9.初恋と心の在り処

 ベルンハルトの瞳が、光の加減で金に見えただけだと思っていたが、違う。

 最初からあの少年は、金色の瞳をしていたのだ。髪色については言わずもがなである。セレヴェンスの白い髪は、後天的に成ったものである。レミレルーアの記憶のなかで彼の髪が真っ黒だったのは、セレヴェンスがまだ、魔導騎士として魔力を酷使するずっと前だったからだ。


「……てっきり忘れ去られているのかと思っていた。まさか、ハルバスと間違われていたとは……しかし、ルーアが歩んできた道だ。ひっくり返すわけにもいかなかった」

「ごめんなさい……」

「おまえが謝ることじゃないさ」


 そういうわけにもいかない。セレヴェンスは傷ついたはずだ。己との思い出を大切に抱えている相手が、あろうことかその思い出の相手を間違えて慕っているのである。地泥鳥の巣で泣きじゃくりながら話したことを思いだすと、心臓が潰れそうだった。


「それよりも、おまえのことだろう」


 セレヴェンスは、レミレルーアの手から己の指を引き抜いた。そのまま、手のひらでレミレルーアの髪をかき混ぜる。


「私が……とやかく言える立ち場ではないが。ハルバスを想うおまえは、あまり幸せには見えない。もし、昔の思い出を引きずって……今のハルバスではなく、過去の少年に抱いた気持ちを、今でもハルバスに向けているなら」


 そこまで言って、セレヴェンスは口元を緩めた。くしゃり、という形容がぴったりな、困ったような、泣きそうにも見える顔だった。


「難しいな、言葉にするというのは」


 いいや、十分だ。セレヴェンスが言いたいことは伝わった。


 あのときと同じだ。セレヴェンスはセレヴェンスなりに、言葉を尽くして気持ちを伝えようとしてくれている。そういうところに、レミレルーアは惹かれたのだ。彼は今でも変わっていない。それが嬉しい。

 だからレミレルーアは、思い出の少年がセレヴェンスだということを、素直に受け入れられた。レミレルーアが大事に抱えていた思い出は彼とのものなのだと、密かに想っていた相手は、本当はセレヴェンスなのだと。


 しかし反対に、心に暗い影を落とす問題も浮上する。


(私の、ベルンハルトさまに対する気持ちは……)


 幼い頃の記憶に裏づけされたものだった。

 前提が崩壊してしまえば、答えは簡単だ。昨日今日と、ベルンハルトに接して抱いていた違和感や、鬱々とした気持ちが、レミレルーアが本来彼に抱いていた感情なのだろう。


「ルーア、私の聖女にならないか」


 気づけば、セレヴェンスの顔が間近に迫っていた。

 レミレルーアを魅了する星が、ふたつ。優しい光を宿した金色のなかに、戸惑うレミレルーアの顔が映っていた。


 セレヴェンスの吐息がかかる。

 あと少しで互いの唇が重なる、その瞬間。


「時間を、ください」


 レミレルーアは、セレヴェンスの口を両手で塞いでいた。


 セレヴェンスも言ったとおり、この事実は、レミレルーアが今までベルンハルトを想ってきた時間を無に帰すものだ。決して短くはない時間である。


 抱えていた気持ちを、いますぐに捨てることはできなかった。

 長い年月が植えつけた情なのかもしれないが、それでもレミレルーアはまだ、ベルンハルトのことが好きなのだ。セレヴェンスならきっと、その想いごと溶かしてなくして、レミレルーアを慈しんでくれるのかもしれない。


 でも、そんなことは、許せなかった。セレヴェンスがではない。レミレルーアが、レミレルーア自身を許せない。


 同時に、自分は思い出だけに縛られて、いま目の前にいるセレヴェンスを見ていないのではないか、という思いもあった。思い出の少年がセレヴェンスだとわかって、胸の内に湧きあがった喜びが、かえって罪悪感のようなものを呼び起こしてしまった。


「こんな中途半端な気持ちで、セレンさまの気持ちに応えることはしたくないんです。だから、少しだけ、待っていてもらえませんか」


 ベルンハルトへの気持ちには、きちんと折り合いをつけるから。

 セレヴェンスへの気持ちが、本物なのだと確かめるから。


「ああ」


 ほとんど息を吐くように答えたセレヴェンスの手が、レミレルーアの頭から頬に移動する。


「だが、これくらいは」


 柔らかい感触が、押しあてられる。レミレルーアの頬を感じるように、強く。セレヴェンスの唇は熱かった。


「許してくれるか」

「……する前に、言ってくれませんか」


 レミレルーアの顔は、火を噴いたような熱に包まれていた。


  ◇ ◇ ◇


 不安と、罪悪感。そのなかに、ふわふわした気持ちがほんの少し。様々な思いが渦巻いていたが、テントに戻ったレミレルーアは、思いのほかすんなりと眠りに着くことができた。

 目覚めも悪くなかった。


(それなのに、これはどういうことなの……)


 すっきりしていた頭が淀んでいく心地だった。

 朝食の席である。


「どうして君がレミィの隣に座るんだ?」

「私の勝手だ」

「自分がどういう存在なのか忘れたのかな。レミィが妙な目で見られるんだ。許可できないよ」

「許可?」


 セレヴェンスが鼻で笑った。どんなに爪弾き者にされても平然としていたセレヴェンスが、ベルンハルトにだけはやけに突っかかっていく様子を見せる。


「どの立ち場で」

「レミィは僕の聖女だ」

「代理だろう」

「それでも今は……」

「あの、おふたりとも、そのあたりにしませんか!」


 たまらず、レミレルーアは声を上げた。レミレルーアを挟んで火花を散らしていたふたりが、同時に口をつぐむ。セレヴェンスもベルンハルトも、周囲の視線を一身に浴びていた。


「ベルンハルトさま、今日はユティが襲われた場所まで行くんですよね? なにかあってからでは遅いですし、準備は万全にしておかないと!」


 私、片づけちゃいますね! とベルンハルトの手から皿を奪い取った。


「セレンさま……は」


 自分で行く、と言わんばかりに、セレヴェンスが立ち上がる。ついでにレミレルーアの手からふたりぶんの皿が消えた。


「あ、ありがとうございます!」


 去っていく背中に礼を投げかける。返事はなかったが、セレヴェンスの足がほんの少しだけ緩んだので、聞こえてはいるのだろう。


「レミィ、彼とずいぶん打ち解けたみたいだね」

「そう見えますか?」


 嫌な気分ではない。むしろ嬉しいかもしれない。思わずほころんだ口は、ベルンハルトがレミレルーアの手を取ったことで固まった。


「ちょっと妬けちゃうな」

「……ベルンハルトさま」


 苦い笑いを漏らした彼に、レミレルーアは少しだけ迷って……自分の手を取り戻した。


「ベルンハルトさま、調査から戻ってきたら、お時間いただいてもいいですか?」

「もちろんだよ、なにかな」

「大事なお話です」


 にこりともせずに言い切ったレミレルーアに、なにを感じたのか。ベルンハルトは笑みを引っこめた。


「わかったよ」


 ほっとした。これで少なくとも、ベルンハルトとはきちんと向き合うことができる。


(まだなにを言えばいいかわからないけれど……時間だけならたっぷりあるわ)


 なにしろ、霧の森行きを禁じられている。調査前では浄化する澱みも発生しようがないし、レミレルーアはやることがない。できるのは、考えることだけだ。


(ベルンハルトさまにはユティのことを大事にしていただきたいから)

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