彼女のことを褒めたたえたとしても、言葉もしくはそれに準ずる行動を示さなければ愛情は伝わらない。加えて体を売るものと買うものという立場上の壁、自分が異世界人という隔世的な壁、そして男と嬢を物理的に隔てているこのガラスの壁は、彼の本心を彼女から遠ざけていた。彼女はうつむきながら部屋の奥へと向かおうとしていた。








 俺はどうするべきであろうか。正直なところ一時の快楽を求めるにおいては、他の女性を選びたい。経験豊富で気を使わずに情欲に身を任せたい。何度も言うが彼女の顔やスタイルは至高である。しかし微塵も色気を感じないのだ。この情欲の地区に彼女は馴染めていない。何か欠点があるのではないか。病気などを持っているのではないか。


 理性からの結論はNoである。彼女には手を出すな。金と時間を無駄にする。安パイを取れ。お前は自由恋愛をしに来たわけではない。セックスを行いに来たのだ。といった具合である。


 下半身にあるもう一つの頭脳もおおむねそれに同調している。もっとエロい子にしようよ。あの程度のおっぱいなら他にもいっぱいいるよ。もっと上手そうな子を選ぼうよ。などと主張している。




 思春期を終えた俺の意思決定は、ほとんど脳で行い疲れた際には下半身が代理を務めてきた。しかし俺の、いや僕の心はどうだろう。好きな人に悲しい顔をさせたくない、笑顔でいて欲しいと純粋に考えていたあの頃の自分ならどうしたであろう。


 そうだ自分は、多久栖伝田は異世界に転移をしてきたのだ。理性的に生き、天才ではないながらも合理的に物事を考え、一般の水準よりも高いスキルを身に付けてきた。それは大きな声でこそは無理だが、僕が誇れることである。そんな自分がなぜか異世界へ転移し、なぜか娼館が認められているこの国で、なぜ東洋人のべっぴんさんに出会ったのか。運命を感じるほどの顔のいい女が目の前で僕を多少なりとも求めていたのにも関わらず、なぜここで彼女を悲しませることが出来ようか。ここで理性主義から逸脱し、この女性を喜ばせることこそが、異世界転移というこの数奇な経緯を運命たるものにすることが出来るのではないか。


 男は改めて異世界で生きていくことを誓ったのだ。ガラスをたたき女性に意思を伝えようとする。女性はきょとんとした顔で振り向く。少年は真っすぐ女性へ体を向け、直角に体を折り曲げて腹の底から声を出した。




「あなたとヤらせてください!」

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