6.脱出と宣戦布告

「せ、れん、さま」


 レミレルーアが呆然とセレヴェンスを見上げたときだった。


 彼は、レミレルーアを膝から下ろした。背後に庇うように立って、躊躇いもなく腰の大剣を抜き放つ。

 じっと天井を見つめるセレヴェンスがなにを警戒しているのか、それがわかったのは、翼の音とともに、巨大な影が巣穴の入り口をふさいでからだった。


「……地泥鳥じでいちょう


 この巣の主のご登場である。

 茶色い羽毛に覆われた鳥の首が、裂け目から現れた。セレヴェンスとレミレルーアの姿を見つけた地泥鳥が、怒りを表すように鳴く。

 耳に痛い、汚い鳴き声だった。


 ざわり、と背中が粟立つ。


 セレヴェンスが剣を大上段に構えて、魔物を迎え撃とうとしたときだった。


「……む」


 巣穴の入り口から、影が消えた。ぽっかりと空いた裂けめの先に、霧の森の木々が見える。


 一度、二度、と羽ばたく音。

 次の瞬間、重い衝撃とともに、地泥鳥の巣が揺れた。


 ばらばらと天井から土が降ってくる。


「いかん、崩れる!」


 セレヴェンスが剣を捨てた。同時に、巣穴の天井に無数のヒビが入る。


 セレヴェンスが手ごわいことを察して、地泥鳥は、戦うよりも土の下に沈めた方が得策だと判断したのか。いやに知恵のある魔物である。


 レミレルーアは地面に引き倒された。セレヴェンスに抱きすくめられて、なにも見えなくなる。あちこちで、崩れた天井の土が落ちて砕ける音がして――。

 巣穴は、真の闇に包まれた。


  ◇ ◇ ◇


 揺れも崩落もおさまると、土のなかの虫が這う音すら聞こえそうなほどの静寂に包まれた。

 閉じこめられた、どころではない。文字どおり、生き埋めにされてしまった。どこにも出口が存在しないという事実にわずかな恐怖がわき上がってきて、レミレルーアは意味もなく身じろぎをした。


「苦しいか」


 頭の近くで聞こえたセレヴェンスの声に、焦りはなかった。


「だ、大丈夫です……セレンさまが庇ってくれたから。セレンさまこそ大丈夫なんですか?」


 崩壊した天井の土の重みを、彼は一身に引き受けてくれている。全然そんなふうには見えないが、きっとかなりの重圧がかかっているはずだ。


 レミレルーアを安心させるように頷いた彼は、「少し我慢しろ」とささやいて、地面に両手をついた。

 魔力の気配。

 セレヴェンスが、ぐっと腕を伸ばして、土のなかに無理矢理空間をこじ開けた。レミレルーアの顔に、湿った土がばらばらと降ってくる。


 口に入った。


「うえっ、ぺっ!」

「すまん」

「だ、だいじょうぶです……」

「下を向いておけ」


 セレヴェンスは、片手を離して天井にあてた。とんでもない体幹である。


 言われたとおりに、レミレルーアはからだを回して下を向いた。なにをするのか、だいたい予想がついた気がする。口も引き結んで、目も思いきり瞑っておいた。


 轟音とともに、ふたたびものすごい揺れに襲われた。

 先ほどの比ではない量の土が落ちてくる。ちょっと痛い。


「汚れてしまったな」


 セレヴェンスがレミレルーアに触れた。被った土を優しく払う手つきに、うっすらと目を開ける。


 日の光が差していた。

 ちょうどレミレルーアとセレヴェンスがいる部分だけ、ぽっかりと穴が空いたようになっている。レミレルーアは思わず「すっご……」と声を漏らした。


「ぜんぶ吹き飛ばしたんですか」


 答えの代わりに、背と膝裏に腕が差しこまれる。持ちあげられて、レミレルーアは慌ててセレヴェンスの首にすがりついた。


「跳ぶぞ」


 セレヴェンスの足元で、土が散った。

 井戸のように真っすぐ開いた穴の壁を、二度、三度と蹴りつけて、飛ぶように軽やかに登っていく。セレヴェンスはあっという間に、地上に跳びあがってしまった。


 ちょっとぶりに見た霧の森は、ずいぶん様相を変えていた。なにしろ、地面に大穴が空いている。その上――。


「半身吹っ飛んだ地泥鳥がいるんですけど……」


 なかなかにぐろい光景である。まさか地中からの脱出と同時に、魔物の始末までつけてしまうとは思わなかった。レミレルーアはちょっと引いた目でセレヴェンスを見たが、彼は涼しい顔でどこ吹く風だ。


「……セレンさま、ありがとうございます。これなら助けなんていらなかったですね」

「そうだな……それで」

「……それで?」

「私を好きになるか?」


 瞬間、レミレルーアの頭がぼっと湯気を噴いた。

 地泥鳥の出現で彼方に吹っ飛んでいた、セレヴェンスの唇の感触がよみがえる。暴挙ともいうべき口づけと、間近に迫った金の瞳を思いだして、レミレルーアは陸にうち上げられた魚のごとく口を開閉させた。


「な、なりません!」


 そうしてやっと出たのは、悲鳴にも近い声である。


「そうか」


 仕方ない、と呟いたセレヴェンスがあまりにも当たり前のように頷くので、レミレルーアはさらに戸惑った。初めて言葉を交わしてから、いまが一番、この男がわからない。


「だいたい、その……ベルンハルトさまを忘れるために、ほかの方に恋心を抱くようにするなんて……セレンさまに失礼でしょう」


 要は、代わりだとか、繋ぎだとか、現実逃避だとか、そういうことだ。レミレルーアは認めない。

 しかしセレヴェンスは首を傾げただけだった。


「そうは思わない」


 それもそうだろう。なにしろ、ベルンハルトの代わりに自分を好きになれ、と言いだしたのはセレヴェンス本人である。レミレルーアは共感を得ることを諦めた。


「とにかく、私はセレンさまをす、好きになるつもりはありません! ましてや、ベルンハルトさまの代わりになんて」


 最後まで言い切ることができなかった。

 セレヴェンスが、レミレルーアの頬に口づけを落としたのである。


「では、おまえが私を好きになれば問題ない。ハルバスなどは関係なく、心から」


 レミレルーアに対する、宣戦布告だった。

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