第4話 中央の森へ。そして僕たちは出会った。



「今日はピオ、水汲み来れないって。家のお手伝いがあるみたい」

「そっか。じゃあ行こう」


今日は木曜日。水を使い切った僕は、いつものようにタンクを持ち、川へ向かおうとした。


「ソーレ。ちょっと相談があるんだけど。私、中央の森に行ってみたくて」


「え?川じゃなくて?」


「うん。昨日女の子たちが話してたの。中央の森にはきれいな花が咲いてて、ウサギとかリスがいるんだって。森の奥に大きな泉があって、まるで絵本の中みたいな世界が広がってるって。私、見てみたくて」


「でも第2地区から出るなって、ノエミの母さんも言ってただろ?」


「10歳くらいまではね。最近は言われなくなった。もう12歳だし大丈夫でしょ。ちょっと冒険するくらい許されてもいいと思うの」


「中央の森か‥‥どんなところなんだろう」


「入ったことないもんね。セラタ地区の人間は特に厳しく点検されるし」


「あ、許可書がないよ」


「内緒で持ってきた。これを見せて、お使いだっていえば通してもらえるって。私たちみたいな子どもは疑われたりしないから、すぐ入れるって言ってた」


ノエミはその後も、渋る僕を必死で説得してきた。こんな風に僕にお願いするのも初めてだったし、ノエミが黙って許可書を持ってくるなんて、こんな行動をするのも意外だった。


「分かった、行ってみよう。その代わり、危ないと思ったらすぐに引き返す」


「うん。約束する」



僕たちは、中央の森へ向かった。森の入り口は、川を越えた第1地区の中にある。

川の中の岩を飛び越えて向こう岸に渡り、少し歩いたところに"1"と書かれたバスが停まっていた。第1地区行きの送迎バスだ。進むこと20分、街は少しずつ華やかに姿を変えていった。

第1地区は商人の街と呼ばれていて、セラタ地区の中でも一番栄えている場所である。バスから降りて少し歩くと、煉瓦造りの酒場やレストランが建ち並ぶ通りがあった。市場では野菜や果物、何かの肉が売られていた。


「第1地区、初めて来た。同じセラタ地区でも違うもんだね」

「私も一度しか来たことない。あんまり、子どもだけで来るとこじゃないわよね」


ノエミの言う通り、道路や建物はきれい整備されていたが、街中には焦げたゴムのような匂いが漂い、建物の隙間の暗闇では、大人たちが何やら怪しい取引をしているのが見えた。


「この匂いなんだろうね」

「薬でしょ。最近流行ってるらしいよ」

「ノエミよく知ってるね」

「女の情報網なめんじゃないわよ」

「友達いないくせに」

「うるさいわね」


中央の森へ向かう途中、ノエミがある張り紙に気がついた。


「これなにからしら。あっちこっちに貼ってあるみたいだけど」

「んー、なんて読むのかな‥‥」


『君たち、ここの地区の子どもかい?』


「「わぁ!!」」


『あぁ、驚かせてすまないねぇ。子どもだけでふらついてたら危ないと思ってね。ほら、その噂、"ブルールーチェに気をつけろ"って』


後ろに立っていたのは、全身から酒の匂いを放った髭面の男だった。


「ブルールーチェって、青い光ってこと?」


『そうさ。5年前からの誘拐事件を知ってるだろ?ここ1年、第1地区からの行方不明者が続出してるんだ。3ヶ月前、俺の友人が怪しい光を見つけたんだ。朝方、酔っ払って街を歩いてたら、青い丸い光が中央の森へ入って行ったんだと。そして翌日、森で吊るされた足が見つかった。それからこの張り紙が街中に貼られるようになったのさ』


「青い光‥‥森を歩くためのライトかしら」


『分からない。警察はまともに調査しちゃいねぇ。まぁとにかく、君たちもなるべく早く帰るんだ。ここにいても、いいことは無さそうだ。2日前にも誘拐事件が起きてる』


男はひらひらと手をふり帰って行った。



「ノエミ。やっぱりやめとかない?なんか怖いよ」

「大丈夫よ。護身用のナイフも持ってきたから、いざとなれば戦える。それに入り口はもうそこよ」


街の通りを抜けると、"中央の森 入り口"と書かれた看板があり、門の両サイドには銃を持った警備隊が立っていた。


『君たち、役所に何か用かな?』

「はい。お使いを頼まれました。これが許可証です」とノエミがいつもより子どもっぽい声で伝えると、『いってらっしゃい』と簡単に通してくれた。「ちょろいわ」とほくそ笑むノエミに、女の人って怖いなと思った。



のれんのような蔓をかき分けて中に入ると、ひんやりとした気持ちのよい空気が体にまとわりついた。地面に敷かれた石畳は、こちらですよと僕たちを案内した。何かを囁くように葉っぱが優しく揺れている。まるで別世界に潜り込んだみたいだった。

鼻からお腹いっぱいに息を吸い込み吐き出すと、体の中に溜まったものがスッと抜けていった。足元には見たことのない桃色の花がたくさん咲いていて、草木の間をリスたちが走り回っている。

ごめん母さん、約束破った。でも、なんだろうこの不思議な気持ちは。親を裏切った罪悪感と、もう後には戻れないという高揚感が僕を包んだ。


「中央の森って、こんなにきれいな所だったんだね」

「ほんと‥‥オアシスみたいね」



━━━ カサカサカサ。

突然、茂みが揺れる音がして、僕とノエミは木に隠れた。


『おい。あったか?』

『いやぁ、見つかんねぇな』

『誘拐されたのは2日前か。そろそろあってもいいんだがな』


「ノエミあれ何?」

「商人だと思う。きっと足を探してるのよ」

「僕たち見つかっても何もされないよね」

「うん。あいつらの目的は右足だけ。奥に進みましょ」


僕たちは泉を求めて進んだ。奥に進むにつれて足元はどんどん悪くなり、背の高い草をかき分けて前へ進んだ。


「あ、ノエミ!みて!」

「わ‥‥」


それは突然現れた。



━━━ピチョン


水面で遊んでいた鳥たちが飛び立ち、輪っかが広がった。泉は鏡みたいに青い空を映し出していた。ノエミはまるで吸い込まれるように近づいていき、水を掬った。


「透明だ」

「本当だ、きれいな水だね」


━━━ ごくっ。

そして、そのまま水を飲み込んだ。


「冷たい。美味しい」


僕も掬ってみた。覗くと、自分の顔と空が映った。


「今日の空はこんなにきれいだったのね。気づかなかった」


僕は、ノエミがどうしてここへ来たかったのか、少しだけ分かった気がした。




「君たち何してるの??」


誰かの声がして顔を上げると、袋とスコップを持った男の子が立っていた。そして、心臓の位置に蝶の紋章をつけていた。


「ソーレ下がって!!!」


ノエミは腰に隠したナイフに手を添えた。男の子はそれに気づいておらず、友好的な笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいてくる。ノエミがグッと強く握ったその瞬間、僕はノエミの前に立った。



━━━ ポタッ‥‥ポタッ‥‥


「いっ‥たっ‥‥」


ノエミのナイフは僕の左腕をかすった。


「‥‥ソ、ソーレ‥‥ご‥ごめんなさい。ソーレ、ソーレ」


ノエミは自分の服で血の流れる場所を優しく抑えた。両手はひどく震えていた。


「ノエミ、大丈夫だよ。本当に少しかすっただけだから。それよりも早く、ナイフをしまって」


「君、大丈夫?!」


「来ないで!!!!」


ノエミは守るように僕の前に立ち、両手を広げた。


「そんな大きな声出さなくても、僕は何もしないよ。僕はお父さんに仕事を頼まれてクオーレから来たんだ。君たちはセラタの人?」


「あんたらの話なんか聞きたくない!」


「待って待って、少しだけ聞いてよ」


「話すことなんて何もない!お前たちは私たちを引き剥がして迫害しようとしている。私たちを皆殺しにする気なんだろ。この裏切り者!」


「違う!それは違うよ。僕のお父さんは、セラタを、いや、国を助けるために王様のもとで働いているんだ。みんな必死にセラタの人を守ろうとしているよ!」


「だから偉いっていうの?努力しているからこの差別も受け入れろというの?」


「そうじゃないよ。クオーレは君たちが思っているほど悪い人ばかりじゃない。みんな優しい。さっき君が言っていたような迫害の話だって、僕は一度も聞いたことないよ。セラタの悪口を言ってる人なんていないよ」


ノエミは下を向いたまま、握った拳を震わせていた。


「ノエミ‥‥?」

「だからムカつくのよ」

「え?」


「クオーレの奴らが私たちの悪口を言わないのは、優しいからじゃない。私たちに興味がないから。私たちとは対等な立場じゃないから。あんたらが上だからだよ。いつだって、苦しいともがいて文句を言うのは下の人間なの。考えたこともないでしょ、私たちがどんな生活をしているか。私たちはいつも考えてる。クオーレの人間がどんな生活をしてるのか。戦争のあと何もかも取り上げられて、ずーっとお腹を空かせて必死に耐えてきたのに‥‥悔しい‥‥」



声を震わせるノエミの頬には一筋の光が走っていた。僕が手に触れようとすると、ぱっと振り払って走って行ってしまった。

「待って!!!」

僕はノエミを追いかけた。


「ルーナ様ぁ!ルーナ様ぁ、あっ、こちらにいらっしゃいましたか」


かすかに聞こえた。あの男の子の名前はルーナというらしい。

これが僕たちの最初の出会いだった。






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