第一章 教室で缶ビールをあおるJKはヒロインですか?①

「ああ、面倒くせえ。放課後すぐ部活があるのに、何で提出物の回収なんてしなきゃいけねえんだ」


 丸刈りの青年は吐き捨てるようにそう言った。うだるような暑さは未だ健在、残暑という言葉があまりにも似合わない九月上旬のことだった。始業式とロングホームルームを終えた勤勉な生徒たちは、早々に教室から出て行っている。


 本来なら、彼だってその内の一人のはずだった。けれど、夏休みの課題を職員室まで届ける、という貧乏くじを引いてしまったのだ。

「仕方ねえよ。あの先生、野球部はこき使っていいって思ってるし」

「他の教科は授業中に集めるんだから、英語だってそれでいいじゃん。始業式の日に集める必要って何? 先生、ホント意地が悪いよな」


「まあまあ、俺らが先輩に伝えとくからさ。地獄のメニューが少なくなると思ったらラッキーじゃね?」

「じゃあ、お前らが変わってくれんのか」

「おっと、それは無理。俺、職員室嫌いなんだよな」


「大輝、頑張れ」

 と肩に手を置いたあと、周囲にいた学生達は逃げるようにその場を去っていく。大輝はため息をついて、血眼で答えを写す同級生に向かって大声で宣言する。


「あと十分で先生に届ける。それでも間に合わねえ奴は自分で提出しろ!」

 大輝の無慈悲な発言に周囲はざわめいた。「ひでえよ!」なんて声が聞こえてくるが、無視を決め込む。


「……あの」

 ここで折れたら、今日は部活に行けなかったなんてことになりかねない。

「あの」

 今日はどんなメニューだろう。途中から参加しやすいやつならいいけど。

「あの!」


 ガリガリで気弱そうな奴が目の前を立っていた。同級生の一人に話しかけられていたことに、大輝は気がつく。名前は雛田麻琴……だったっけ。

「何?」

 彼にしては珍しく無愛想に応える。

 大輝は、どうも目の前の人物が苦手だった。

 悪意なんて微塵もないことは分かっているが、背筋がゾワっとする。


「英語の提出物を集めるの、代わるよ。そうしたら先生が帰るギリギリまで、みんなのことも待てるし……」

 教室内が、ピタリと動きを止めた。視線が一箇所に集まる。その視線には好奇心と嫌悪が含まれている。

 大輝は腹の中に澱んだものが溜まっていくのを感じた。善意の行動に気味悪さを感じる自分が嫌になる。


「いいよ。俺が頼まれたことだし」

「大輝くん、放課後忙しいだろ。僕は帰宅部だから、残っても大丈夫だしさ」

 麻琴は不自然に口角を上げて笑った。こいつ、何が目的なんだ? 同じクラスだが、考えていることがさっぱり分からないやつだった。

 

「じゃあ、頼むわ」

 大輝は気味の悪さを払いのけるようにそう言った。

 彼のこの発言に対して、周囲は残ってくれ……と念じるように、表情を変化させる。けれど、無言の訴えをスルーして、鞄をひったくるように背負った。


「雛田、ありがと」

 感謝の言葉を述べたのは、大輝の最低限の世辞だった。どんなに気に入らない相手でも敬意を払うことを、彼は部活で叩き込まれていた。


 周囲の人間はしばらく訴えかけるように大輝を見つめていた。しかし、どうにもならないことを悟ったのだろうか。この冷え切った空気から一刻も早く逃れるため、無言で課題をこなすようになった。

 麻琴だけは目を輝かせていた。


 それから約一時間後。

 麻琴はクラス全員の課題を集めることに成功していた。下校準備をしながら、懸命に課題に取り組むみんなを思い浮かべる。頑張ってくれたおかげで、思っていたより早く先生に届けることができそうだ。

 麻琴は満足げに提出物の山を眺めた。いいことができた日は、なんだか晴れやかな気持ちになる。憧れのヒーローに少し近づけたようだ! 

 

 さて、我らが主人公の話をしよう。彼は高校二年生を迎えたばかりの一六歳だ。

 名前は、雛田麻琴。(彼はいつも自分の名前を見るたび「誠っていう漢字だったら、主人公っぽいのに」と落ち込んでしまう)。


 少し小柄な背丈と青白い肌、針金のようなシルエット。繊細そうな印象とは裏腹に、彼の眼光は何かを探し求めてギラギラと輝いている。彼が憧れるヒーローとは、似ても似つかない立ち振る舞いだった。けれど、彼自身はそれに全く気が付いていない。

 

 ところで、知っておいてもらいたいことがある。それは、彼が『スクール*ヒーロー』というアニメにどっぷり浸かっていることだ。暇を持て余していた中学時代なんて、青春のために取っておいてある時間を全てそこに費やしていた。


 彼なら、全二十五話中のどんなに小さな出来事であっても、何話のシーンであるか答えることができるだろう。彼が亡くなるようなことがあれば、その走馬灯のほとんどはこの作品になるに違いない。

 前述のようなオタクっぷりは、そう珍しくはない。誰しも成長段階で何かにどっぷり浸かってしまうことはある。彼が人目を引くのは、それが行動にも表れているからだ。


 『スクール*ヒーロー』の虜になった小学六年生のある出来事をきっかけに、彼の奇行は始まった。日常に転がるトラブルを、血眼で探す習慣がついたのがこの頃だ。

 彼が中学一年生の頃、近所のおばさんが雑草に困っていることを聞いて、近所一帯の雑草抜きを勝手にしたのはよく知られている。見知らぬ少年が自宅の庭の草むしりをする姿に、彼女は卒倒しそうになった。

 

 善意を周囲に振りまく毎日を送っていた彼は、高校二年生の春にある怪奇現象に巻き込まれた。今までの行動に応えるような出来事は、彼の現実と虚構の天秤を見事にひっくり返してしまったのだった。

 

 かくして、「みたい」という言葉も取れてしまった彼は、今ヒーローに「なろう」としている。


「あの、C組の雛田です。里見先生いますか」


 職員室の入り口から、英語教師の里見を呼んだ。

 しん、と静まり返った部屋にか細い声が響く。住人の目はたちまち彼に向けられた。麻琴は感情が見えない視線に全身を強張らせる。


 住人たちは自分に関係がないことを認めると、各々がそれぞれの作業に戻っていった。呼び出した里見は、課題を抱えている雛田を見て入り口に近づいてくる。

 

「雛田? なんで」

 里見は雛田の顔をみて、訝しそうな顔をした。


「大輝くんは放課後すぐに部活があるらしくって……」

「なるほどな」

 言葉では納得しているようだが、表情は釈然としなかった。

「提出物、意外と重かっただろ? ありがとな」

「そんなに重くなかったですよ」

「ならよかった」


 里見は大きな体躯を縮こませて、こう付け加えた。

「あのさ雛田、無理やりやらされてるわけじゃないよな?」


「違いますよ! むしろ僕から言い出したことで」

 雛田は顔をぶんぶん振って否定する。

「それなら問題はないか……でも、今度からは頼まれたヤツに任せていいんだぞ」


「でも、大輝くん困ってたみたいでした。僕は暇だったので」

「しかし、提出物を集めるのだって、立派な社会勉強の一環だし……」

「大輝くんなら、野球部で沢山経験していると思いますよ」

「それはそうだが……まあ、いいや。提出物ありがとな」


 里見は歯切れが悪い返答を残して、それ以上は何も言わずに職員室へ戻った。一クラスに一人は変わったやつがいるよなあ、と内心思いながら。


 里見がいなくなったあと、雛田は「失礼します」と言いながら職員室の扉を閉めた。

 想像よりは喜んでくれなかったな、と思いながら学校指定の通学バックを漁る。無駄に多いポケットに順番に手を突っ込んでいったが、探し求めている通学定期はなかった。教室に忘れたのかな? と思い慌てて戻ったが、机の中にも定期はない。

 

 そうなると、心当たりは始業式後に配布物の参考書を取りに行ったE組だけだ。

 E組は来たる少子化のあおりを受けて、移動教室ぐらいでしか使われなくなった旧校舎の一室だ。未だに外されていない二年E組の表札から、生徒の間ではE組と呼ばれている(ちなみにうちの高二のクラスはD組までしかない)。

 

「取りに行くか……」

 麻琴は面倒そうに頭を掻きながら進行方向を変えた。

 本音を言うとあまり乗り気ではなかった。


 旧校舎はここから少し歩くし、何だかどんより薄暗くて気味が悪いのだ。基本的に人があまりいないのが関係しているのかもしれない。

 放課後、あちこちから聞こえる楽器の音さえ、旧校舎では聞こえない。部活の活動場所としてでさえ、気味が悪くてあまり使われていないのだ。


 だけど、手持ちがあまりない麻琴には取りに行かない選択肢はなかった。自宅まで三十分以上歩くのは勘弁願いたい。


 E組はやはり暗くて気味が悪かった。まばらに差し込む夕陽がなければ、心霊スポットと勘違いされそうだ。

 確認はしていないが、おそらく扉には鍵がかかっているだろう。

 麻琴はしばらく扉の前で考え込んだ。E組の鍵は左右に思いっきり揺さぶれば開くらしいが、あまり褒められた行為じゃない。職員室に戻るか……? と思ったがあの張り詰めた雰囲気は一回で十分だった。


 教室の窓に手をかけ、一つ一つ鍵が施錠されているか確認する。

 今日の麻琴は運がいい。地べたに接している小窓が施錠されていなかった。ここから入るとすると匍匐前進をすることになるが、麻琴はさして気にしない様子で小窓を覗き込んだ。旧校舎はどうせ誰もいないし。


 身体を這いつくばらせて、まるで毛虫のようにくねらせる。見られたら最悪だな、と他人事のように思う。まあ、この時間に誰かいるわけないけど。

 膝のあたりまで教室に入室することが成功して、初めて地面から顔を上げた。


 教室では、一人の少女がビール缶を片手に佇んでいた。

 本来座るために用意されていない机に腰かけて、彼女はここではないどこかを見る。

 カーテンからわずかに差し込む夕焼けは、セミロングの黒髪に色をつけていた。空気中に舞うほこりは光に照らされて退廃的な雰囲気を演出している。

 

 まるで物語から出てきたようなその光景に、麻琴はただ見入っていた。目の前の光景が自分の通う高校で起こっているなんて。

 ホントは気にかけるべき数々の疑問を無視して、彼は無意識に上半身を起こした。


 彼女がプルタブに落としていた視線を、ふと遠くへやる。漫然と天井を見つめるその視線がゆっくりと、こちらに向けられていく……。


 彼女と麻琴の視線がぱちりと合った。

 周囲のピントが合わなくなり、彼女だけを注視する。色の薄い瞳は夕陽と混じると綺麗だった。


 彼女は怯えと驚嘆がまぜこぜになったような表情で、瞳孔を拡張させていた。麻琴はどこか遠い世界の住民が自分を見つめていることに驚き、情けない声を上げる。

「あっ」


 その声を聴いて、彼女はふと我に返ったようだった。

 ビール缶を机の上に置いて、素早く机の横に置いていた通学バックを手に取る。

 机や椅子が身体に当たることも気にせず、一直線に麻琴のもとへ。


 あっという間に、麻琴の目の前にいた。参考書でぱんぱんになった通学バックを振り上げる。

 そのまま何のためらいもなく、彼女は麻琴の頭部めがけてその凶器をスイング。

 

 ボスンと鈍い音がした。通学バックが麻琴の後頭部を掠める。

 顔面に直撃するすんでのところで、無意識に体を左に倒したのが救いだった。


 じんじんと響く頭痛で麻琴はようやく、彼女はどうやら自分に危害を加えようとしていると気が付く。仰向けの状態なんて、今度こそトドメを喰らいかねない。


 慌てて上半身を起こそうとするが、既に首元には彼女の手がかかっていた。

 

「動いたら、どうなるか分かる?」

 彼女は麻琴の上半身に跨り、首元に少し力を入れた。

 狩猟を行う肉食動物のような目が、じっと麻琴のことを睨んでいる。


「お、落ち着いて! こんなの良くないだろ」

「冷静だけど。こうでもしないと、雛田くん逃げちゃうでしょ」


 彼女は口元だけ動かして笑った。目の前の少女はこんな子だっけ……?

 麻琴は目の前の彼女について必死に情報をかき集めた。


 一ノ瀬波奈。同じクラスの学級委員長。成績はいつだってトップクラスで、彼女は誰にだって優しく接していた……ような気がする。

 温厚な秀才を体現したような彼女は、今の危うい印象とどうしたって結びつかない。


「雛田くん、何しに来たの?」

 彼女は首元の力を緩めてそう言った。

「定期、忘れたから……」

「確かにそれは困るね。それで地べたを這いつくばって、教室に来たの?」

 彼女の声色は、可笑しいものを見つけたように震えていた。それが何に向けたものか、麻琴にはわからない。


「僕は、今日のこと誰かに言うつもりはないよ」

「それを、どうやって信じろっていうの」

 彼女はひどく疲れ切っているように見えた。

 普段の様子とはかけ離れたその哀れな姿は――麻琴には待望の存在に見えた。

 

「実は僕はヒーローなんだ! だから、君の力になれると思う。未成年が飲酒することは悪いことだけど、それを先生に直接言ったって何にもならない。それより、その原因を取り除くことが大事だと思うんだ。そのために、僕は君にできる限りのことをしてあげたい」


 ヒーローには必要なものが二つある。

 悪役と救うべき存在だ――高校二年の春の出来事は、麻琴に悪役を与えてくれた。けれど、救うべき存在はまだ見つかっていなかった。

 今日、ようやく両方揃ったのだ。この出会いは運命だ!

  

 一方、突拍子もないことを言われた波奈は面食らっていた。

 雛田麻琴というクラスメイトが、ちょっと変わっていることは知っていた。

 けれど、自分をヒーローと思い込むほど重症だったんだ。正義感を拗らせているだけではなかったのかと驚いた。


 厄介な人物に見られてしまった、と波奈は改めて後悔する。

 大体、何でこのタイミングで旧校舎なんかにコイツは来たんだろう。考えても仕方のない苛立ちが頭の中を駆け巡る。


「ヒーローって何の冗談?」

 彼女は首元から手を離して、麻琴から少し距離をとった場所でそう呟いた。

「冗談じゃないんだ。高校二年の桜が咲き始めた頃に、僕は怪人に襲われたんだよ! そいつは普通の人には見えないんだけど、選ばれた人間には見えるんだ。その日から僕と怪人は戦い続けている」


 波奈は呆れたように息を吐いたが、麻琴は全く気が付いていなかった。

「……そう」

「気になるなら、一緒に来る?」そう言って麻琴は少し考え込む。

「そうだよ、戦いの中で何か得るものもあるかもしれない……もちろん、まずは安全な場所で見てたらいいからさ」


 波奈は一瞬顔を引き攣らせて「いやっ」と口に出したが、その言葉を引っ込めた。

 そして、こんなふうに言い直した。

「雛田くんのことは知る必要があると思っていたし、一緒に行く。手伝えることがあればする。その代わり、飲酒のことは黙ってて――今日のことも、これからのことも」

 寝転がる麻琴を冷ややかに見下ろしながら、波奈はそう言った。


「どうして、そこまで?」

 麻琴には波奈がどうして飲酒にこだわるのか、全く分からなかった。

 それにお酒が好きなら、自宅でこっそり飲めばいい。どうして教室で?


「……何でもいいじゃない」

「じゃあ、僕も一緒にいる。それで、君にいつか飲酒を辞めてもらうよ」

 不可解な飲酒の原因さえなくなれば、そんなことをする必要はなくなるはずなのだ。

 だったら、ヒーローの自分に出来ることは一つだった。

「はあ、勝手にすれば」


 奇妙な協力関係は、こうして生まれた。

 麻琴はヒーローになるため、波奈は平穏に悪事を犯すため、お互いの手を取ることに決めたのだった。

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