第3話 月の子ども
「お父さんお母さん、おはよう!」
「おぉ、おはようルーナ。よく眠れたかい」
「うん!」
「ルーナ、朝食はサンドウィッチとパンケーキどちらがいい?」
「今日はサンドウィッチ!あと、オレンジジュースじゃなくてリンゴジュースが飲みたい!」
「はいはい。手洗ってらっしゃいね」
「はーい!」
水道を全開にして、ジャブジャブと思いっきり顔を洗うところから僕の朝は始まる。冷たい水で心まで引き締まり、生まれ変わったように気持ちがいい。
3人で座るには大きすぎるテーブルに、お母さん特製のサンドウィッチ、大好きなリンゴジュースが並ぶ。僕の、いつもの朝だ。
「いっただきまーす!」
お腹が空いていた僕は、たまごサンドをパクパクっとたいらげた。
「もぉ〜、ゆっくり食べなさいね。誰も取らないんだから」
お母さんは、僕の顎についた卵を指で掬い、ペロッと舐めた。
「ルーナは大きくなるなぁ」
「ほんと!?」
「たくさん食べて、たくさん寝て、大きな人になって、将来父さんを手伝ってくれよ」
そう言って、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。"ルーナ"とは"月"という意味である。暗闇を照らす月のように、人々を救うみんなのヒーローになってほしいとお父さんが付けた名前だ。
「ルーナ、オレンジあるけど食べる?」
「うん!食べたい」
「じゃあ、切ってきますね」
三日月型のオレンジは艶々と輝いていた。ガブリとかぶりつくと、甘いジュースが口の中いっぱいに広がった。
「おいしい?」
「甘くてとってもおいしい!オレンジジュース飲んでるみたい!」
お母さんは僕の寝癖を指で整えながら微笑んだ。
「じゃあ、私はそろそろ行こうかな。グラートには、戻ったら連絡するよう伝えておいてくれ」
「分かりました。あなた襟が‥‥。今日は何時ごろに」
「今晩は研究室で過ごすことになると思う。明日の朝戻ってくるよ」
「はい。お気をつけて」
「お父さん、行ってらっしゃい!」
「行ってきます」
お父さんは、僕たちの頬にキスをして、帽子をかぶり仕事へ向かった。僕はお父さんの黒い車が見えなくなるまで手を振った。
「さ、ルーナも、もうすぐお迎えのバスが来ますよ。今日は忘れ物がないように」
「はーい。グラートは?」
「お昼に帰ってくるみたい」
僕のお父さんは昔、ドレシアという国で研究者として働いた。お母さんと結婚し、タニル国に引っ越してきたらしい。
今は学者として王様のもとで働いている。どんな研究をしていたのか聞いたことがあったけど「ルーナが18歳になったら、ちゃんと教えるから」と言うばかりで、詳しいことは何も教えてくれない。学校の先生から「ルーナ君のお父上は素晴らしいね」と言われたことがあるから、きっと何かすごい研究をしているんだ。今僕は12歳。来年にはクオーレ地区で1番の学校であるアルコバレーノに通い、将来はお父さんの右腕として働くのが僕の目標だ。
「グラートがいないとつまんないや」
「学校から戻る頃には、きっと帰ってきてますよ」
グラートは僕の家の執事である。
お父さんがドレシアにいた時、ゴミの中から人の手が出ているのを見つけ、それがグラートだった。職を失って浮浪者になり転々としていたグラートだったが、当時流行していた疫病にかかり、見つけた時には命半分だったという。お父さんはグラートを病院に運び、自分も研究員としてグラートの救命に協力した。そして命を救われたグラートは、それ以降お父さんに仕えるようになった。
グラートは、どんな時も僕の側にいてくれた。鉛筆の持ち方も、言葉も、サッカーも、ピアノも、女の子へのアプローチの仕方も、全部グラートが教えてくれた。
僕がお母さんに叱られて部屋に閉じこもった時、グラートが部屋にやってきた。扉をノックし「仲直りは早くした方がいいですよ。後悔しないために。明日の朝また、シエル様におはようと言えるとは限らないんですから」と言い残し自分の部屋へ戻った。
僕にとってグラートは、先生という感じではなく、兄と呼ぶには歳が離れすぎている。もうひとりのお父さんとも違う。でも確実に僕の人生の一部になっていて、少し恥ずかしいけどパートナーとかバディという響きが一番しっくりくる気がする。
グラートは時々、夜にいなくなる。お父さんの仕事の手伝いだと言い夕方ごろ家を出て、翌日の昼か夕方に戻って来る。昨日の夜、グラートはいなかった。今日は一緒にピアノの練習をする約束をしたから、家に帰ればグラートが待っているはずだ。
「ルーナおはよう!」
「おはようエリザ」
「少し元気ないね。あ、昨日グラートさんに会えなかったのね」
「そう。でも今日帰って来るんだ!」
「そうだ!今週末一緒にダウンタウンパルコに行かない?お母様が今日の夜フィナンシェを焼いてくれるの。グラートさんもぜひ」
「うん!グラートに聞いてみるよ。久しぶりにラゴマジョーレで泳ぐのもいいなぁ」
「ふふふ。楽しみね」
夕方。バスの中から玄関の草刈りをする金色の頭が見えた。僕はバスから飛び降り、走って家に向かった。
「グラート!!おかえり!!」
僕はグラートに飛びついた。首元に輝いているネックレスは、誕生日に僕が作って渡したものだ。その日からグラートは毎日つけてくれている。
「うわっ!こらこら、危ないですよ。ただいま帰りました。ルーナさんもおかえりなさい」
「ただいま!」
「今日も楽しかったですか?」
「うん!でもグラートに会いたかった」
「今日はたしか、一緒にピアノの練習ですもんね」
「忘れてなかったの!?」
「もちろんです。じゃあ中に入りましょうか」
僕とグラートは空に黒色の幕が降りるまでピアノを弾きつづけた。
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