第12話 煉瓦の古城



ノエミに教えてもらったラベンダーの咲く場所へ行った。ラベンダーは枯れたのか、誰かによって引っこ抜かれてしまったのか、そこにはもう咲いていなかった。水いっぱいのタンクを抱えて、帰り道をひとり歩いていく。




その日は突然やってきた。

月曜日、いつものように僕とノエミは川へ水を汲みに行き、帰りに少しだけ話をしてそれぞれの家に帰った。最後に見たノエミは、笑って手を振っていた。3日後の木曜日、ノエミと水を汲みに行くための準備をしていたら、ピオが僕の家にやってきた。なにも知らなかったから「どうしたの?水汲みピオも一緒に行く?」なんて、呑気な調子で聞いてしまった。

ピオは走ってやってきたのか、両膝に手を置いてゼェゼェと呼吸を荒げていた。少しずつ呼吸を整え、落ち着いた後も、少しの間その体勢のまま下を向いていた。


「‥‥ピオ、大丈夫?水飲む?」

「‥‥‥‥」

「ピオ?とりあえず、家に入っ」

「ノエミが誘拐された」


ノエミが誘拐された。この言葉を聞いた瞬間、僕の頭にはピコンっとひとつの考えが浮かんだ。きっとピオは、僕を騙して驚かせようと、悪い冗談を言っているのだ。ノエミに対して失礼なことをしてしまったから、たぶんその仕返しに、ふたりで何か企んでいるのだろう。それにしても冗談がすぎるけど、僕は、騙されないぞと首を横に振った。



「ピオ、僕たちはもう15歳なんだ。昔の僕ならその嘘に気が動転してたかもしれないけど、今はそうはいかないよ」


「ソーレ」


「やめてよピオ。さすがに誘拐だなんて。その冗談はひどいんじゃない?」


「ソーレ、聞いて」


「あ!そうだ!僕こないだピオに言われて、ノエミへのサプライズを考えたんだ。大したことはできないけど、花束を作ろうかなって、ノエミが好きなラベンダーって花がたくさん咲いてるところがあるんだ。きっと喜んでくれると思う」


「ソーレ!!」


「どうしたのピオ?」


ピオは「こっちを向いて、話を聞いて」と、僕の頬を両手で包んだ。ピオと目が合って、その丸い瞳から涙は止まることなく、瞼は赤く腫れていた。


「嘘だよね?嘘だ‥‥嘘だって言って‥‥」


ピオは僕の服を掴み、泣きながら膝から崩れ落ちた。

そして僕の視界もどんどんとぼやけていき、頬を伝った雫が手の甲に落ちた時、やっと自分が泣いていることに気づいた。



月曜日の夜、いつもなら夕方には帰ってくるはずのノエミが帰ってこないと、ピオの家にノエミの両親がやって来たという。

いつも行く場所を探し、近所での目撃情報を集め、探せるところは全部探したがノエミは見つからなかった。警察に相談をしたが「捜索に全力を尽くします」と言っただけで、未だなんの連絡もないらしい。



「火曜日の新聞に載ってるの見なかった?」

「‥‥うん。最近ちゃんと見てなくて、気づかなかった」

「今朝、第1地区にある市場に行ったんだ。そしたら商人が嬉しそうに自慢してた。早朝に森で足を見つけたって。踵をボロボロに怪我した足だったって言ってたんだ。僕はなんとなく、その足はノエミの足なんじゃないかって‥‥そんなこと、考えたくないけど‥‥」


ピオはそう言うと、目を押さえて口を震わせた。


「僕が言ったからソーレも気づいてたと思うけど、ノエミはソーレのことが好きだったんだよ。男の子としてね。僕はノエミのことをずっと応援してた」


「うん。今日、水を汲みに行く時にノエミと話そうって思ってた。その時にラベンダーを摘んで、プレゼントしようって思ってた」


「こんなのって悔しいよね‥‥僕たちはこうして、我慢することしかできないのかな。‥‥僕、悔しいよ、ソーレ‥‥」


「僕たちになにかできること‥‥あ、そういえば」



僕はその時、3年前の誤認逮捕のことを思い出した。忘れてしまっていた、あの不可解な事件のことを。


「ピオ、これは誰にも言ってないんだ。だから僕たちだけの秘密なんだけど、実は、僕も昔誘拐されたことがある。いや、正確には誘拐とは分からないのだけど、あれは誘拐犯だったんじゃないかって思ってる」


「‥‥どういうこと?」



3年前、中央の森で突然誰かに捕まりルーナと共に誘拐されたこと。そして突然、誤認逮捕だったと不自然に解放されたこと。帰り際に煉瓦の古城を見たこと。知らない森の道を通ったこと。あの日起こった出来事を全て話した。



「たしかに、不自然だね‥‥」



僕は、ずっと不思議だった。この世の全てが。僕たちの目の前に当然のようにあるあの壁が、なにを意味しているのか。それをずっと考えていたんだ。


「ピオ、僕はずっと不思議だったよ」


「誘拐事件のこと?」


「いや、この国が北と南に分断された意味だよ。多分あの壁には"差別"なんてそんな簡単な言葉で片付けられない理由があると、ずっと思ってたんだ‥‥。ピオ、僕は決めたよ」


「ソーレ、なにをする気?」


「‥‥誘拐犯を捕まえて、闇へ葬る。僕がこの手で」


「ソーレ、待って落ち着いて。誰か大人に相談しよう。僕たちだけでは解決することなんてできないよ」


ピオは僕の肩を握って「ちゃんと考えよう」と諭してきたが、知らない間になにかに取り憑かれた僕の中には、鍋が煮えたぎって水分が全て無くなってもなお火が止まらずに、次第に中身が底に焦げ付いていくように、"復讐"という2文字の言葉がこびりついていた。


「ね、一緒に相談しに行こう」と震える僕の体をさするピオを突き飛ばした。


━━━ドンッ


「いって〜」


「じゃあ、大切な人が殺されても、このまま指を咥えて助けが来るのを待ってろっていうのか!!!ふざけるな!!僕はもう決めた。これは僕ひとりでやることだ!放っておいてくれ!!」


僕は、ポケットにナイフと通行証を入れ、家を出た。ピオが何度も腕を掴んできたが、強く振り払った。


「ソーレー!!待って!あぁ!もう!僕も行くよ〜」



僕は前だけを見て進んだ。あの古城には必ず何かがある。見つけて中にいる奴らを全員殺してやる。


「やってやる‥‥やってやる‥‥やってやる‥‥」

「ちょっと、ソーレったら!」


ピオに腕をグイッと引っ張られ、前しか見ていなかった僕は、電気がパチンとつくように目が覚めた。


「あ、ピオ‥‥ごめん‥‥ついて来てたんだ」

「ハァハァ‥‥ひっどいな〜。まったく、ソーレは一度決めたら止まらないんだから〜、ハァハァ、僕も行くよ〜」


ピオは、僕が暴走しないためにもついてくると言った。中央の森へ入るのは初めてみたいで、一歩足を踏み入れ、「うわぁ〜なんか、怖いね〜」と、辺りをキョロキョロと見渡していた。


「ピオ、僕がナイフを持ってる。怪しいやつを見つけたらすぐに教えて」

「分かった〜」


3年前の記憶を辿る。あの日、小太りの男は僕らを車に乗せて、知らない森の中を走った。あれは中央の森ではない。もっと不気味で、吸い込まれそうな暗闇に満ちた森だった。そして気づいた時には中央の森に入っていて、泉の近くで僕たちは降ろされた。どこかに繋がる道があるのだと思う。そして、分かれ道を右に進んでも、脇にそれるような道はなかったと思う。

つまり、このふたつに分かれる道を左に進んだところにある細道と、その森は繋がっているんだと思う。僕は周りを警戒しながら、分かれ道を左へと進んだ。


「ソーレ〜。本当にこの道で合ってるの?」

「僕たちは泉の近くに降ろされた。つまり、今から現れるどれかの細道が中央の森と、闇の森を繋げているんだと思う」


泉に続く細道が現れるまでに、ふたつの道がある。1つ目の道は車でも通れる幅の道で、2つ目の道は、人がひとり通るのがやっとの幅だ。僕は1つ目の道が怪しいと思っていた。


「ピオ、もう少し進むと脇道が現れる。そこに入るよ」


森の中を10分ほど歩くと、1つ目の入り口が現れた。


「ピオ、行くよ」

「うん」


静かな森に、ゴクンッと唾を飲む音が響いた。広い道だったが、木の枝葉が道を塞ぐように生い茂り、車で通れるような道ではなかった。3年前はもっと整備されていたのだろうか。

草をよけながら奥へと進み、20分ほど歩いたところに現れたのは岩の壁だった。


「‥‥行き止まりだ」

「ほら〜なんにもないじゃん」



━━━カサカサカサッ


その時、何かが草をよけてこちらに向かってくる音が聞こえた。


「ピオ、僕の後ろに」

「うん」


僕は、ポケットに隠したナイフに手をかけた。



━━━ガサガサ‥‥バサッ

『うあゎ!驚いた。なんだガキかよ』


現れたのは円形の帽子を被り、白シャツにベストを着て、ボロボロの靴を履いた、セラタ地区の商人だった。男は驚いて尻餅をついた。


「すみません!‥‥セラタ地区の方ですよね?」

『あぁ、そうだ。いてててて‥‥』

「ここでなにを‥‥もしかして、足を探してますか?」

『うっせーな。だったらなんだよ!お前らも侮辱しに来たのか』

「あ、いえ!今週誘拐された子の足はもう見つかったらしいですよ」

『まじこよ。けっ。いつまで経っても見つかんねーな』

「あの、よくこの森に来るんですか?」

『金が配られるようになってからは毎回来てるよ』

「もしご存じだったら。この辺りにもうひとつ別の森ってありますか?」

『あぁ?この辺に森なんてねぇよ。この中央の森以外にな』

「3年前はあったとか、潰されて無くなったとか」

『森がそんな簡単に潰されるわけねぇだろうが。とにかくなんも知らねぇ。俺が地図で見たことある限りでは、ふたつの地区の間にある森はこの森だけだ』



「「‥‥地図、それだ!」」



僕たちは顔を見合わせて、商人に礼を伝え森の入り口へ走った。








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