第一・五章 大学生デビュー! 恋に青春に真っ盛りですか?⑤

 がちゃり、と一軒家の鍵を開けて、寂れた引き戸をこじ開ける。


 家の中はむわっと湿り気があり、息を吸い込むと気分が酷く悪くなった。一歩踏み入れるまでもなく、しばらく誰も足を踏み入れていないことが察せられる。


「まずは窓だな! みんなも開けてくれ!」


 部長が玄関に靴をきっちり揃えて、部屋の中に足を踏み入れる。


「ちょっと待った。ほら、スリッパ」

 すみれ先輩が差し出したスリッパを履いて、麻琴たちは居間の窓を開け放った。

 大きな窓から、風が流れ込んで気持ちいい。山上に建てられているからこその贅沢だ。もちろん、すかさず網戸を閉めることは忘れずに。


 中を見渡すと、思っていたほど部屋の状態は悪くないな、と麻琴は思った。

 読みかけの本はあちこちに放置されているし、本棚も机も薄っすらと埃が積もっているが、異臭などはしていない。


 家を離れる前に先生が掃除していったことが読み取れた。なにより、放置されている生ものがないため、虫は湧いてなさそう。

「ぎゃっ、なんかカサって音がしたんですけど?!」

「そりゃ、半年も放置してたらね」

「最悪! もう帰りたい……」


 訂正、虫対策はきっちりしないといけないみたいだ。




 虫よけのためにバルサンを焚いたり、賞味期限切れのレトルト製品を捨てたり。

 まずやるべき項目を終えた僕らは、各々担当をじゃんけんで分けることにした。


「じゃんけん、ぽん」


「くっっっそ! まけた」

「ふふん、勝利」

「すみれ先輩! 廊下はあたしで」

「……どれにしようかな」


 最終的に水回りは部長、廊下と居間は円香、書斎はすみれ先輩、寝室と庭は麻琴となった。

 麻琴が担当していた寝室は非常に簡素で、ベッドと読書灯、それに数冊の本ぐらいしかない。


 マットレスを壁に立てかけ、布団や毛布は近所のコインランドリーに持って行った。洗濯の待ち時間で、できる限りの拭き掃除をする。


 寝室の掃除はこんなところだろう。

 だけど、もう一つの担当箇所は、寝室の倍以上は時間がかかりそうだ。

「一旦、休憩」

 寝室にあった本を返すため、書斎に足を向けた。


 書斎に入って、まず真っ先に目に入るのは、部屋の二辺を占める本棚だ。

 それに加えて、部屋のいたるところに本のタワーができている。一体、この部屋の中に何冊あるんだろう。百、二百、いやもっと?


 収納されている本はどれも重々しい題名がつけられていた。英字のものも多く、麻琴にはちんぷんかんぷんだ。


 すみれ先輩は本棚の埃を、乾拭きでふき取っているところだった。木製の脚立に乗って作業しているから、少し危なっかしい。


「先輩、寝室の本を返しに来ました」

 麻琴の声に気が付いて、こちらを振り向く。


「寝室にもあったんだ、デスクの上に置いといて」

 既に本の山となっているデスク。わずかに空いた隙間に本を置く。


「この家、何冊あるんでしょう」

「うーん、八百冊はあるんじゃないかな」

 先輩はとんとんとん、と脚立から降りる。


「麻琴くん、ちょっと手伝ってもらえない?」

「いいですよ、何でも」


 その回答にふっと微笑んで、先輩は居間のほうに駆けていった。

「円香ちゃん! 本棚の最上段やるから手伝って」

「はーい」


 ぴょこっと、円香が扉から顔を出す。あとから先輩も戻ってくる。

「麻琴くんが脚立に乗って、本をどけて乾拭き。先輩が本を受け取って、あたしが床に置く。拭き終わったらその逆」

「そういうこと」


 先輩と円香はすっかり息の合ったコンビのようにそう言った。もしかすると二人で試そうとして、失敗したのかもしれない。

「了解です」

 すみれ先輩の助けになれるなら、なんだってよかった。

 

 作業にとりかかって分かったことは、この分担は麻琴の比重がかなり大きいってことだ。

 麻琴が乾拭きしている間、女性陣はガールズトークに花を咲かせている。麻琴は会話に加わる暇がない。


 せっかくすみれ先輩と話すチャンスなのに、と麻琴は唇を噛みたい気分になる。ああ、円香さんとポジションを変わりたい。


「円香ちゃん。ジャズ研でやってるサックスって、高校でもやってたの?」

「ですです。吹奏楽六年やってましたから」

「へえ、私もだよ。楽器はフルートだけど」

「うわっ、先輩フルートっぽい! 吹いてる先輩、一瞬で思い浮かびましたもん」


 円香のテンションが目に見えて上がる。高速で続く会話のラリーは、話題的にも麻琴には触れにくい。中高どちらも帰宅部だったしな……と麻琴は心の中でつぶやいた。


「え、中学の吹部ってやけに厳しくないですか?」

「先輩の譜面台、後輩が用意したりとかね」

「あるある~あと男女問題でこじれたり」

「調子乗りすぎじゃない、って釘刺されたりね」

「言われてそう! すみれ先輩きれいだもん。で、男子が全部持ってかれて、他の女子ぷんぷんでしょ」


 そろそろ乾拭きが終わりそうだが、ガールズトークは止まらない。


「でも、高校だとそんなことないんですよね。あれなんなんだろ」

「みんな落ち着くんじゃない?」

「大人になったってやつですか? それはありそう。高校の部活メンバー、みんな神でしたもん。あーあ、会いたい」


 乾拭きは終わって、麻琴は手持ち無沙汰になっていた。脚立の下にいるすみれ先輩と目が合う。


「麻琴くんは? 高校の友達にあったりする?」

「え、ああ。たまに会ったりしますよ。一番縁が深かった子は、何やってるか不明ですけど」

「高校の友達との距離、遠くなるよね……って。麻琴くんが参戦してるってことは、作業止まってるじゃないですか!」


 テキパキやらないと、掃除だけで四日間終わっちゃいますよ! と円香はファイティングポーズを決めていった。

 その言葉にぶはっと笑った後、麻琴たちは慌てて作業を進める。


 結局、日が暮れるまで掃除に打ち込むことになったのだった。


 その甲斐あって、書斎の本は分野ごとに整理され、廊下の木目は光沢を取り戻し、水回りは問題なく使えるようになった。庭の紅葉は玉石とのコントラストが侘び寂びを感じさせる。

 執筆意欲をかき立てる、素晴らしい姿を取り戻したのである。

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