第11話 靴擦れした足
繋がったふたつの影が伸びていく。
枝葉の隙間から月の光がこぼれて、森の入り口をポツポツと照らしていた。僕の体が冷えていくのとは反対に、ノエミの手のひらはびっちゃりと汗をかいていた。
「ノエミ大丈夫?怖い?」
「こ、怖くない!平気だから‥‥」
ノエミは横を向いてそう言った。ノエミが目を合わせない時はたいてい何か隠している時だ。きっと怖いけれど自分から誘ったからと、言えずにいるのだと僕は思った。
「大丈夫だよ、僕がついてる。もっと近くにおいでよ」
僕がノエミの手をグッと引っ張ると「きゃあ!いきなりなにするのよ!」と怒って手を離されてしまった。親切心でそうしたのだが、何か間違えてしまったようだ。優しさというのは難しい。
━━━カサカサカサ
奥へ奥へと進むに連れ、見える景色は黒の絵の具で塗りつぶしたように暗くなっていった。
静けさと不気味さが混ざった夜の森の中では、足音、葉っぱの擦れる音、全てが冷たい空気に響いて僕の耳へと届いた。僕は内心ビクビクしながら奥へと進んだ。
泉へと繋がる細道へ行くためには、森へ入ってふたつに分かれた道を左に進む。役所へ行くのにはここで右に進む方が近いのだが、昔は泉に寄るために遠回りしていた。この分かれ道を左に進むのも久しぶりだ。
そのまま石畳を進み、3つ目の細道が泉に続く細道だ。僕は1つ目と2つ目の細道を横目で確認した。このふたつの細道には入ったことはない。理由は単純で、なんとなく怖いからだ。
「ノエミ、次の右側の細道が入り口だ。後少しだぞ」
「分かってるわよ!別に怖くないし!」
10分ほど進むと入り口が現れた。そこには昔と同じように背の高い草が生い茂っていた。
━━━ヒュー
道の前に立ち止まったその瞬間、奥から風が吹いてきた。
"ソーレ"
その瞬間、まるで瞳に映像が流れるように、あの頃の思い出が鮮明に蘇ってきた。12歳のルーナが、幸せそうに笑っていた。宝箱の奥にしまったものだと思っていたけれど、こんなにも簡単に取り出せるんだな。
懐かしい気持ちのまま中へ進もうとすると、ノエミが僕の腕を掴み、「ソーレ、ここから目を閉じて」と言ってきた。僕は言われるまま目を閉じて、ノエミの肩に捕まり、細道へと入った。
「うわぁ」
ノエミの小さく驚いた声が聞こえた。
「目、開けてもいい?」
「うん、いいよ」
ゆっくり目を開くと、泉の周りにはたくさんの小さな黄色の光が広がっていた。まるで星空の中に迷い込んだように、光は遠くまで続いていた。フワフワと夜の闇を舞う光もあれば、草の下で眠るような静かな光もあった。
「わぁ!すごい!なんだこれ」
僕がひとつの光に触れようとすると、黄色の淡い光を抱えたまま、泉の向こうへ飛んでいった。
「知ってる?蛍っていうんだって」
「ほたる?はじめて見たよ!」
「この季節だけに現れる特別なもの。でも、すぐに死んじゃうんだって」
「‥‥そうなんだ。こんなに綺麗なのに、なんだか切ないね」
「私、この景色をソーレと一緒に見たかったんだ」
「教えてくれてありがとう!今度はピオも連れてこようよ!こんな綺麗なもの見たら、きっと感動するよ」
「あ‥‥うん、そうだね」
「あ!あっちの方に光がたくさんある!行ってみよう!」
僕はノエミの手を握って、光の方へと走った。光は僕たちを包み込むようにフワァっと空に舞った。
「本当に、夢みたいに綺麗だ」
僕は、遠くに現れた少し大きめの光を眺めていた。その光は他とは違い、透き通るような、白に近い金色の光を放っていた。
「ソーレ‥‥あのね‥‥わたし‥‥」
「‥‥‥‥」
「ソーレ、聞いてる?」
「ルーナ」
「‥‥え?ソーレ?」
この時、僕にはもうノエミの声は聞こえていなかった。自分でも驚いた。まるで、心臓が僕の体を引っ張っているのではと思うほど、頭で考えることもなく、気づけば全速力で走り出していた。後ろから微かに「待って!」というノエミの声が聞こえた気がしたけれど、僕の足は止まらなかった。
「ハァハァハァ‥‥ハァハァ‥‥」
━━━ ヅルッ ドシャ
岩場で足を滑らせ派手に転んだが、痛みなど微塵も感じなかった。
「ハァハァハァ‥‥‥‥」
少し長い、金色の髪を靡かせた少年は、両手にひとつの光をのせていた。すると光は、ゆっくりと上に登っていき、少年はそれを目で追いながら、空を仰いだ。そして光を失った自分の両手を見つめ、泉へと視線を戻した。少年の頬に、銀色の光が走ったように見えた。
「ルーナ」
僕の声に、少年はゆっくりとこちらを向いた。なにも言わず、ただ僕の顔を見つめていた。
「‥‥ルーナ、ルーナだろ。僕だよ、ソー」
「初めまして」
「え?」
聞き間違いかと思った。それか、人違いだったのかと思った。しかし、僕の目の前にいるのは紛れもなく、ルーナである。あの頃と変わらない金色の綺麗な髪、青い瞳、そして何より、僕の心がそう言っている。
「‥‥え、ルーナだよね。‥‥僕だよ‥ソー」
「ルーナ様、何かありましたか」
森の暗闇から現れたのはグラートさんだった。
「‥‥いや、なんでもないよ。グラート、そろそろ帰ろうか。また、来週の日曜日の夜、同じ時間にここへ来よう」
ルーナはそう言うと、グラートさんと共に闇の中へ消えていった。
「ーレ‥‥ソーレ!!!」
「あ!ごめんノエミ!!」
「ハァハァ‥‥もう‥‥いきなり走らないでよ、びっくりするでしょ!」
「あ、ごめん。すごく大きな光が見えて、つい‥‥」
「まったくもー!足いった‥‥」
ノエミは踵をさすった。見てみると、赤く腫れ、少しだけ血が出ていた。
「僕が走らせちゃったからだ、歩ける??」
ノエミを水辺までおんぶして、泉で洗い流し、服の裾で水滴を拭き取った。
「ありがとう、もう大丈夫。歩けるから」
「バスがなくなったら大変だ。そろそろ帰ろうか。肩に掴まって」
「‥‥うん。ありがとう」
そして僕とノエミは、第2地区へと帰った。
火曜日、ピオに会った。
「で。ソーレ、どうなったの〜?」
「ん?なにが?」
「なにがって、ノエミのことだよ。日曜日デートに行ったんでしょ〜?」
「デート!?そんなんじゃないよ!誕生日についてきてほしいって誘われただけだよ」
「相変わらず女心を分かってないな〜。ノエミからなにも言われなかったの??」
「えーっと、なにか言ってたかな?一緒に蛍見て、きれいだねって言ったくらいだけど」
「え?ノエミから告白されてないの?」
「!?!告白!??されて‥‥あっ」
僕はあの日の出来事を正直に話した。ノエミを置いてけぼりにして、ルーナの元に走ったこと。その前に、ノエミが何かを言いかけていたこと。それを聞いたピオはすっかり呆れた様子だった。
「まったく‥‥そりゃあそんな態度取られたら、言い出しにくくなるよ。でも、花束と誕生日おめでとうくらいは言ったんだよね?」
「‥‥‥‥」
「嘘でしょ〜。ノエミもノエミだ。なんでこんな男好きになっちゃったのかな〜」
「言うの忘れてた」
ピオは、ハァ〜と深くため息をついた。
「いいソーレ。世の中には"親しき仲にも礼儀あり"って言葉があるんだ。僕の勝手な解釈だけど、これには"ちゃんと周りの人を大切にしないと、後から後悔するぞ"って意味もあると思ってる。今日咲いてる花が、明日も咲いてるとは限らないんだ。だからソーレからノエミを誘って、あの日のことを謝って、ノエミの声を聞いてあげてほしい」
そして最後に「これはノエミの親友である僕からのお願いだ」と言った。
「ピオ、もしかして‥‥」
「男に二言はないよ!なるべく早く会って、話をするんだ。分かった?!」
「‥‥はい」
ピオは帰りの分かれ道で手を差し出してきた。同じように差し出すと、僕の手を力いっぱい握ってきた。
「いたたたた!ピオ痛いよ〜」
「へへ。仕返しだ〜」
家に着くと、母さんが新聞をまとめていた。
「母さん、重たいんだから僕がするよ」
「あ、じゃあこれまとめておいてくれる?昨日の新聞も、なにも載ってなかったからもう捨てちゃってね」
「うん、分かったよ」
それから2日後の木曜日のことだった。
森で足が発見された。見つけたのは、毎日のように足を探しに森へ出向いていた第1地区の商人らしい。その足の踵は、皮が少し捲れ、かさぶたがあったという。
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