7.気遣いと空振り

 ベルンハルトがふたりの魔導騎士を伴って戻ってきたのは、それから間もなくのことだった。正直ほっとした。セレヴェンスとふたりきりでは、いい加減心臓が保たないところだったのである。


 ずっとベルンハルトだけを見ていた。

 だからほかの男に言い寄られたことはおろか、あんなにはっきりと落とす宣言をされたことも初めてで、どう対処すればいいかわからなかったのだ。


「レミィ! 無事かい!?」

「ベルンハルトさま、私は大丈夫です。セレンさまに助けていただきましたから」


 頬を緩めてベルンハルトに答えたレミレルーアは、セレヴェンスを見上げた。

 ものすごい不機嫌だった。いや、顔をしかめているわけではない。ただセレヴェンスは、すべての表情が抜け落ちた無の状態で、じっとベルンハルトを睨んでいた。


「セレンさま、あの……下ろしていただけますか?」


 一瞥すらされずに、レミレルーアは地面に下ろされた。久しぶりに自力で地面を踏んだ心地がする。セレヴェンスの態度が気になって「本当にありがとうございました、セレンさま」と声をかけたが、あまり効果はなかった。


「怪我はない? 本当に?」


 駆け寄ってきたベルンハルトが、レミレルーアの肩を掴む。よほど急いだのか、前髪が湿り気を帯びて額に貼りついていた。視線がうろうろと周囲をさまよっている。


「本当ですよ」


 あまりにもな光景が広がっているので、なかなか信じてもらえないのだろう。

 ベルンハルトについてきたふたりの魔導騎士も、あたりを見回してドン引きしていた。


 地泥鳥の巣が崩壊したことで落ちくぼんだ地面。這うようにのたうっていた下草は跡形もなく、湿った土がむき出しになっている。生き埋めになったときにセレヴェンスが起こした爆発で、木の根が掘り起こされたように姿を現して、一帯の木々は傾いていた。

 極めつけは、半身を失って内臓が丸見えになっている地泥鳥である。


「助けを呼べって言ったのに、レミレルーアをこんな危険にさらすなんて」

「いえいえいえ! 違いますよベルンハルトさま!」


 憂いを帯びた顔でセレヴェンスを咎めたベルンハルトに、慌てて両手を振った。身振り手振りを交えて、レミレルーアが落ちてからなにがあったのかを伝える。


「ですから、セレンさまは本当に私を助けてくれただけなんです! セレンさまがいなければ、私は地泥鳥の餌か、土の下に生き埋めか……」

「でも、セレヴェンスがいなければ地泥鳥が刺激されて、巣を崩すなんてこともなかったんじゃないかな。おとなしく隠れていることはできなかったのかい?」

「それは……」


 その場の耳目がセレヴェンスに集まる。


「どうだろうな」


 彼の返答はごくごく短いものだった。それがよくなかった。


「レミィは聖女だ。僕らと違って魔物に対抗する術を持たない。もっと気遣ってあげるべきだったんだよ。助けてくれたことには感謝するけど、配慮が足りない」

「そうか」

「真面目に考えてくれないか。君を残したのが間違いだった。僕が残って、レミレルーアの傍にいればよかったんだ」


 ベルンハルトがこんなに声を荒げる……もとい、誰かを責めるのは珍しいことだった。どちらかというと、誰かと言い合いをすることを苦手とする性分だ。

 レミレルーアのために怒ってくれている。


(……不思議)


 しかし、それが的外れな糾弾だからだろうか。嬉しいとは思えなかった。今までのレミレルーアだったら、浮ついた気持ちを抱いて、それを「喜んでいいことではない」と押し殺すまでがセットなのに。

 だからレミレルーアは、頬の筋肉がこわばるのを感じながら、ベルンハルトの腕にそっと手をかけた。


「ベルンハルトさま、そのあたりで……」

「おまえが?」


 レミレルーアに被せたようなセレヴェンスの声は、驚くほどその場によく響いた。その場にいた全員が思わず口を閉ざしたくらいだった。


「ルーアの傍に?」


 セレヴェンスの金の瞳が滑る。ベルンハルトの頭の先からつま先まで、舐めるように撫でて――。


「ハッ」


 鼻で笑った。


「な――!」


 かっとベルンハルトの頬が赤くなる。言葉少なに馬鹿にされたのは明白だった。ベルンハルトが抱いたのが羞恥なのか、怒りなのかはわからないが、とにかく言うべきことが見つからないようで、彼は薄い唇を開けたり閉じたりするばかりだ。


 あとの空気は、最悪だった。


  ◇ ◇ ◇


 それきり黙り込んでしまったベルンハルトが口を開いたのは、霧の森を抜けて、ニュアージュ基地が見えてからだった。


「彼に頼るのはやめよう」

「え?」


 レミレルーアは思わず足を止めてしまった。ベルンハルトが振り返る。


「彼って、セレンさまですか?」

「そうだよ。彼は強いから、頼ろうとするレミィの気持ちもわかるんだけど」


 この場にセレヴェンスはいなかった。ベルンハルトが連れてきた魔導騎士たちもだ。彼らは後処理に回っている。後処理といっても、地泥鳥の騒ぎで刺激されたほかの魔物たちが荒れた場合に備えて、霧の森に調査に出ているほかの魔導騎士たちに声をかけて帰還を促すだけだ。すぐに戻ってくるだろう。


「強いってことは、それだけ無茶ができるってことだ。さっきみたいに、一歩間違えば一緒にいたレミィが怪我をした可能性だってあるんだよ」

「それは……そうかもしれませんけど」


 レミレルーアにはあまりピンとこないことだった。セレヴェンスならそんなへまはしないだろう、という確信がある。何事にも動じないあの態度がそう思わせるのだろうか。


「わかってくれる?」


 レミレルーアは曖昧に頷いた。ずっとかたい顔をしていたベルンハルトが、ようやく口元をほころばせる。よかった、と嬉しそうにこぼした彼の次の言葉に、レミレルーアは耳を疑った。


「じゃあ、これからは調査に同行せずに基地で待っててくれるかい?」

「え……えっ?」

「レミィを危険にさらしたくないんだ。今日みたいなことが、今後ないとも限らないし。魔物に遭遇したとき、僕は誰かを庇いながら戦えるほど器用じゃないから」

「そ、それじゃあ私がここに来た意味がないじゃないですか!」


 レミレルーアは、ユティアーヌを襲った魔物の正体をつまびらかにしようと息巻いて、ニュアージュの地にやってきたのだ。ユティアーヌに先んじて霧の森の危険を払い、ユティアーヌが安心してベルンハルトの聖女に着任できるようにするつもりだった。だからこそ、代理聖女なんてふざけた提案をなんとか呑んだのだ。


 でなければ、本当に、レミレルーアはユティアーヌの代わりになってしまう。


 ユティアーヌが動けないのをいいことに、ベルンハルトの傍に侍る権利を奪い取った……どうしても、そういう意識になってしまう。


「私がここにいるのは、ユティの穴を埋めるため……ベルンハルトさまについて霧の森に入って、ベルンハルトさまの浄化を優先的に行う役目を託されたからです。私だけ基地に留まっていては、それが果たせません。それに、私だってユティがあんな目に遭った原因を暴いて、ユティが安心してニュアージュに戻ってこれるように」

「レミィ」


 強く呼ばれた。


「君のためなんだ」


(わたしのため)


 嬉しくない。こんなに疎ましい気遣いの言葉は初めてだ。


(本当に?)


 ベルンハルトに疑問を抱いたのも初めてだった。


「不安があるなら、それこそセレンさまに引率をお願いすればいいじゃないですか。桐の森に入る以上、多少の危険はつきものです。魔物に襲われるよりは、仲間に巻き込まれて擦り傷を負う方がずっとマシじゃないですか?……それに」


 それに、ベルンハルトがセレヴェンスを拒否するのは、本当にレミレルーアを思ってのことだろうか。セレヴェンスに馬鹿にされたからではないのか。


(ああ、いやだ。私ったら、思いどおりにならないからって)


 嫌なことを考えたものだ。これを言ってしまったら、ベルンハルトが傷つく。目に見えていた。

 レミレルーアは口をつぐんだ。

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