第12話 試金石の言葉
むーん。
と、唸ってみる。
バイト先ではアパートが火事になったことを心配して、もう少し休んでてもいい、と的外れな気遣いをされた。
むしろ、火事に遭ったからこそバイトしたいんだけど、とは言えずに愛想笑いで断って年始もシフトを多めに入れた。
唸ってみたのは、新年を祝うムードも終わった1月8日。大学も始まり、期末の試験に向けて図書館で勉強している時だった。
住所を変更したことを伝えに学生センターに行ったのだが、同学年の筈の顔見知りが就職支援課で何やら真剣に相談しているのを見かけた。
聞き耳を立ててみると、どうやら、早くも就職活動を始めているらしい。
就活は春を迎えてから、と思っていた私にとっては衝撃であった。
と、同時に年始は迎春とも言うし、ある意味もう春か、と面白くもなんともないジョークを思いついて少し笑う。
その時燻った焦りが、図書館で勉強を始めた私の中で再び現れたのだ。
言葉に出来ない不安が、そんな妙な呻き声に変換されてしまった。
(就活ねぇ……)
果たして、私は普通の会社で働ける能力のある人間なんだろうか。
どんな会社で働きたい、とか、こんな仕事をしてみたい、とか。
そういう前向きな感情より先に、私は後ろ向きな不安が来てしまう。
そして不安や焦り、というのは連鎖する。
つまり、勉強も手につかず、あれこれと不安に感じる様々なことに考えを巡らせる中で、一つの問題に突き当たる。
(志乃さんは、もう恋をしない)
そんなことを言っていた。正確には、城ヶ崎未来以外には、もう惚れる相手は出ないだろう、という諦め。
ホストの時の私を気に入って通ってくれていたのは分かっていたが、あそこまでとは思わなかった。
いや、
(元々恋愛に興味が無かったからこそ、かもしれないな)
とは言っても、少なくとも今のところ、志乃さんは私を恋愛対象として見てくれていない。
まさか、恋敵が自分自身になるとは思わなかった。
漫画のような状況に自分自身で笑う。
とはいえ、楽観的にもいられない。志乃さんのことを何故ここまで好きなのか、自分でも不思議に思うくらいだが、それでもあの人の隣にいられないのは、そういう未来は、身悶えするほどに恐ろしかった。
家族も居なくて、特別仲の良い友人の居ない私にとって、志乃さんという存在は、きっと私の芯になる人なんだろう。
人は孤独でも生きていける、だけど、孤独を否定した瞬間、一人では生きていけない。
それを分かってしまった。
だから、私は。
過去の自分、言い換えるのなら、男装していた自分に勝つ必要があるのだ。
異性愛者の同性を好きになった時点で、勝ち目のない勝負だというのに、更にハードルが上がっている気がする。
「いっそ、私があのホストだって、言っちゃおうかな」
それを明かした時、彼女はどんな反応をするのだろうか。
騙された?それとも、もっとネガティブな感情が起こるだろうか。
それでも、今では無くても。
いつかは言わなければならない時が来るのである。
それでも、だとしても。
私では無く、城ヶ崎未来の方が好きな状態で明かしてたところで、私のことを好きになってくれる訳は無い。
そんなことくらい、分かっていた。
◇
大学生と社会人なのだから、連休が終わると、同じアパートとはいえ毎日顔を合わせる訳ではない。
それでも、それが子供っぽい我儘だと知っていても、声を聞きたかった。
人とはなんて不出来な生き物なのだろう。
就職活動の不安とか、志乃さんとの関係とか、それぞれ別問題の筈なのに、一つの感情が連鎖するように、一人でいることを否定させた。
バイト終わりに、持ち帰りでバイト先から幾つかお土産を貰い、それを口実に志乃さんの部屋のインターホンを押す。
仕事終わりの志乃さんは、ジャージ姿でだらけていたようだ。テーブルの上にはビールの缶が置かれている。
「わ、いいの?貰っちゃって」
「はい。バイト先で貰ったんですけど、こんな量、食べきれないので」
と、しれっと嘘をつく。
「じゃあ、未来も飲んでいく?ビールで良ければまだあるからさ」
「いいですか?ならいただきます」
狙い通り、私は志乃さんの部屋に上がり込む。
なにやらアニメでも観ていたようだが、私が上がり込むとすぐに画面を閉じて、地上波のチャンネルに変えた。
「あ、アニメ観てたんですか?」
「まぁ、何回も観てるやつだけどねぇ。あ、そうだ、これ、どうかな」
と、部屋の隅に置かれた紙袋からドレスを取り出した。
落ち着いた色合いのもので、彼女らしいと思ってしまった。
「ちーちゃんの結婚式に着て行くドレス、買ったんだ」
「ああ、風間さんの……」
そういえば、年末に会った時、来年結婚するとか言っていたもんなぁ。
「でも、レンタルじゃないんですね」
「結構高いからねぇ、レンタルも考えたんだけどさ。職場の人とか友達とか、これからどんどん結婚しそうだし、買った方が安く済むかなって。レンタルなんて買う訳じゃないのに一万円とかするんだよ?」
「あー、それは結構痛い出費ですね」
「でしょ?御祝儀も三万円くらいは流石に出さないとあれだし」
ぶつぶつ言いながら、彼女はドレスを取り出したついでにハンガーにかけてクローゼットにしまい込む。
「結婚、かぁ……」
なんだか、そんな話が自然と出てくるのが大人っぽくて羨ましい。
働くことに不安はあるけど、早く社会人になりたいのも事実だった。
「ん?もしかして未来、結婚願望強いタイプ?」
私の独り言をなんだか勘違いして受け取った志乃さんはニヤニヤしながら私を見た。
「あー、どうでしょう。結婚云々、は別にどうでも良いかもしれません。ただ、好きな人と一緒にいられるだけで、満足しちゃう性格ですから」
「それなら少しわかるかも。結婚しなくてもさ、友達とか仲の良い人がいれば、私もそうかも」
「……そうですね。私も、友達がいればそれでいいかも、です」
と、誤魔化した。
そうか、私が彼女の一番の友達でいられれば、それはそれでずっと一緒に居られるのかも知れない。
そんな安堵感に、一瞬、騙されそうになる。
好きな人に好きだと言えないまま、ずっと傍に居続けるというのは、どれだけ苦しいことなのか、その想像をしていなかった。
志乃さんの興味は、テレビのバラエティに移っていて、若手の芸人が無茶なことやらされている。
少し酔っ払っている志乃さんはそんな映像を見て笑っていた。
そんな横顔を見て、そんな志乃さんを見て、私は、このままでいいのだろうか、と自問する。
こうやって横にいられる時間は好きだ。こうやって当たり前のように一緒に居る関係性も好きだ。
だけど、それ以上先に進みたい。
志乃さんを、奪いたい。
城ヶ崎未来というホストから、彼女を奪いたい。
「……志乃さん」
「うん?」
私の買ってきたお土産をつまみながら、テレビを見ていた志乃さんに声をかけると、こちらを向いた。
「私、志乃さんと一緒に過ごす時間、好きですよ」
文脈の前後が繋がらない私の言葉に、彼女何を思ったのだろう。
これは私の精一杯のアピールだ。
それでも、志乃さんは志乃さんなりに私の言葉を解釈して、答えた。
「……私も、かな」
少し照れたように、彼女は言う。
好きな人と一緒にいられるだけで満足、という私の言葉を思い出してくれたのなら、私の好意にも気づいてくれるだろうか。
そんな好意を、彼女はどう思ってくれるだろうか。
私の試金石のような言葉に、志乃さんはただ少し照れただけだった。
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