第4話 家族との別れ

目が覚めると、顔中が涙で濡れ。頬が冷たくなってることに気づいた。

このところ、泣いてばかりだな。と小さく笑った。

この涙は、朝見さんと別れた事が原因なのか、修ちゃんとの別れを思いだしたからなのか、分からなかった。

修ちゃんと別れたときは、身体が張り裂けるように痛かった。まるで自分の身体が自分じゃないみたいに。

そのときに比べたら、成長したのかな?っと冷静になる自分がいた。


その日、かなめは、実家があった地元を歩いてみることにした。


かなめは、池袋から一駅先の大塚にある町工場を経営している両親の3女のして産まれた。

直ぐ上の姉とは7つほど離れており、姉たちとはあまり仲良くなかった。


子供のかなめには分からなかったが、工場経営は決して楽ではなかったようだ。

それでも家族5人、生活に困るほどではなかった。


かなめは、幼い頃は病気がちで、しょっちゅう病院に通っていた。

そんなかなめを心配して父は、身体を強くするため、一緒に朝ジョギングをしたり水泳を教えてくれたり、たくさん食べろと自分のおかずを分けてくれたりした。


姉たちは、高校を卒業すると就職を勧められたが、かなめは高校から私立大の付属高校に入学し、大学進学も許されていた。

姉たちは依怙贔屓だと、父やかなめを罵った。


そんな父は2年前に、肺癌だと宣告された。以前はベビースモーカーだったが、10年前にタバコは止めていた。

「つけがまわってきたな」と父は笑った。

闘病の甲斐もなく、父は1年前に他界した。


亡くなる少し前に病院のベッドで、かなめに向けて

「おまえは幸せだぞ、好きな仕事ができて。それは何よりも素晴らしいことだ。父さんも工場の仕事が大好きだった。金にはならなかったし、おまえたちに贅沢はさせてやれなかったが、父さんは幸せだった。」

仕事で死に目には会えなかった、かなめには、それが父の最後の言葉となった。


その頃、朝見さんはしきりに結婚の話をだしてきた。「お父さんが亡くなって、心細いだろ。今度は僕がかなめちゃんを守るよ」と言ってくれだが、母も心配だし、父の言葉もあり結婚には踏みきれなかった。


父が他界すると、母の面倒が大変になった。

父と母は14も年が離れていて、父は再婚だったそうだ。亡くなった母の両親は、そんな父との結婚を反対した。

駆け落ち同然で結婚した2人は仲が良かった。

そのためか、父が亡くなると母が壊れていった。

亡くなってすぐは消沈し、食事もろくに取らなかった。

食欲が戻ると、急に泣き出したり、急に怒ったり、かと思うと、父との思い出話を語って笑いだしたりした。

当時、実家にいたかなめは、母には手をやいていた。


そんな母を上の姉が心配し、嫁ぎ先の熊本に母を呼び寄せることにすると言い出した。

上の姉の嫁ぎ先は造り酒屋を営んでる。義兄が東京に売り込みに来ているときに、スーパーで社員として働く姉と知り合い結婚し、姉は熊本に嫁いでいった。その酒屋の経営は上手くいっていないようだ。

母を引き取るから、必要のない工場と自宅を売ると言い出した。

2番目の姉曰く、上の姉の嫁ぎ先の経営が傾いてるから母の遺産をあてにしているとの話だ。


父が経営していた工場は、下請けとして仕事をくれていた企業が従業員ごと買い取ると持ちかけてくれたのだった。


そして半年前に、家も売れ、かなめも家をでた。

2カ月前に、自宅があった場所に行くと、古い家は取り壊され、マンションが建つ標識が立てられていた。

とうとう実家がなくなった。

姉は二人とも嫁いでいるから家族はいる。2番目の姉は埼玉に住んでいるが行き来することはほとんどない。

お正月もお盆も集まる家がないのだ。

母は熊本だし、朝見さんとの関係もうまくいってない、かなめは、1人ぼっちになるんだ。と悲しかったし、寂しかった。


そのあたりから、かなめの身体が不調をきたすようになっていった。


2カ月前に訪れたときとは、街の印象は違って見えた。不思議と心は晴れていた。最近、たくさん泣いたから、スッキリしたのかもしれない。


かなめが通っていた小学校や中学も歩いて回った。

小学校は5年前に生徒の減少が理由に統廃合になり、現在は高齢者施設になっていた。それでも学校の傍にあった公園などは、かなめが子供の頃に遊んだときのまま残っていた。

懐かしくなって、ブランコに腰をかけると、修ちゃんとの思い出が蘇ってきた。


修ちゃんにもここを案内した。

「都会っこやな、かなめは」と笑っていってくれた。

かなめが育ったところは、山手線の駅ではあるが、目立った特徴もなく、住宅地のなかに、ラブホテルが点在したり、治安もあまりよくない、そんな所だ。

修ちゃんと付き合っていた頃は、そんな地元を早く出たいと思っていた。


「ええやん、地元に居れるって、最高やで、俺の地元なんて、海しかないところやけど、大好きなところや」と話してくれた。

修ちゃんの地元は三重県の海沿いの街だ。近くには有名な水族館があり、子供の頃はよく連れていってもらってたそうだ。

修ちゃんの両親は修ちゃんが中学2年の頃に離婚し、それまでは大阪に住んでいたそうだ。

お兄さんがいたそうだが、お兄さんはお父さんに引き取られ、修ちゃんはお母さんの実家があった三重県に移り住んだ。

修ちゃんが大阪弁なのは、子供のときに大阪に住んでた名残りらしい。「中学時代の友達とは、今でも仲いいし、予備校は片道2時間かけて大阪に通ってたしな」と話してくれた。


修ちゃんはとのことを思い出すと、何故か顔が綻んでくる。あの頃、楽しかったな。

空を見て、修ちゃん元気かな?と呟いた。

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