10.劣等感と無帰還

 ――レミレルーアの様子がおかしい。


 あまり前向きとはいえない気分で、ベルンハルトは長剣を腰に差した。顔に微笑を貼りつけて、共に霧の森へと出る魔導騎士たちに声をかける。


 ――セレヴェンス・グラディオールと関わるようになってからだ。


 昔から熱っぽくベルンハルトを見つめていた紫水晶の瞳が、ベルンハルトが微笑みかけるたびに染めていたなめらかな頬が、声をかけるたびに嬉しそうに返事を紡いだ唇が、違う感情を乗せるようになってしまった。


 ここ二日で、突然。レミレルーアは変わってしまった。


(レミィは間違いなく、僕のことが好きなはずなのに)


 昨日はつい焦って自分の気持ちを口にしてしまったが、それもよくなかったのかもしれない。レミレルーアは真面目な子だ。ベルンハルトはユティアーヌの婚約者だから、レミレルーアを好きだなんて告げたら、彼女が戸惑うのはわかり切っていたことだった。


(僕だって、本当はレミィと婚約したかったんだよ。でも、仕方ないんだ)


 ディミエ家から打診があった相手が、ユティアーヌだったのだ。それを断って、姉の方がいいだなんて、言えるわけがない。そもそも、魔導騎士と聖女の力のバランスを考えると、ベルンハルトとレミレルーアではつり合いが取れていなかった。


 ベルンハルトは前線で積極的に活躍できるほど、魔力の扱いに長けていない。剣術に関しても同じだ。反対に、レミレルーアは聖女としてずば抜けた力を持っている。一日中施し続けても尽きない圧倒的な浄化の力。


 レミレルーアがベルンハルトに嫁いだりしたら、宝の持ち腐れになってしまうのは、傍目に見ても明らかだった。


(レミィと一緒にいられる最初で最後の機会だと思ったのに)


 セレヴェンスのせいで、予定が狂ってしまった。


「ハルバス」


 噂をすればなんとやら、というやつだろうか。いっそ腹立たしいほどに涼やかな顔をしたセレヴェンスが、真っ白い髪をなびかせながら歩んできた。


「私も連れていけ」

「君には頼らないよ」

「ルーアはいない。問題ないはずだ」


 口数は少ないのに、その一言一言がベルンハルトの神経を逆なでる。

 だいたい、穢れた騎士の噂も恐れずに、レミレルーアがあれだけ話しかけてやっているというのに、にこりともせず、ろくな受け答えもしないのが気に入らない。そのくせ、ルーアなんて愛称を勝手につけて、許可も取らずに呼んでいる。

 そして彼は、ほかの追随を許さないほどに魔力の扱いが上手い。いくら澱みを抱えても平然としていられるほどに胆力がある。どんな魔物と対峙しても怯まず、羽虫を払うように討伐してしまう。


 レミレルーアの隣に立つにふさわしい、実力を備えている。

 それが余計に、気に入らない。


「なにも魔物に挑もうってわけじゃない。見にいくだけだよ。君の手を借りる必要はない」

「ルーアの妹を忘れたのか?」

「どういうことかな」

「おまえたちだけでは無理だ」


 いまだに見つかっていない騎士たちと同じ道をたどるとでも言いたいのだろうか。彼らはユティアーヌを守るために身を張ったのだろう。守る聖女を連れず、魔物と対峙する気のない自分たちとは条件が違う。


「余計なお世話だよ。君こそ、ひとりで潜るのはやめた方がいいんじゃないかな」

「問題ない」


 ああ、やっぱり、気に入らない。

 ベルンハルトはセレヴェンスに背を向けて、仲間の魔導騎士に出立の旨を告げる。うしろから肩を強く掴まれた。


「離してくれるかな」

「ルーアが心配する」


 我慢ならなかった。


「君に、レミィと僕の、なにがわかるっていうんだ?」


 セレヴェンスの手を乱暴に払って、ベルンハルトは霧の森へ向かった。


  ◇ ◇ ◇


 日が暮れても、ベルンハルトが戻ってこない。


 ほとんどの魔導騎士たちは帰ってきたし、もう今日のぶんの浄化も済んで、夕食の準備まですっかりできている。早い者たちはすでに食事を始めて、今日の成果について話し合っていた。


(ユティが襲われたのって、そんなに深い場所だったかしら)


 誰よりも遅くに戻ってくるセレヴェンスが、先に帰ってきた。それが余計に、レミレルーアの不安をかき立てる。

 レミレルーアは、戻ったばかりのセレヴェンスをつかまえて問い詰めた。


「セレンさま! ベルンハルトさまはまだお戻りになりませんか?」

「いないのか?」


 セレヴェンスが、長い睫毛で縁取られた目をわずかに見開いた。霧の森を振り返って、「あいつ……」と呟く。なにか知っているような素振りだった。


「ついていくべきだった」


 聞けば、セレヴェンスは出立前に、ベルンハルトの調査に同行することを申し出たのだという。ユティアーヌを襲った魔物は正体がわからないままだし、行方不明の魔導騎士たちも見つかっていない。ユティアーヌが襲われた場所が、霧の森のほかの場所よりも危険であることは明白だった。


 そして今日そこに踏みこもうとしていたのは、ベルンハルト含め、その力に不安が残る者たちだったという。


「ベルンハルトは器用な男だ。しかし気が弱い。優柔不断でもある。不測の事態で素早い判断を下して、適切な対処ができるとは思えない」


 それに、セレヴェンスの申し出を断ったときのベルンハルトはやたらと頑なで、冷静とは言い難かった。


「頭に血がのぼった状態では、まともな動きはできまい」


 セレヴェンスが饒舌だ。彼もなにか嫌な予感を覚えている。

 レミレルーアの不安はさらに膨らんだ。


「捜してくる」

「わ、私も行きます!」


 踵を返したセレヴェンスの腕を、はっしと掴んで止めた。


「……危険だぞ」

「わかってます! でも、ベルンハルトさまたちが魔物に襲われて動けなくなってるんだったら、少しでも抵抗したはずですから、澱みが溜まっているはずです。澱みの気配なら、私もわかります。お役に立てます!」


 我ながら言っていることがめちゃくちゃだと思った。

 別に澱みではなくても、魔導騎士であれば、互いが扱う魔力の気配を追うことができる。戦いで足手まといになるレミレルーアがついていく理由にはなりえない。黙って待っている方がいいのはわかっている。


 待っていろと言われるのもわかっている。


(でも、もし……)


 ベルンハルトが、ユティアーヌのような目に遭っていたら。いいや、それどころか、ユティアーヌを護っていた騎士たちのように、帰らぬ人となってしまったら。

 冷たいものが背中をすべり落ちる。いてもたってもいられなかった。


「私から離れるなよ」

「足手まといなのはわかってます! 待っている方がいいのも、それでも私――えっ?」

「行くぞ」


 当たり前のようにセレヴェンスが歩きだしたので、レミレルーアはぽかんと口を開けて立ちすくんでしまった。少し先でセレヴェンスが振り返る。


 それで我に返った。


「は、はいっ!」


 慌てて駆けだす。セレヴェンスの背にぴったりと張りつくように、あとに続いた。

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