3.奇異の目と寂しい横顔
ぱちぱちと爆ぜる焚き火に照らされて、空になったスープの椀のなかを、木の匙がさ迷っていた。意味もなく匙を動かすレミレルーアの視線は、丸太を切りだして作られた簡易ベンチに、一緒に腰かけているベルンハルトをうかがっている。
彼はものすごく楽しそうに笑っていた。レミレルーアがセレヴェンスに切った「次からは自分がセレヴェンスの浄化を担当する」という啖呵を聞いて、面白くなってしまったらしい。
「レミィらしくて素敵だけど……もうちょっと僕のことも考えてほしかったなぁ」
目尻に浮かんだ涙をぬぐうベルンハルトに、レミレルーアは背中を丸めた。
「君は一応、僕の聖女なんだから」
ベルンハルトの言うとおりだった。セレヴェンスにも同じことを言われた。軽率な真似をしたのは反省が必要な点である。ユティアーヌが回復するまでの間とはいえ、レミレルーアは、いまはベルンハルトの聖女だ。
セレヴェンスのように自分の聖女がいない騎士たちは、本来はフリーの聖女から浄化をしてもらう。いまのレミレルーアが「私を呼べ」なんて言うのは、自分に割り当てられた仕事を放棄して、他人の仕事に首を突っこむようなものだった。
「すみません」
「いいんだよ。結局、セレヴェンスだけじゃ済まなかったしね」
三日前。ユティアーヌが被害に遭った魔物の件から、明らかに魔道騎士たちの消耗が激しくなったのだという。ユティアーヌほどではないが、騎士とともに森に入った聖女が怪我をする事案も増えていた。
端的にいえば、聖女による浄化が追いついていない。
セレヴェンスの澱みをどかんと一気に浄化して、けろっとした顔でテントから出てきたレミレルーアに、ほかの聖女が声をかけてきたのだ。
手が足りていないから、まだ力に余裕があれば手伝ってくれないかと。
ふたたびベルンハルトに許可を取って、ニュアージュ基地を端から端まで駆け回ったのが、数時間前の出来事である。日が暮れるまであっという間だった。
「レミィの浄化の力はピカ一だよ。皆、見る目があるね」
「ありがとうございます。体力だけが取り柄ですから!」
「あれだけたくさん浄化したのに、元気だもんね」
レミレルーアは頷いた。ユティアーヌのときのように、強い力をガンガン送り続けるのはさすがに疲労が溜まるが、不特定多数に少しずつであれば、それこそ朝から晩までやり続けたってピンピンしている自信がある。
レミレルーアの浄化の力は、ほかと比べてもずば抜けている。
誇張でも自惚れでもなんでもなく、事実だった。
(本来の仕事をこなしても、浄化の力が有り余る自信があるから、あんな啖呵を切っちゃった……っていうのは、言い訳か)
「貸して、レミィ。片づけてくるよ」
ベルンハルトが、レミレルーアの手から椀を取り上げた。
「あ、あの、自分でやります!」
「いいんだよ、ついでだから」
遠ざかっていく背に、レミレルーアは慌てて礼を言う。一緒になってこみ上げてきた想いは、必死で呑みこんだ。
そういうスマートなところが私は、なんて考えてはいけない。
ベルンハルトから視線を剥がして、かたちを変えながら揺らめく焚き火を睨みつけた。
どれくらい、そうしていただろう。
隣に誰かが座った。あまりにも静かな気配だった。
だから、人が座ったと認識する前に無意識に顔を向けて、ぎょっとした。
「セレンさま」
「代理なのか」
言われたことを呑みこむのに、しばしの時間を要した。セレヴェンスの金の瞳がじっとレミレルーアを見て、それでやっと「私のことか」と思いあたる。
「そうなんです。ベルンハルトさまに嫁ぐはずだったユティアーヌが倒れてしまったので、彼女が戻ってくるまでは、私がベルンハルトさまの聖女を務めることになりました」
ベルンハルトの聖女、と自分で言って自分で傷ついた。咄嗟に誤魔化そうとして、レミレルーアの口からぼろぼろと言葉がこぼれる。
「でも、誰かの聖女になるっていうのが初めてで、ついいつもの調子で周りに気を配っちゃって、だから昼間、セレンさまにもあんなこと言っちゃったんですけど……もうちょっと代理として自覚を持ってくれなんて言われてしまって」
そこでレミレルーアは話すのを止めた。ぷつん、と音が鳴りそうな勢いだった。
こちらを見るセレヴェンスが、驚いたように目を瞬かせている。レミレルーアの顔に、じわじわと熱がのぼった。
「ご、ごめんなさい。うるさかったですよね。セレンさまは私の事情なんて興味ないでしょうし」
「いや」
僅かに首を振ったセレヴェンスは、視線を焚き火に向けてしまった。それきり黙って、しかし、去る様子はない。
しばらく指を擦り合わせて我慢していたレミレルーアだったが、とうとう沈黙に耐えられなくなった。しゃきっと背を伸ばして膝を揃え、セレヴェンスに向き直る。
「あの! どうして、私のことを知っていたんですか!」
セレヴェンスが答えるまでに、ずいぶんな間があった。まさか聞こえていないのか、と不安になってしまったほどである。
レミレルーアは、端正なセレヴェンスの横顔を見つめて、見つめて、見つめて。
ようやく、彼の薄い唇がわずかに動いた。
「覚えていないのか?」
ひどく寂しい声だった。
表情はまったく変わっていないはずなのに、どうしてだろう。切れ長のセレヴェンスの目が、いまにも泣きそうに見えた。
覚えていないのか。
どういう意味だ。レミレルーアがセレヴェンスと関わった記憶はない。こんな綺麗な人、一度でも関わっていたら絶対に覚えているはずだ。
「あの……」
レミレルーアが、問いただそうとしたときだった。
「僕の聖女になにか用かな」
ひょっ、とベルンハルトが現れた。レミレルーアとセレヴェンスの間に首を突っこむようにして、割って入る。
ぴり、と空気が張り詰めた。
セレヴェンスが、ゆっくりとベルンハルトを振り仰ぐ。睨む、という形容詞がぴったりな、鋭い視線だった。
「代理だろう」
「それでも、いまは僕の聖女だよ。レミィの評判が傷つくから、あまり近づかないでくれるかな」
「ベルンハルトさま、そんな言い方!」
「周りを見てごらん、レミィ」
困ったように指摘されて、レミレルーアは初めて気づいた。なごやかに談笑していたはずの騎士や、聖女や、使用人たち。彼らの耳目がレミレルーアたちに集中している。
あたりはすっかり静まり返っていた。
奇異なものでも見るような目を一身に浴びせられて、真っ先に動いたのはセレヴェンスだ。腰を上げた彼の視線が、レミレルーアをさらりと撫でる。
「悪かったな」
先ほどの寂しさのようなものは、すっかりなりを潜めていた。自分のテントの方に去っていくセレヴェンスを止めることもできず、ただ見送る。
彼がいなくなると、もとの賑やかさが戻ってきた。
ベルンハルトも、なにごともなかったかのようにレミレルーアの隣に座り直す。
漠然とした不満がからだの内側で膨らんで爆発したのは、寝袋に
(な、なに! あれ! なんなの!? まるで人を化け物かなにかみたいに!)
それもひとりやふたりではない。あの場にいた全員がだ。
(ベルンハルトさままで……)
いや、わかっている。ベルンハルトはやっぱり、レミレルーアを心配しているだけなのだ。それは純粋に嬉しいと思う。
でも。
その嬉しいは、誰かの不幸の上に成り立っている。
(ばかみたい)
セレヴェンス爪弾き者にする考えは理解したくない。ベルンハルトがレミレルーアを気遣ってくれることには心が浮足立ってしまう。喜んでしまう自分がいやだ。はやくユティアーヌが復帰してくれればいいと思う。同時に、まだベルンハルトと一緒にいたいとも思ってしまう。
(つらい、やめたい)
その願いが叶うときは、思わぬかたちでやってきた。
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