第一章 教室で缶ビールをあおるJKはヒロインですか?②
歪な協力関係が生まれた翌週のことだ。
放課後、波奈はE組にいた。
残暑は依然として健在であり、貧弱な風しか送れない扇風機が、気休め程度に空気をかき混ぜている。
今日も波奈はビール缶を片手に、行儀悪く机の上に座っている。
いつもと違うのは、その隣にきっちり椅子に座っている麻琴がいることだ。
「昨日は本当に熱い戦いだった。僕が怪人に思いっきり斬りつけたところなんて、まるで映画のワンシーンみたいだっただろう」
「分からない、だって怪人は見えないし。わたしに見えていたのは雛田くんがへっぴり腰で、よろよろ動き回っていたことだけ」
「それは残念だなあ。大丈夫! いつか一ノ瀬さんにも見えるようになるよ」
麻琴は皮肉に気がつくこともなく、波奈を励ました。
波奈はヒーロー活動を手伝うと言ってしまったことを早くも後悔していたが、自分の破滅を避けるためには拒むことはできなかった。
「へえ……」
麻琴は自分の雄姿を噛みしめながら、改めて昨夜の出来事に浸っているようだ。完全に自分の世界に旅立ってしまって、なにやら熱心に語っている。
波奈は自分の今後を呪いながら、昨夜の出来事を思い出していた。
波奈の飲酒現場を目撃した週の日曜日。
あたりがすっかり暗くなった一八時頃のことだった。
麻琴たちは通学圏内の寂れた駅で集合した(学校や家の最寄駅は、波奈の必死の抵抗でなしとなった)。
麻琴は休日にも関わらず制服姿で、竹刀を右手に携帯しながらぶらぶらと歩いている。授業で購入した竹刀もまさかこんな風に使われると思っていなかっただろう。
波奈は、麻琴と常に両手分の距離を保ちながらついてきていた。目の前の人物は本当にヒーロー活動を行おうとしているらしいことに、気が遠くなりそうになりながら。
正気なの? という呟きがうっかり口に出ないように、彼女は口を固く閉ざしていた。
一方、麻琴はクラスでの寡黙さが想像できないほど口がよく回っていた。
主な内容は今捜索している怪人についてだ。
「僕が怪人と出会った話、確か詳しくしていなかったよね」
彼は波奈の呆れ顔に全く気がついてないらしい。
「高一の三学期、終業式のこと。僕は帰り道をとぼとぼ一人で歩いてた。二年になったら、どうなるんだろうって思いながら。
そんなとき、控えめに誰かが肩を触れたんだ。
僕は慌てて振り返った! そいつの指は人間と思えないほど、冷え切っていたから。
だけど、正体を確認することは叶わなかった。そいつは顔をこちらに向けた僕に向かって、思いっきりハンマーを振り下ろしたんだ。運が良かったことに、そのハンマーはおもちゃ――ピコピコハンマーって分かる? そう、あれだったんだ。
当たったことある? 結構痛いんだ。
僕はいきなり暴力を振るったやつを確認しようとして、けどできなかった。そいつの顔はひつじの着ぐるみで隠されていたし、なにより体の一部以外は透き通って目視できなかったからね。
僕は超常現象の類が起こっているんだと思って、勇敢にも立ち向かった。先日の君がそうしたように通学バックでね。そして、あと一歩のところまで追いつめたんだけど、逃げられてしまったんだ。
そこから、僕と怪人の戦いが始まったってわけさ」
波奈は黙ってその話を聞いていた。
おかしな部分が沢山あっても笑わなかったのは、あまりにも突拍子がなかったからだ。
「それって」
彼女はここにきて初めて口を開いた。
「その怪人はひつじの着ぐるみをして、ピコピコハンマーで攻撃してくるってこと?」
「着ぐるみは頭だけさ。着ているのはスーツじゃないかな!」
そのセリフを聞いて波奈はふうん、と小声で相槌をした。
そんな人畜無害そうな怪人は放置してもいいんじゃないか、とは意気揚々と話す彼を前にして言えなかった。
その後も麻琴は自分の武勇伝を語り続けていた。波奈は上の空で、度々スマホを開きながら話を聞いていた。
しかし、いつまでも続くと思われた武勇伝は唐突に終わった。
麻琴が突然、ぴたりと足を止めたのだ。あれほど饒舌であった口も今は閉ざされている。
彼はぐるりと周囲を見渡した後、一点を見つめて走り出した。
後ろを歩いていた波奈は、彼の変貌にしばらくあっけにとられていたが、我にかえり追いかける。
麻琴が向かっていたのは、森林散策の場としてお馴染みの公園だった。
すっかり日の入りが早くなったこの季節では、既に辺り一帯が暗闇に沈んでいる。そんな状態で、麻琴は舗装されていない道をどんどん進む。
「待って、どこに行くの!」
「分かるんだ! もう少しで怪人に会える」
双子は離れていてもお互いの場所が分かるというけれど、麻琴も怪人に対してそんな第六感を受け取ることができた。
それは近づけば近づくほど、より強くなっていく。まるで麻琴を呼んでいるかのように、その引力は増していく――。
そのとき、暗闇に何かが浮かんで見えた。ピコピコハンマーは闇に沈んだこの場所でも目立って見える。
「いた!」
「えっ」
少なくとも麻琴には「見えた」。
仕立てのいいスーツに、不釣り合いなひつじの被り物。
分かりやすく怪しいその風貌は靄がかかっていて、いつも一部以外は見ることができない。今日は頭と右上半身のみ、はっきり目視することができた。
他の部分の存在は感じることはできるものの、視界に入る姿が不完全で背中がぞわぞわする。
「どこ、遠く?」
「目の前だよ。ほら、そこに……」
波奈に伝えようと、麻琴は怪人のいる場所にぐっと目を凝らす。
そのとき、いつもと少し様子が違うことに気が付いた。ひつじの被り物をした怪人の後ろに、何かいる。
「狼?」
狼の被り物をした誰かが立っていた。
ひつじの怪人とは違って、靄がかかったようにぼんやりとしている。まるで、まだ存在が確立されていないように。
いつもの怪人の助っ人だろうか。
肉食獣の被り物をしているせいなのか、獰猛で危険な雰囲気がある。麻琴は一瞬体を縮めたが、危険に打ち勝つ心がヒーローには必要だと胸を張ってみせた。
「狼って何? ちゃんと説明してよ!」
波奈が我慢ならない様子で、麻琴の右腕をぐっと引っ張った。
「今いる場所の五メートルぐらい先かな、怪人がいる」
「いるって……」
「しかも二人。今まで、こんなことなかった」
麻琴の視線の先を波奈は目を細めて凝視する。
けれど、何も感じ取れなかったようだった。
「見えない……何も」
波奈は困惑したように麻琴を見つめていた。探るようなその視線に麻琴はたじろぐ。
「……いつかばっちり見えるようになるさ。今日は僕の活躍を見ててよ!」
「そうね。観戦してます、っと」
波奈はふいっと麻琴から興味を失い、随分離れた場所に設置しているベンチへと向かった。麻琴からは波奈が手のひらサイズだ、ということは向こうからもそう見えているってことで。
(確かに見えない敵、なんて一ノ瀬さんにとっては荒唐無稽かもしれない。けれど、スプーン一杯ぐらいの興味はあっていいんじゃないだろうか)。
麻琴の闘志は、思わずしぼんでしまいそうになる。
波奈はベンチに腰掛け、ひらひらと手を振っていた。蚊帳の外から眺めているような振る舞いから視線を外し、怪人たちの方に戻す。
調子が狂ってしまっていたが、ここからはいつもの戦闘タイムだ。
麻琴は袋から竹刀を取り出した。
鍔をつけることなく(剣道部が聞いたら卒倒するんだろうか)、怪人に向かって構える。
竹刀を握る手にぐっと力を込めて、ひつじの怪人に向けてまっすぐ振り下ろした。
剣道の知識は体育でしか学んだことがなかったが、結構様になっているのではないかと麻琴は思っている。瞬くようなスピードで刀を振っているはずだ。
麻琴の精一杯の攻撃はひらりと躱された。生まれた隙を狙って、ピコピコハンマーで勢いよく右頬をはたかれる。
「いっ、た!」
麻琴は熱を持っている頬を押さえながら、自分はヒーローなのに最近やられっぱなしだと思った。これではいけない、と気持ちを立て直す。
「僕はめげないぞ、ヒーローなんだから……」
小声でそう呟く。
何度も何度も、立て続けに竹刀を振りかざす。怪人は器用にピコピコハンマーで受け止める。その鮮やかな手捌きは、幼稚園児のチャンバラのようだった。
麻琴はぜえぜえと息切れをしながら、攻撃を辞めなかった。竹刀は思っているよりも重く、もはや竹刀に振り回されているような状況であったが、我慢強く攻撃を続けていた。
そうなってくると、劣勢になるのは怪人の方である、たぶん。
麻琴は怪人の右胴に当たる部分に竹刀を打ち込んだ。怪人はハンマーで受け止めたが、ピコピコハンマーの強度は高くないため、ぐにゃりと変形する。
「はあっ!」
麻琴はガラ空きになった頭部へ向けて、ぐっと腕に力を込め攻撃を加えた。見事に攻撃はクリーンヒットする。怪人はゆらゆらと後退し、その姿は徐々に透けていく。
「くっ、させるか!」
怪人がさっきまでいた空間に麻琴は飛びついたが、そこにはもう何もなかった。
いつも通り、逃げられてしまったというわけだ。イレギュラーの狼もいつの間にかいなくなっている。
――そういえば、彼女はどうしているんだ?
戦闘中は彼女に全く気を配ってなかったが、麻琴をどんな風に眺めていたんだろう。
『スクール*ヒーロー』のヒロイン・空は、幼馴染の主人公をいつだって信じ励ましていた。
特に麻琴が好きなエピソードは、まだ式神と契約しておらず、妖怪が見えない空が「何もできなくっても、側にいてやるわよっ!」と戦おうとするシーンだ。
『スクール*ヒーロー』には名シーンが沢山あるけれど、この場面が一番好きだ。
強気な言葉とは裏腹に未知の脅威に震えながらも、それでも隣に立とうとする空。そんな姿に励まされて戦う勇気を持つ侑斗。ほんとに何度も見返すほどいいシーンで……。
ゴホン、失礼。波奈と麻琴はそこまで親しい間柄じゃない。となると。
勇姿に感激しながら? それとも心配そうに? どちらにしても麻琴にとっては嬉しい反応だ。ヒーローの戦いを眺めるヒロインって感じがしていい!
彼は少し高揚しながら、くるっと振り返り彼女の様子を観察する。
波奈は、手元の文庫本をめくっていた。街灯が近くにあるとはいえ、暗がりで読みにくいだろうに、お菓子を片手に本を読んでいる。
麻琴は肩を落とし、とぼとぼと彼女に近づく。
「ああ、終わったんだ」
彼女はようやく本から目を離した。
「まあね。こんな暗いところでよく読めるね」
麻琴は少し眉を下げてそう言った。彼女は悪びれることなく、こう答える。
「これ途中だったから、どうしても読みたくって。そういえば一緒に食べてたこれ、美味しいよ。コンビニで新商品って書いてた」
彼女はチョコクッキーを差し出した。麻琴は黙って口に放り込む。
「……美味しい」
麻琴の心中は、穏やかとはとても言えなかった。
でもさ、『スクール*ヒーロー』の主人公・侑斗だって、最初から仲間に信頼されていたわけじゃない。「ヒトキリ侍」の存在は理解されずに、疑われることだってあった。
戦いを続ける中で、信頼を勝ち取っていったのだ。
だから、彼女だってだんだん信じてくれるようになるはずだ。麻琴はそう自分に言い聞かせ、クッキーと一緒に今日の悲しみを咀嚼した。
「ヒーローの活躍は、これからだから。一ノ瀬さんだって、分かるはずさ……」
波奈の眼の前で饒舌に話していた麻琴の口が、しどろもどろになり、やがてぱったりと止まった。昨日いた公園から、むわっと熱がこもる教室という現実へ、彼の意識が戻ってくるのが分かる。
波奈はマシンガントークがやっと終わったと、読みかけの本を閉じる。ビールをグイッと飲み干して、しょんぼりという文字が浮かんで見える彼の顔を眺める。何を思い出したのか知らないが、ちょっと面白い顔だ。
麻琴の方も、昨日の波奈とのやり取りまで思い出していた。
しどろもどろになったのは、傷心のあまり封印していた記憶まで、こじ開けてしまったからだ。
そうだった。波奈は見えないんじゃなくて、そもそも見ようとしていなかったんじゃないか。
「そりゃ、本を読みながらクッキー食べてたら分からないさ。今度からはちゃんと戦いに注目してほしいよ。僕が頑張ってたのに読書していたのは、流石に酷いだろ」
麻琴はあの時言わなかった文句を言った。
「退屈だし。一人で竹刀を振っている様子を眺めるのは、数分が限界」
うーん、確かに? 波奈の言い分にそれ以上何も言い返せない。
彼女にとっては、麻琴が一人で竹刀を振っている以上のことは何も起こらなかったのだ。戦いというものは、相手が見えなきゃ飽きてしまうのかもしれない。
「いつか見えたら、ちゃんと見てくれよ……」
「見えたら、ね。それより、昨日のクッキー美味しかったから、また買っちゃった。食べる?」
昨日の悲しみの象徴とも言えたそれを、麻琴は何を言わずに受け取った。無心でボリボリ食べる。
「一ノ瀬さんは、甘党なの?」
「まあ、辛党か甘党かって言われるとそうかな。砂糖そのまま……とかは流石に無理だけど」
「だったら、ビールとかよく飲めるね。苦いっていうのに」
ビールなんて飲んだことはなかったけれど、スプーンの裏を押し付けたみたいな味がするらしいことは知っている。甘党の彼女が好きだとはとても思えなかった。
彼女はビール缶を傾けて、しかめっ面でしばらく押し黙る。先程のどこか楽しげな雰囲気はすっかり彼女から消え去っていた。
「……美味しかったり、楽しい気分になったら、なんの意味もないから」
それ以上のことを彼女は語らなかった。少し縮まったと思われた距離は、さっきの一言ですっかり離れてしまった。二人の間にはどうにもまだ溝があった。
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