第4話 女神の器
「どうしてここに?」
強ばった声で尋ねる。
彼女はこの場における最重要人物であり、恨みを抱いていると目される
組んでいた腕をだらりと下げ、臨戦態勢を整える。
「貴方のお父上から、ここに来ているだろうと一報を頂きましたので。」
さらりと答え、こちらの腕を一瞥する。その澄み渡るようなアイスブルーの碧眼は今すぐに警戒を解くように命じていた。
「・・・・・」
アキラは何か物申したそうに押し黙る。
その無言の圧力にシエルは一歩も引かずに言葉を続けた。
「アリシアさんの事は貴方だけの責任ではありません。私の責任でもあります。」
だから、ここに来た。
瞳の中に揺蕩う覚悟の光がそう告げていた。
こうなっては
小さく息を吐き、警戒心を解すように身体から少しだけ力を抜く。
ほんの少しだけだったが、ピンと張られていた緊張の糸が緩む。
これが最大限の譲歩である。
シエルもその事が分かっているのか、満足気に頷き、こちらから視線を外し、アリシアの方へと。
その青い視線を受けて、マゼンダ色の双眸は僅かな動揺を孕んだが、一瞬の後に気を取り直し、挑むように言う。
「やっぱり、あんたもそっち側なのね、シエル。」
「はい、お伝えしていたような主従関係では有りませんが、私と彼が協力関係にあるのは確かです。」
アリシアにはシエルの事は自分の従者である説明していた。それでも半年間の交友を通じて、二人は友誼を結び、身分の差を超えた友となっていた筈だった。
だが、今、行われているのは友と交わすとは思えない剣呑なやり取りと正反対の色の瞳に互いの存在を映し出す事だけだった。
「・・・・・それで、さっきのはどういう意味なの?」
煩瑣極まる感情を押し殺すような声で尋ねるアリシア。さっきのというのは他でもない、「私が原因です」というシエルの発言の事だろう。
「他でもない、シエルこそが『女神の器』だということだ。」
ごくりと喉を鳴らす音が響く。
先の話の流れを汲めば、世界の崩壊に抗える存在など一つしかいないと分かるので、予想はついていただろうが、それでも酷く衝撃を受けた様子でアリシアはひゅっと息を呑んだ。
だが、その衝撃も長くは続かなかった。
「器には女神ほどの力はないが、自身の力の一部を人や物に譲渡することによって、加護を与えた対象を世界の崩壊から守ることが出来る。本来は自分を守らせる為の『守護者』を作る為の力だが、今回はお前を守る為に使われたみたいだな。」
更なる衝撃が彼女の胸中に齎されたからである。
「は?」
端麗な唇から発せられた底冷えした唖然。そこには現状に対する無理解と拒絶感が混然一体となって混ぜ合わさり、嵐の前の静けさを想起させる不穏な静寂を孕んでいる。
だが、次に放たれたのは空気を貫くような怒号では無く、乾いた嘲笑であった。
「は、ははは、人の親を殺した挙句、世界も滅茶苦茶にしておいて、今更、友達を気取るつもり?」
笑声を発した唇は暫しの時間を置いて、きゅっと結ばれる。そして、視線だけで人を射殺してしまいそうな鋭い眼光をこちらへと向けた。
その瞳には弱まりかけていた瞋恚の炎が轟々と猛り狂っている。
(まぁ、こうなるだろうな。)
だから、シエルをここに連れて来たくなかったのだ。アリシアに真実を伝えれば、彼女の逆鱗を逆撫ですることは目に見えていたから。
振り返ってみれば分かりやすいが、何故、アキラ達があんな事をしたのかという説明は、そのままアキラ達の行動を仕方が無かったと擁護する論弁になる。
そして、その主張が正しければ正しい程、その効果は増し、アキラ達の行動を文句の言えないものにしてしまう。
そんなものを被害者である立場から聞かされれば、溜まったものじゃないだろう。
何せ自分の親を殺し、世界を破壊した男が「自分がした事は仕方が無かった」と得々と語っているのだ。殺意を覚えてもまるで不思議じゃない。
また、そんな相手から生かされているという事実は生きていることへの恥辱へと繋がり、転じて相手への強烈な怒りに転換される。
少し飛躍しているように思えるかもしれないが、生命とは当人の意識よりもずっと現金な存在であり、自らの生命を簡単に疑うことは出来ない。無意識的に死を遠ざけ、自らが生きていられる選択肢を主人へと強いるものだ。
じゃあ、死のうとなるよりも、復讐してやるとなるのが自然だった。
「・・・・・」
アキラは小さく息を吐き、シエルの方を一瞥する。
想像通り、大きな碧の瞳は苦しみに揺れていた。覚悟していた事だったのだろうが、やはり辛いものは辛いのだろう。
のしかかる陰鬱な感情に押し潰されるように長い睫毛を伏せ、罪悪感に満ちた表情をする。
だが、謝る事はしなかった。
「そうですね。私にはもう貴方の友達を名乗る資格はありません。」
振り切るように目を閉じ、覚悟の一秒を経て、彼女は言った。
「ただ、それでも私は貴方に生きていて欲しかった。」
例え、それが余計なお世話であったとしても。
その声音は何処か寂しげで、赤子を撫でるような柔らかな響きを帯びていた。
「・・・・・」
それがもう決して分かり合えない友への別離の言葉であると分からぬ程、アリシアは愚かでは無い。
そして、それを厚顔無恥だと非難する冷酷さも、余計なお世話だと手を払い除ける残酷さも持ち合わせていなかったのである。
「どんな理由があっても、私達のした事は決して許されることでは有りません。だから、許して欲しいと言うつもりはありません。」
押し黙るアリシアに滔々と言葉を送る。
「ただ、生きて下さい。そして、出来れば幸せになって下さい。その為の自由と権利は私と彼が可能な限り、保障します。」
確かに彼女のした事はアリシアへの裏切りであった。
だが、決して二人の友情への裏切りでは無かった。
それを悟ったアリシアはすれ違ってしまった運命を嘆くように俯き、打ちひしがれた声を返す。
「・・・・・勝手な事言わないでよ・・・・・私の望んだ未来はもう・・・・・」
蚊の泣き入るような弱々しい声を発した後、アリシアは薄い唇をかみ締め、「帰って」と拒絶を露わにした。
アキラ達はただそれに従った。
部屋を後にする足取りはとても重く、口の中には酸っぱさが込み上げてくる。
二度としたくない体験だ。
だが、きっとこれから何度も同じような事を繰り返す事になるのだろう。
我々の組織の名は『
世界を守る為の秘密結社であり、永遠を目指しながら、他の世界を喰らうことしか出来ない滑稽なる
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