第2話 責任






「ふむ、とんだ災難に巻き込まれたようだな。」


珍しいものを見るように、しげしげとこちらを見ながら顎髭を擦る壮年の男性。

鋭い目付きが特徴的な彼の名は御門みかど宗元そうげん。御門家当主であり、アキラの実の父である。

任務完了後、アキラは上官である宗元の元を訪れていた。


「・・・・・別に俺が彼女にした事と比べれば、大した事ありませんよ。」


そう言ってアキラは真っ赤に腫れた頬に手を当てる。

じくりと肌に食い込むような痛みが走るが、これさえも彼女の痛みと比べれば大したものでは無い。


「そうか。だが、その傷は明日までには治しておけ。感傷に浸るのも結構だが、体調を万全に整えておくのも仕事の一環だ。」

「分かってます。」

「だと、良いがな。」


背もたれへと体重を預け、腕を組む。

見透かすような視線にアキラは居心地悪そうに目を逸らす。父の言うことがもっともであるというのは分かっているが、どうにも感情を蔑ろにされたような気がしたのだ。

そんなアキラの胸中を察したのか、宗元は鼻を鳴らし、話題を切り替えた。


「先ずは任務ご苦労と言っておこう。そちらでは半年間の長丁場だったそうだが、その期間、補給無し、応援部隊無しであったが、よくぞ成し遂げてくれた。」

「……ありがとうございます。ですが、まだ完璧に任務を遂行できたとは言い難い状況です。」

「彼女の事なら問題ない。こちらで対処しておこう。」


事もなげに言う宗元にアキラは怪訝に眉を顰めた。


「まるで、彼女が、アイリスがどうしてこの世界に来たのか、分かっているような口ぶりですね。」

「少なくとも、お前が考えているような理由ではないのは分かっている。もし彼女が器ならば、お前の主がすぐにそのことに気付けるであろうからな。」

「それならアイリスは何故、世界の崩壊に巻き込まれずに済んだんですか?」

「その答えは態々、私が答えずとも、お前自身が誰よりも知っているはずだが?」


「違うかね?」と見下ろすように顎を上げる。

アキラは言葉を返さなかったが、二人の間を彷徨う重たい沈黙こそが何よりも雄弁にその通りであると物語っている。


「では、質問を変えます。対処するというのはどういう意味ですか?始末するとかじゃないですよね?」

「ふむ、些か出過ぎた問い掛けではあるが、まぁ、答えてやろう。現状の考えでは、アメリカか、中国、どちらかとの交渉の材料に用いるつもりだ。表には出さないが、彼等は我々が『女神の器』が保護している事にも不満を抱いているからな。どこかで不満を抜いてやる必要性が有る。」


宗元は平然と言った。

人一人の人生を左右する決断を、ボール遊びでもするかのように弄び、政治の道具として使うと。

アキラはそれに驚かない。

德のある人間であるよりも、組織の長である事を優先する。

良くも悪くも、御門宗元とはそういう男だった。


「──つまり、現状は何も決まっていないという事ですね?」


そして、アキラにもその一面は受け継がれている。

宗元は目元をぴくりと動かした後、手すりを指でとんとんと叩く。まるで、どう料理してやるか考えているかのような素振りである。


「まだ取引を持ちかけた訳でも無し。そうなるな。」

「それなら彼女の身柄は俺に任せて下さい。」

「構わないが、それをするだけのメリットがなにか有るのかね?」

「俺とシエルの信頼を買える。それで十分でしょう。まさか、アリシアを譲り渡した上で、俺とシエルもタダで譲ってやるつもりですか?」


そうだとするなら、随分と太っ腹だ。

皮肉混じりに造反を仄めかす。

親族とはいえ、上官に対する発言ではない。しかし、アキラは父がこの程度で怒るとは微塵も考えていなかった。

無意味なことはせず、やるべき事のみ合理的に行う。何度も言うようだが、そういう人なのだ。


「ふん、良いだろう。つまらん策略で切り札を失うのは私としても本望ではないからな。」


実際、宗元は一切、怒りは見せず、そればかりか、小気味良し、と上機嫌に鼻を鳴らした。

その様子から見るに、元々、こちらが抗議してこなければ、という枕詞まくらことばが付いた策謀だったらしい。

父親相手に思うのはおかしな話だが、やはり食えない男である。


「他になにか質問はあるかね?」

「いえ、特には。」

「それなら退室しても良いぞ。あまり休みをやる事は出来んが、数日はゆっくりと羽を休めると良い。」

「お気遣いありがとうございます。」


アキラは一礼を返し、踵を返す。

そのまま部屋を後にしようとすると、父からの助言が掛けられた。


「あぁ、それと女に入れ込む気持ちも分かるが、兄さんの所にも顔を出してやりなさい。こちらでは一週間しか経っていないから、見飽きた顔だろうが、お前には半年ぶりの再会なんだから。」


冷酷無比に権謀術数を操る上官ではなく、寡黙で家族思いな父からの言葉に、アキラは返事をせず、もう一度だけ頭を下げる。

そして、退室した後、すぐにアイリスの閉じ込められている一室へと足を向けたのであった。







「良くもおめおめと私の前に顔を出せたものね。」


開口一番に告げられたのは拒絶の言葉だった。

刺々しく、突き放すような物言いには彼女の隔意と憎悪がたっぷりと込められていて、壊れてしまった関係性を再認識させる。


「・・・・・お前に現状を教えるのは俺の責任だからな。」


ドアを開きっぱなしにして、数歩前に進む。

そして、ぽつねんと置かれたベッドに腰掛けるアリシアと相対するように壁に背中を預けた。


「責任?随分と都合のいい言葉を使うのね?私達を裏切った癖に。あんたが何を言ったって、私は絶対にあんたを許さない。」

「それでも構わないさ。そのぐらいのことを俺はお前にしたんだからな。だが、話だけは聞いておいた方がいい。他の奴らとは違って、お前は生き残ってしまったんだから。」


「一体、どの口が!」と怒りを露わにするアイリス。

瞳に宿る瞋恚の炎が猛りを上げ、眦がきつく吊り上げる。

ぎりぎりと鳴る不穏な歯ぎしりは、猛獣に引き裂かれそうになっている枷鎖かさを想起させ、彼女の怒りの大きさを示唆している。

だが、それでも冷静さまで失うことはなかった。


「良いわ。聞いてあげる。」


押し殺すような声を正面から受け止め、アキラは一泊の間を空けて語り始めた。


「俺の任務は異世界を構成する『世界核コア』の回収だった──」



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