第2話 太陽の子ども
「ソーレ、水は汲みに行ったの?」
「まだ。これからノエミ達と行ってくるよ」
僕は空のタンクを持ち、ふたりが待つ噴水へ向かった。家から歩いて15分ほどのところに、その噴水はあった。戦前はエメラルド色の水が流れるセラタ地区のシンボルだったそうだ。しかし、僕がこの世に生まれた頃には枯れ果て、すでにごみ収集所と化していたという。
「ソーレおそいぞ〜」
「ごめん!母さんの手伝いしてたら遅くなった!」
「ソーレって時間通りに来たことないわよね」
ノエミ、ピオも僕と同じ空のタンクを持っている。月曜日の朝8時に集まり、3人で水を汲みに川へ行く。
「まだ朝なのに暑い〜」とピオがパタパタと顔を仰ぐ。そんなピオに「本ばっか読んでないでちょっとは運動したら?」とノエミがいつもの調子で言葉を投げつける。
川は市場を抜け、20分南に歩いたところにある。こんなに暑い日は、涼しくなる夕方まで家でゆっくりしていたいはずだけど、ふたりとも、嫌な顔ひとつしない。
ノエミとピオは本当は、水を汲みに行く必要なんてないのだ。僕の母さんは体が弱く、父さんは畑に行くと3日は帰ってこない。家で使う水を汲みにいくのは僕の仕事になっている。ふたりはそんな僕に付き合ってくれているのだ。
昔、「ごめん。いつも付き合わせて」と言ったらノエミは「別にソーレのためにしてるわけじゃないし、私もお母さんに頼まれてるの」なんて、突っぱねるように言ってきた。これがノエミの優しさなのだ。
ノエミとピオは僕の幼なじみだ。
ノエミには兄と弟がいる。男兄弟に囲まれて育った彼女は、曲がったことが嫌いなはっきりとした性格で、女の子達からは敬遠されていた。「いいの。好きでもない子達と一緒にいたくないし。友達いらない」とよく言っているが、影に隠れて目を拭っている姿を何度も見かけたことがある。だいたいがクラスの子達に流されたでっちあげの噂が原因だった。ノエミが怪我をした小鳥を助けた翌日、"小鳥に虐待してた"なんて噂が流れたこともあった。ノエミは何も反論しなかった。
「本当のことを知ってる人がいるから、それでいい」
そう言った彼女の瞳は赤くなっていた。ノエミはまっすぐで、不器用で、そして本当はとても優しい女の子なのだ。
ピオは静かで穏やかで、不思議な空気を纏っていた。昔から宇宙人と呼ばれ、よくイジメの標的にされていて、ノエミと一緒に石を投げて撃退したこともあった。僕とノエミが「やり返そう」と言っても、ピオは反対した。
「言い返せない僕にも原因はある。それに、彼らも心に何か抱えているのかも。よく母さんが言ってるんだ、いじめられる側がおかしいって思われることがあるけど、本当におかしいのはいじめる側なんだって。みんな生きていくのに必死で、こうでもしてないと心が保てないんだよ」
もしかしたらピオは、世界の全てを知っているのかもしれないと思うことがある。「それに、ふたりにも迷惑かけたくないしね〜」と笑う姿は、いつものふわふわしたピオとは違って、とても大きく見えた。
かと思えば、知らないこともたくさんあって、なんだか掴めない不思議な魅力の持ち主である。
僕はといえば、特に変わったところはない、普通の男の子。だと思っていたが、ノエミは僕のことを「頑固者で、一度決めたら絶対に曲げない。怒らせたら1番怖いタイプ」と言っていた。自分では分からなかったりするから、ノエミの言う通りなのかもしれない。
ピオからは「仲間思いの、めちゃくちゃいい人」と称賛のお言葉をいただいた。
嘘のないふたりだから、きっと僕の為にではなく、ふたりがそうしたくて一緒に来てくれているのだと思う。考えてみれば、僕たちはいつだって3人でいた。悲しいことは三等分して、嬉しいことは3倍になった。
僕たちの間に"申し訳ない"なんて気持ちを挟むのは、寂しいことだと思った。それに気づいた日から僕は「ごめん」と言うのはやめた。
水を汲んでから、川のほとりで遊ぶのがお決まりになっていた。
「みかん持ってきた〜」とピオが嬉しそうに袋から取り出した。
「これオレンジっていうのよ」
「ありがとう。半分持って帰ろ。今日の晩ご飯」
僕は、ピオがくれたオレンジを半分にしてポケットに入れた。オレンジの実は乾燥してパサパサになっていた。それでも、今の僕たちにとってはご馳走だった。
「ソーレのところも、野菜持っていかれたの?」
「うん。こないだ政府の人が来て全部持っていっちゃった」
去年起きた大洪水で、タニル国全体の農作物が不作となり、食糧危機に陥った。政府は、他国から輸入した作物はもちろん、セラタ地区で貯蓄していた作物を全て回収し、クオーレ地区の人間に配ったのだ。
少しずつ状況は改善されているが、今でも時々政府の人間が作物を回収しに来ることがある。
「本当許せない、南のやつら‥‥。ピオのところは果物大丈夫だったの?」
「地下室にうまく隠してたみたい〜」
「でもあいつら地下室まで探しにくるでしょ?」
「いーや、地下室の、もっと奥だよ〜」
ピオはチッチッチと人差し指を立てた。
「「秘密の部屋!?」」
ノエミと僕は顔を見合わせた。
「ピオの父さん、かっこいいなー」
「そこに隠してるってわけね。で、このオレンジも助かった子なのね」
「そゆこと〜」
「甘くて美味しいわ!すんごくパサパサだけど!」「本当だ!ピオの父さんは偉大な人だ!」と、いつもと変わらない幸せな僕たち。そして前を向くと、その目線の先には壁がある。
「南の人たちは、こんなの食べないよね。きっと」
ピオはオレンジを見つめ、悲しそうに呟いた。
「僕は、ピオがくれたオレンジの方が美味しいよ。ね、ノエミ」
「‥‥ねぇ、ふたりは南に行きたいって思う?」
ノエミは遠くの壁を見つめていた。
「私は悔しい。なぜ私たちだけ、こんな思いをしないといけないのって。‥‥でも、もっと悔しいのは、ここで生きたせいで、今あっちに行っても、幸せに暮らせる気がしないってこと」
王はあの壁を、タニル国を守るための壁だといった。北が崩壊してしまい、これ以上被害を広げない為に壁を建てたのだと。
しかし、それは違うと思う。理由は分からないけれど、僕はこの壁に何か大きな差別を感じている。いつだって、僕たちの前にあるのは壁だった。これが何の予感かは分からない。でも"国を守るため"だけではない、もっと他の理由があるような気がするのだ。そうじゃなければ、同じ国の人間なのにこんなにも違うなんて、そんなこと、あっていいわけない。
「ソーレどうかした〜?」
「いや、なんでもない」
「今日もありがとう」と告げ、僕は家に帰った。
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