第一章 教室で缶ビールをあおるJKはヒロインですか?③
波奈の飲酒現場を目撃してから、一ヶ月と半月経った頃。
E組のうだるような暑さとはさよならだ。十月に入り、秋をすっ飛ばして冬の訪れを感じさせるような気温になっている。
麻琴たちが通う富川学園高等学校も、衣替えの時期を迎えた。半袖のカッターシャツで校内をうろついているバカはどこにもいない。寒がりの麻琴は、学ランの上にトレンチコートまで着用していた(いつも本格的な冬が到来すると、どうしてもう少し後にトレンチコートを着なかったのか後悔する)。
麻琴たちはあれから、一週間に一回のペースで秘密の飲酒とヒーロー活動を続けていた(とはいえ、波奈がヒーロー活動を手伝うことはなかったのだが)。
怪人にはあと一歩のところで逃げられるし、波奈は飲酒をやめる兆しを全く見せない。麻琴はあまりヒーロー活動が上手くいっていないことに焦っていた。
「一ノ瀬さんって、本好きだね」
いつも通りビール缶片手に読書をする波奈へ、麻琴は声をかけた。
更生へと導くためには、まず彼女自身を知る必要があると考えていたのだ。『スクール*ヒーロー』の主人公・侑斗が、ライバル・冬馬の説得のために彼のことをよく知ろうとしていたことから習ったらしい。
「うん、海外文学が特に。今読んでいるのも『ドン・キホーテ』だし」
彼女は本を閉じて表紙を見せてくれた。雑貨店の名前として有名なタイトルが書かれている。けれど、肝心の中身の方はさっぱりだった。これじゃ、話を広げられない。
麻琴はしばしばこの話題を続けるか悩んだ後、自分が読書について語れる材料を持っていないことに気がついた。ましてや、海外文学なんて教科書でしか知らない。
諦めて別の話題で会話することにした。
「一ノ瀬さんって、いつも学校が終わったら何してるの?」
「ときどき読書もするけど、基本的には勉強かな。国公立目指してるから」
「すごいな」
麻琴達が通っている富川高等学校は一応進学校を名乗っているが、国公立の進学実績は年に十名程度だった。ほとんどの学生が有名私大を志望校に掲げる中、波奈は希望の星ということになる。
麻琴はどこかに入れればいいとぼんやり考えていたため、二年生の秋の段階で受験勉強を本格化させている彼女に驚いた。
「雛田くんはどうなの?」
「……壊滅的ではないよ、けど有名私大もかなり頑張らないとって感じかな」
部活に入っておらず、常にまっすぐ家に帰る。そういう人間には優秀なんだろうというイメージがつくが、麻琴はいまいちパッとしない成績だった。
「有名私大って、帖堂院(じょうどういん)大学とか?」
「そうそう」
「確かにあの大学、英語が難しいよね。試しに過去問してみたら、予想以上の難易度で驚いたもん」
「一ノ瀬さんも受けるんだ」
「うん」
(……滑り止めだろうけど、一ノ瀬さんと同じ大学なんて無謀な気がしてきた)
「まあ、一日二時間ぐらい勉強すればすぐ上にいけるよ。高校二年の秋だもん、まだ平日は自習してないんでしょ?」
麻琴が内心落ち込んでいる間に、彼女はハイレベルなことをさらりと言った。
「えっ、もしかして今からそんなに勉強してるの?」
「うん、高校入ってからはずっとそうかな……本当に頭がいい人だったら、入学してからすぐ大学受験の対策なんてしなくていいんだろうけどさ。わたし、そうじゃないから」
驚愕だった。
そりゃ成績優秀な人は努力しているとは思っていたけど、高校受験が終わってからすぐ大学受験に切り替えられるものだろうか。コツコツ努力できるというのは、それ自体が一種の才能だと『スクール*ヒーロー』でも言ってたっけ。
「それは、えっと……」
「受験勉強を始めるなら、まず簡単な参考書でざっと内容を押さえるといいよ。それからそれぞれの単元を勉強すると、全体像を捉えたうえでできるから習得の近道になるし……」
彼女は文庫本とビール缶を脇に置いて、タブレットで参考書を検索し始めた。親身な姿勢は、ここ数日観察していたクラスメイトの前で見せる彼女と変わらない。先日の苛烈さはだんだんと影を潜めていた。
傍らにあるビール缶だけが、彼女の危うさを示している。
周囲の目というスポットライトが当たった彼女は、模範的な優等生そのままだ。麻琴は数日間にわたって波奈を観察したが、とうとう一瞬たりともほころびを見つけることができなかった。
気づいたことは、一番仲がいい友達は隣のクラスにいることだけだ。波奈とはクラスも違うのに、時々昼食を一緒に食べているのを見かける。
確かBクラスの女の子だっけ……。Bクラスの生徒とは選択科目のときに顔を合わせるため、ぼんやりと覚えていた。たまたま同じ集団になったグループ学習でも、積極的に話してくれる元気な女子だ。
「一ノ瀬さんって、Bクラスの子とよく一緒にいるよね。あの元気な子……」
麻琴は名前を思い出そうとするが、結局わからなかった。
「森詩織、でしょ」
タブレットに目線を落としたまま、彼女は答える。
「いい子だよね」
「……まあね」
勘の鈍い麻琴にも分かるほど、含みのある答えだった。
「何かあったの?」
彼女は検索していた手を止めた。ぼんやりとスマートフォンの画面を眺めている。
「何も」
彼女はビールの残りを飲み切った後、空になった缶ビールを足でぐしゃりと潰した。ひしゃげた缶をつまんで、ビニール袋の中に入れる。何かつぶやいているように思えたが、うまく聞き取れなかった。
「ヒーローごっこ、やるんだったらまた連絡して。それじゃ」
彼女はタブレットと文庫本を強引にバックに詰め込んで、教室を出て行った。
麻琴のほうを振り返ることは全くなかった。
「やってしまった……」
彼女は親友と何かトラブルを抱えているように見えた。こういうとき『スクール*ヒーロー』では主人公が相談に乗っていたから、そうしたかっただけなのに。
何故か彼女を怒らせてしまったようだった。
ギクシャクの芽は早めに摘んでおいた方がいい。
麻琴はその日の夜に、ヒーロー活動を行うことにした。
けど、これは全くの逆効果だった。一挙手一投足に至るまで、何もかも上手くいかなかった。
道中の会話は弾まなかった。闇雲に歩いていたら道に迷った。誤魔化すために話した『スクール*ヒーロー』の名場面紹介は、火に油を注いでしまった。波奈をますます怒らせた麻琴をあざ笑うかのように、怪人がやってきた。集中できないままに戦ったら、ピコピコハンマーで何度も殴られた挙句、逃げられた。
何もいいところがない。
一つ歯車がかみ合わなかったことで、ここまで駄目になるものだろうか。
麻琴は何か現状を打破するような一言を探して、何度か口を開いたが言葉にはならない。一つも有意義な会話ができないまま、解散場所である駅前にたどり着いてしまった。
このままではいけない。
確信めいた何かがあった。今何も話さなかったら、一生麻琴は波奈と関われない。ただのクラスメイト同士に戻ってしまう。
「……森さんと、何かあったの」
その焦燥感から、麻琴は思い浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「何もない」
「でも、森さんとの仲を聞いたとき辛そうにしてたから」
波奈は決して麻琴と目を合わそうとしなかった。両手で自分の身体を抱くようにしている。何かに耐えるように強く腕を握りしめていた。
「だから、何?」
「ちゃんと、話した方がいいんじゃないかな。言葉にすれば分かり合えることだってあるし」
麻琴の言葉は彼自身の願望でもあった。自分の思っていることを素直に伝えれば、相手と通じ合うことができると。
――だが、衝動に任せた言葉では、通じ合うことなんてできなかった。
「ちゃんと話す? 詩織とのことを何もしらない雛田くんになんでそんなこと言われなきゃいけないわけ。
大体、君っていつも一人じゃない。友達と一緒にいるところなんてみたことない。だから、そんな発想が出てくるのよ!
本音で話し合って、解決できることなんてほとんどない。相手の嫌なところだって、妬ましいところだって、蓋をして生きてる。それのどこがそんなに気に食わないの?
相手が蓋をしている柔い部分を強引にこじ開けようとする奴なんて、デリカシーの欠片もない最低の人間よ!」
抑え込んでいたものが溢れ出したように、波奈はまくし立てた。公共の面前で感情的になるなんて、普段の彼女からはありえない行動だった。
頭に血が上っているようだ、周囲が見えなくなるほど。
浮かんだ言葉を全て吐き出した彼女は、大きくため息をつく。何やってんだろ、わたし……と小さな独り言が聞こえた。
麻琴はしばらく波奈の言葉が呑み込めなかったが、冷静になった彼女の姿を見て、自分が取り返しのつかないことをしてしまったと気が付いた。
身体中に力が入り、神経が過敏になっていく。ノイズがうるさくて、本来優先するべきこの後の行動がおざなりになる。
「あっ、あの」
「……ヒーローごっことか、手伝わない。飲酒のこと、言いたいなら言えばいいよ」
深呼吸をしたあとに、波奈はこう言った。その表情にはまるで色がなく、先ほどまでの葛藤は、綺麗さっぱり顔の表面から消え去っていた。
くるりと後ろを向いて、波奈の姿が遠ざかっていく。
麻琴は今度こそかける言葉が見つからず、ただ立ち尽くしていた。
波奈の地雷を思いっきり踏み抜いてから、もう一ヶ月が経とうとしていた。
その間、麻琴が何をしていたかというと……何もしていなかった。もちろん学校は毎日登校していたけれど、特筆するべきことは何も。
朝起きて学校に行き、放課後はまっすぐ家に帰る日々。欠かさず行っていた人助けも、張り切って行っていたヒーロー活動もやっていなかった。
何か行動を起こさなければならないことは、麻琴だって承知していた。
けれど、何をすればいい? いつも困ったことがあれば『スクール*ヒーロー』を確認していたけれど、波奈の件はそれじゃダメな気がするのだ。
正義とか愛のために何をすればいいのか、宙ぶらりんになっていた。自分でも考えようとしたけれど、何もしないのが一番の正解のように思えた。
そうやって悶々としているうちに、月日は過ぎてしまった。
こんなとき、他の人なら友達に相談するのだろうか。波奈に言われた通り、自分にはそんな人はいない。どこまでも袋小路で、どうしようもなかった。
「雛田くん」
机に突っ伏して黄昏れていた麻琴に、誰かが声をかけている。
「おーい」
どうやら授業もホームルームも終わっていて、遠くで楽器の音やスポーツの掛け声がする。顔を上げなきゃいけないけど、なんだかその気になれない。
「ごめんね。二時間目の授業でこの机を使ったときに、引き出しに教科書入れちゃったみたいで。取ってもいい?」
遠慮がちに女子生徒が声をかける。流石にそれは無視できない。
顔を上げると、話しかけてきたのは波奈を怒らせる原因になった詩織だった。
麻琴が所属するAクラスと隣のBクラスでは、選択科目は合同で授業をする。この席で日本史をうけていた詩織は、教科書を忘れてしまったらしい。
「いいよ」
どうせもう帰るつもりだし、と麻琴は引き出しの中のものを全て取り出した。今日の授業で使った英語や数学の教科書に混じって、選択していない日本史の教科書が紛れこんでいる。
「これ?」
「そうそう! ほんと良かった……」
教科書を胸に抱えて、詩織は安心したように息を吐いた。
「見つかって良かったよ」
久しぶりにいいことをした気がする。なのに、以前のような高揚感を得られなかった。
「雛田くん、顔色やばいよ。調子悪い? 保健室行く?」
目の前の詩織は、こちらを伺うように見つめている。
「いやっ、別に……」
「それとも、悩み事?」
「悩み、っていうか」
「聞くだけしかできないけどさ、話すとちょっと整理されるかも」
詩織は柔和な声音でそっと問いかけた。
その言葉は、麻琴が待っていたものであり、波奈にかけたかった言葉でもあって――。
「知り合いを、怒らせてしまって。本当は話しかけないのが一番いいんだろうけど、それは嫌で……これは僕のわがままなんだけど。できればその人と何でもない話をできるように戻りたいんだ。でも、どうしたらいいのか分からない……」
麻琴は恥ずかしそうに微笑んだ。
自分がひどく幼い悩みを打ち明けている自覚はあった。それこそ、同世代は小学校に解決しているような。
「真面目だね」
詩織はにやりと笑った。波奈もよくこの表情をしているから、どちらかの仕草が移ったのかもしれない。
「人生経験が欠けてるだけだよ」
麻琴の言葉に、詩織は慰めの台詞は返さなかった。
「どんなことがあったのかによって、変わってくるとは思うけど……自分で悪かったと思うところを謝るしかないんじゃないかな。それでダメなら諦めるしかないよ」
「諦める」
「そう、相手の気持ちなんて操作しようがないもん。できることをしてダメなら、今は何をしてもだめだよ」
詩織のその言葉は何だか冷めているように麻琴は思えた。
けれど、その通りなのかもしれない。
「そっか」
「後は、あたしの場合はその人が好きなものを添えて謝ったりするかな。まあ、人によっては火に油を注ぐことになるけど」
詩織は笑いながらそう付け加えた。
「うん」
「雛田くん、きっと上手くいくよ」
「そう……だね、ありがとう」
麻琴は、しっかりと彼女と目を合わせてそう言った。
詩織はふんわりと微笑んでいた。
次の日の早朝、麻琴は誰もいないがらんとした教室にひとり佇んでいた。その右手には徹夜して書いた手紙と菓子の袋が握られている。
昨夜は夜通しで机に向かっていた。
こんなに誰かのことを考えたのは、随分久しぶりな気がする。土足で触れられたくない部分に踏み入ってしまったことへの謝意を込めて、文章を綴った。
手紙を書き上げてから気がついたのは、そもそも波奈にどうやって渡そうということだ。
直接謝るべきなんだろうけど……麻琴と波奈はクラスで話すことなんてないから、クラスメイトにとっては奇妙な組み合わせだ。
特に昼休みなんかに話しかけて悪目立ちすると、本当に嫌われそう。
だったら、机の引き出しに入れておくほうがいいだろうか。そういえば、彼女は毎朝教室の植木鉢の世話をしていたっけ。
植木鉢に水をやるのは、最初は教室に鉢植えを持ってきた有志の担当だった。けれど、いつの間にか委員長の仕事として定着している。葉が萎れているのは見たことがないから、欠かさず世話を続けているのだろう。
そんな訳で重い瞼を無理やり開けて、通勤ラッシュ前に電車に乗って、学校にやってきた。突っ伏している机の冷たさに少し思考がネガティブになる。
今日に限って彼女が休みだったらどうしよう。
「何、やってるの」
温度のない声が耳に届いた。
開けっぱなしだった教室の引き戸の向こうに彼女がいた。セミロングの髪が、廊下の風で靡いている。
「……一ノ瀬さん」
「びっくりしているのはこっち。そっちまでびっくりすると、収集がつかないでしょ……何やってるの、こんな時間に」
波奈の表情を、麻琴はうまく読み取ることができなかった。たぶん、機嫌がいいわけではなさそう。
「この前のこと、ごめん」
立ち上がって、麻琴はそう言った。
「……口頭じゃうまく纏められる自信がなかったから、手紙を書いてきた。読んでもいいかな、って気分になったら開けて」
用意した手紙と菓子を渡そうとすると、波奈は目を丸くして驚いていた。不意をつかれたみたいな表情だった。
「……今、読んでも?」
彼女は麻琴の方に歩み寄り、封筒を受け取った。
「い、今? いいけど」
彼女は丁寧に封を外して、手紙を取り出した。
元々読んで欲しかったものなのだから、寧ろ良いことなんだけど……なんだか気恥ずかしい。自分の内面を覗かれているみたいな気分だ。
少し間があった。
「最近、誰かと甘いものを食べてなくって」
「そう、なんだ」
「食べたい気分……いや、違うな」
彼女はぽつりぽつりと呟いたあとに、まっすぐ麻琴の瞳を見た。
「この間は、わたしもごめん」
まっすぐ麻琴の目を見て、波奈は謝罪の言葉を口にした。
「言い過ぎた。雛田くんには何を言ってもいいって、甘えてた。自分のほうが上手くやれてるって思い込んで、少しぐらい強く言ってもいいって思ってた」
教室でお酒飲んでいる人間の言うことじゃないよね、と彼女は伏し目がちにそう言った。
「だから、あんな風に怒った後はすっきりした。何か立派なことをしたような気分になって――けれど、時間の経つうちに自分がしたことは八つ当たりだって気づいた」
波奈はとても穏やかに、贖罪の言葉を紡ぐ。
「詩織は小学生の頃から一緒で、彼女のそばにいれば一人になることなんてなかった。本当にいい子で、隣にいると楽しくて……自分に人を惹きつける魅力なんてないことが、はっきり分かるんだよね。
いい成績を取ったって、リーダーをやったって、部活で活躍したって。そんなことじゃ何も変わらない。
それでも、信頼を勝ち取るために躍起になって、いつの間にか「頼めばなんだって叶えてくれる人」になってた。でも、今更レールから降りることなんてできなくって。あの日の前日、ちょっと自己嫌悪してたの。
だから、雛田くんに詩織のことを聞かれたとき、コンプレックスでカッとなって。
それで、怒りのままに言葉をぶつけた」
「僕は、正直一ノ瀬さんがああ言ってくれて良かったって思ってる。僕のダメな部分に気がつけたし……」
「うん」
「僕が救う、なんて言えなくなった」
「それはそう」
波奈はニヤッと笑った。
「あと、お酒は止めるべきだ」
「……もう飲まないよ。だから、今日の放課後来てくれる? こんな量のお菓子は流石に一人で食べられないからさ」
彼女は袋の中身を見せて、微笑んだ。
「ほんとに、ごめんなさい」
その日の放課後、部活の喧騒が遠くで聞こえてくるE組で、麻琴はちょっと戸惑っていた。
「自販機で適当に買ってきちゃった。雛田くんは炭酸? それとも紅茶?」
二つの飲料水を交互に指差して、波奈は首を傾げる。
……なんだか、以前と態度が全然違う気がする。根本的な部分は変わっていないんだろうけど。
「えっと、紅茶かな」
「ふーん。じゃあ、わたしはこっちで」
波奈がジンジャエールを手に取って蓋を開ける。二酸化炭素が抜ける音で、麻琴の脳内は少し冷静になれた気がした。
彼女は麻琴が呆けている間にも、テキパキと麻琴が買ってきたお菓子を開けていく。チョコがけポテトチップス、クッキー、ブラウニー。
机の上がなんだか賑やかになった。
どれを最初に食べようか、なんて取り止めのない会話を交わす。麻琴は、塩っ気のあるものが食べたくて、ポテトチップスの袋を手に取った。チョコがかかっているなんて、どんな味がするんだろう――って買ったときにも思ったっけ。
「ねえ。雛田くんは怪人……に最初に出会った日はどんなことがあったの?」
「その日にあったこと?」
「怪人に出会った瞬間のことは聞いたけど、その日にあったことは聞いてないから」
「そう、だったね。でも、別に話すようなことじゃない気がするけど」
「雛田くんに怪人が見えるようになったきっかけが、偶然じゃなかったとしたら? はじまりに何かあったのかも」
僕が怪人にであったあの日。高校一年生の終業式。
「何か、」
「雛田って、いっつもその調子なの?」
高校一年生、初夏のことだった。
麻琴は、すっぽかした日直の代わりに黒板を消していた。
「その調子って?」
「よく知らないやつの使いっ走りしてるの」
「うん。いいことすると気持ちいいし」
いつも通り答えた麻琴に、彼はウケるっ! と笑った。自分の行動にそんな反応をしたのは、彼が初めてだった。
それから、彼と麻琴はちょっと仲良くなった。
一緒に下校とか、休日に遊ぶとかはしないけれど、教室で顔を合わせるとちょっとした雑談をした。
麻琴は久しぶりに友達ができたようで、気持ちが浮ついていた。今日のテレビはどうだったとか、最近ハマっているゲームは何かとか話した。そんな会話は久しぶりだった。
けれど、終業式のあの日。前を歩く彼が見えた。
「雛田? 今年もクラス一緒はちょっとアレだわ。あいつさぁ、別に悪い奴じゃないんだけど、ちょっと噛み合わないんだよね。いっつも、自分の世界に飛んでますーって感じでさ」
冷水を浴びせられたような気分だった。
怒るべきだったのかもしれない、ムキになって彼の背中を追い越しても良かったかもしれない。けれど、麻琴の足は張り付いたように動かなかった。
「友達と仲違いした日だったと思う。地面ばっかり見ながら帰ってたら、怪人に出会ったんだ。あの日はやけに強くて困ったよ」
その友達とは、クラス替えしてから喋ってない。
「じゃあ、やっぱり本人の心境が関係しているのかな……」
「でも、仲違いが関係しているなんて思えないよ。別によくあることだし」
「まあ、そうだよね。それだけで見えるようになってたら、怪人だらけになっちゃうし……」
波奈は頬杖をつき、廊下の窓を眺めて思索に耽っていた。所在なげに見つめる視線の先には――。
「「えっ」」
その一言は、ほぼ同時に発せられた。
どうして、ここに狼の怪人が? それにどうして――。
混乱している麻琴をよそに、彼女は乱暴に立ち上がって走り去った。引き戸に手をかけて、廊下に飛び出していく。
麻琴も慌てて廊下に出たが、彼女はその場でただ立ち尽くしていた。
怪人は消えていた、塵すら残さずに。
「嘘、見えた……スーツ姿だったんだね、怪人って」
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