#7/5 #琥珀糖 #ディキ・ディキ
昨日の願いは叶えられることもなく、今日も気が狂ったような暑さだった。
クーラーは休む間もなく稼働しているというのに、ちっとも冷えた気がしない。二人がけのソファにのびていた琉生は、食堂へと続く引き戸が開いたので、うっすらと目を開けた。
「酒が飲めるって?」
のっそりと居間に顔を出したのは斑尾だ。
琉生は、思いもよらない参加者を二度見した後に口を開く。
「お疲れ様です」
「おつかれ。で、座ってたら出てくるのか」
一人がけのソファに手を置きながら斑尾は食堂の方へ目をやった。
まぁ、と琉生はあいまいに答える。綾鳥に断りもなく、参加者が増えてもいいものかと考えたがわざわざ声をかけるのも面倒極まりない。
目を細めた斑尾は、座ろうとして手土産を持っていることを思い出した様子で、小さな箱をテーブルの上に置いた。
「甘いもの平気か」
胡乱げな態度で座り直した琉生は、極端なものでなければと濁す。生クリームのようなものであれば胸焼けがしてしまうが、物によっては食べられないわけではない。
なら、食ってくれと筋ばった手が箱を開けた。
波にもまれ削られたガラスのようなものが現れる。青や緑、黄色に白と淡く色づいた欠片が丁寧に敷き詰められている。
「何ですか、これ」
「琥珀糖」
「へー、こんなのもあるんですね」
「常連が買いすぎたからってくれた――お裾分けってヤツ」
斑尾が美容師だったことを思い出した琉生は改めて琥珀糖を眺めなおした。会社に勤め始めたばかりではあるが、有名どころのお土産ばかりで、こんなに洒落たものはもらったことがない。甘くても金平糖ぐらいなものだろうと考えて、手をのばす。
「甘いもの食べられるんだ」
琥珀糖に触れようとした寸前、手を止めさせたのは、綾鳥の声だった。
ひどく冷えた声に琉生も斑尾も彼女を見返してしまう。
視線を琥珀糖に突き刺したまま、なにごとか呟いた綾鳥はいつもの食えない笑みにすり替えた。
「お好きに食べればいいでしょう」
「……綾鳥も食べてくれ」
百歩ゆずったのは斑尾だ。
お気遣いありがとうございます、とこれっぽっちも気持ちがこもっていない言葉を返した彼女は丸みを帯びたグラスを三つ並べた。琉生と斑尾の前には赤褐色のカクテルを。自分の前には白くにごったグレープフルーツジュースを音もなく置く。
カクテル名を聞く雰囲気ではないので、黙って口に含んだ。複雑な甘みを苦みがすっきりと流してくれる。
へぇ、と感心した声を出したのは斑尾だ。
「珍しいもん出してんな」
「お酒、詳しいんですか」
琉生の疑問にちょっと通ってた時期があったからな、と流した斑尾はもうひと口、赤茶色の液体を口にふくんだ。舌で転がすように味わって、喉仏が動く。
「グレープフルーツを使ってる他は全くわかんねぇな」
なんだよ、コレ、と訊ねる斑尾に綾鳥はすました顔で自分のグラスを飲み干した。空のグラスをお盆に戻して、そっぽを向いた顔はふて腐れている。
「わからなくても、酒は飲めるでしょう」
「親睦会、なんだろ?」
強面の斑尾が眉をぴくりと揺らしても、綾鳥は態度を改めなかった。
無言で一歩も引かない二人に、さすがの琉生も仲介に入る。
「綾鳥、教えてくれてもいいでしょう。次また飲みたい時に困ります」
視線だけこちらに向けた横顔が、これ見よがしに深く息を吐き出した。
「……ディキ・ディキ」
絞り出されたうなり声に目を見張ったのは斑尾だ。
「やっぱり珍しい酒じゃねぇか。よく作れたな」
「安心してください、貴方には頼まれたって作りませんから」
「綾鳥」
視線も合わせずに叱りつけられ、彼女は眉間にしわを寄せた。
斑尾は意外そうな顔で、琉生と綾鳥の顔を交互に見る。犬猿の仲で言い合う二人ばかりを見てきたが、いつも綾鳥の方が一枚上手という印象を受けていたが、今はどうだろうか。
へそを曲げた子供を嗜める年長者が、空気を引き締めている。
「わかんないもんだな」
「え、ディキ・ディキでしょう?」
叱りつけた本人は、気付いていない様子だったが。
܀𓏸𓈒◌𓈒𓏸܀܀𓏸𓈒◌𓈒𓏸܀
誕生酒:ディキ・ディキ
酒言葉:恋のシグナル
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