第一章 教室で缶ビールをあおるJKはヒロインですか?⑦
今日は麻琴にも、怪人二人の姿がはっきりと見えた。
麻琴はしばらく立ち尽くしていたが、隣の波奈はバーが上がると同時に駆け出していた。追いかける彼女の姿を捉えて、揶揄うように怪人たちは踏切の奥へと逃げていく。
「っ行くな!」
麻琴は波奈の背中を追いかける。
怪人が殺傷能力を持つ武器を携えてきたのは初めてだった。
一方、麻琴たちは武器を何も持っていなかった。今日は怪人と戦うつもりなんかじゃなかったし、ここは一旦退却するべきだ。
ヒーローごっこと馬鹿にしていた波奈なら、余計にそう思うはずなのだ。なぜ、こんな危険な状況で脅威に背を向けないのか。
分からないことが脳内を占める。無性に、喉が渇いた。
前を走る彼女を見失わないのが精一杯。そんな距離で走っていた麻琴は、怪人と波奈の足が止まったことでようやく追いついた。彼女はどこかから拝借してきたらしいスコップを手に、狼の怪人と相対している。
「ダガーナイフにスコップで太刀打ちするなんて、無謀だよ……こうなったら、僕らの手になんて」
「雛田くん」
ひつじの怪人は、ピコピコハンマーを肩にかけて退屈そうに花壇に座る。まるで今日は俺の出番じゃないとばかりに。
「どうしてヒーローになりたかったの」
「今、そんな話」
「何を救いたいの」
「……みんなを」
「みんなを救って、どうしたいの」
「どうしたいって……」
「確証はないけれど分かった気がする怪人の正体。どうして他の人には見えなかったのかも」
「それって」
「……目を背けてばかりじゃいられない?」
その言葉は麻琴には向けられていなかった。波奈は狼の怪人を見据えて、ゆっくりと問いかけた。その台詞は自問自答するようだった。
狼の怪人は口元を大きく開けて笑う。喉の奥がつっかえたようなその声は、まるでえずいているようだった。
波奈はスコップの先を怪人に向けて構えた。様子を伺いながら、じわりじわりと近づいていく。
怪人が持つタガーのリーチを考えると、なるべく近づかず戦おうという考えなのだろう。
懐に入れさえしなければ、案外こちらの有利なのかもしれない。
「アンタの言いたいことも分かるけどさ、わたし負けるのはやっぱり嫌。ここで勝てるなら勝っておきたい」
波奈は怪人の胴を狙って、大きく横振りをした。怪人は大きく後退することでなんとか避けたが、彼女は足元を狙って次の攻撃を繰り出す。怪人の足に掠り、奴は少し姿勢を崩す。
波奈は畳み掛けるように攻撃を続ける。大きく振りかぶることはしない。あくまで冷静に、慎重に。息を整え、その時を待つ。
怪人はその度に少しずつ後退し、体力を消耗しているように思えた。
波奈は首元狙って、スコップの剣先を振り下ろす――。
「えっ」
彼女の一撃は確かに怪人の首を捉えていた。離れているから分からないだけで、出血だってしていたのかもしれない。けれど、それだけだった。
怪人は動きの鈍くなったスコップの柄を掴んで、自分の方に引っ張る。意図しない方向に引っ張られた波奈は、姿勢を崩す。
ガラ空きになった腹部に、タガーが突き刺さる。
溢れ出る血はポップな水色をしていた。波奈は苦悶の顔で、それでも笑う。
「気持ちの悪い、色……」
怪人は突き刺さったタガーを勢いよく引き抜いた。
彼女は崩れるように、ぐしゃりとその場で倒れた。腹部にはとめどなく血が流れていく。彼女は傷を庇うように、身体を丸めて傷を押さえる。
怪人はなんの躊躇いもなく、波奈に近づき首を絞めた。
「やめろっ!」
金縛りにでもあっていたように動けなかった麻琴は、咄嗟に波奈の近くにあったスコップで怪人を狙う。不恰好な薙ぎだったが、怪人は彼女から離れた。
麻琴は狼の怪人に向かってスコップを構えた。
正直言って、勝てる気は全くしない。一対一ならともかく、彼女を守りながら戦うスキルなんてなかった。
(それに本気で誰かを傷つけるような真似は、きっと僕にはできない)。
過去の出来事が、麻琴の心を縛っていた。小学六年生の夏、人を傷つけた代償。
タガーは麻琴に向かって迫る――それでよかった。
戦うことはできなくとも、こちらがターゲットになれば、逃げる隙が生まれるかもしれない。
怪人はタガーをこちらに向けて、そのまま動かない。
後ろで何もしていなかったひつじの怪人とアイコンタクトをして、つまらなさそうにタガーを下ろす。
ふっと後ろを振り向いたと思ったら、二人の怪人は砂山が崩れるように、忽然と姿を消していた。
あの衝撃的な出来事が嘘のように、あたりは静けさを取り戻している。後ろで致死量は流血していると思われた波奈は、何事もないように寝息をたてている。
抉られた傷も、広がる血溜まりも、夢のように消え去っていた。
まるで先ほどの出来事は、なかったようだった。彼女が怪我をしなくてよかったと思う反面、あの鮮やかな蛍光色が頭から離れない。
あんなことがあって、何事もないなんて――そんなことあるだろうか。
背中に嫌な汗が流れる。心臓がうるさいのを誤魔化すように、わざとらしく唾を飲み込む。
「んっ」
彼女が電源を入れたロボットのように上半身を起こして、辺りを見渡す。
そして、暗雲立ち込める麻琴の心中などお構いなしに、ケロリと笑ってこう言った。
「負けちゃったのか、わたし。残念」
「残念っ、じゃないだろ!」
麻琴は胸に込み上げるものを押さえつけながら、なんとか声を出した。
「君、あんなに血が出て……死ぬかもしれなかったんだぞ?! だから、行くなって言ったんだ」
ぜえぜえと息を吐きながら、なお喋る。
「そうだ、医者だ。医者に診てもらわなきゃ。一見大丈夫そうに見えたって、実は危ないなんてこともあり得る。待ってて、スマホで調べたら……徒歩十五分か。だったらタクシーでも呼んで」
「雛田くん」
「何?!」
「大丈夫。あれはそういうものじゃないよ」
彼女は安心させるようにこちらを見て笑った。今日の出来事も、これから起こることも知っているような口ぶりだった。
それから、何が起こるかわからない、危険が迫っているかもしれない、とぶつぶつ繰り返す麻琴の手とって、波奈は歩く。
それはまるで麻琴が怪我をして、波奈がその付き添いをしているようだった。
波奈に手を引かれて歩く道中、麻琴は少しずつ理解していた。彼女は決して短くはない距離を、ふらつくことなく確かな足取りで歩いている。歩く方角だって、一度たりとも間違わない。普段の彼女以上にしっかり、頼りになるかもしれない。
確かに、これは物理的に何か危害を与えるものじゃないのかもしれない。けど……。
「ほら、しゃっきりして」
別に大丈夫と言ったのに、波奈は駅のホームまで着いてきた。彼女が乗る路線は別のホームだから、こっちで待っても仕方がないのに。
別れ際、麻琴の両頬を叩いてにっこり笑う。
その笑い方はクラスでよく見るものだった。何事もないように、取り繕うとする顔。
「震えてる」
表情に反して、両頬にある手は小刻みに震えていた。その両手に自分の手を重ねる。
「っ」
麻琴の手は波奈の震える手をすっぽりと包んでいた。
そうだ、彼女だって不安なのだ。自分の身にあんなことがあって、何も感じないほど鈍感じゃない。むしろ彼女は――。
「大丈夫」
ここまで慰めてもらって、こんな台詞はカッコつかないのが分かっていた。それでも、言わなきゃいけなかった。
「君は強いよ」
「うん、そうだよね」
アナウンスは空気を読まず、電車の訪れを告げた。
「じゃあ、また」
別れの台詞と共に、麻琴は電車に乗り込む。
波奈の返事は、麻琴には聞こえなかった。
「ありがとう、今まで」
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